今日は娘39歳の誕生日である。
いつの間にか、そんな年になっていたんだ・・・と感慨深い気持ちになった。
四十路のお祝いのカードを贈ったら、
『まだ39歳よ。 でも嬉しかったわ。 お父さんからのお祝いの言葉なんて
思ってもいなかったから・・・』 というメールが届いた。
吾輩、正直に言うと、子供や孫の誕生日など知らないのだ。
息子の誕生日が家内の命日と同じだということを後になって知ったくらいだ。
それでも娘の誕生日だけは、はっきり覚えている。
昭和44年1月13日生まれ。吾輩夫婦にとって初めての子供である。
このとき吾輩は、昭和45年度予算編成作業と国会対策などの仕事で、
1週間も霞ヶ関の役所の中に缶詰状態で泊まりっきりだったのだ。
その日の朝、デスクの電話が鳴り、産院から"女の子出産"という知らせ。
上司の許しを得て病院へ駆け付けた。 職場から産院まで1時間ほど。
吾輩、電車の中で、出産予定日より二日も早いが大丈夫だろうか、
家内に何と言葉を掛けようか、どんな顔をした子だろうか、
家内に似て美人だろうか・・・などと、いろいろと思いを巡らせた・・・
夜中、産気付いてから家内は産院へ一人で行ったようだ。
こんな吾輩でも仕事と言いながらも、居ると居ないでは大きな違い。
きっと心細い思いをしながら産院へ行ったことだろう・・・
朝早かったが、産院のある街の駅前の花屋さんが開いていた。
家内が真紅のバラが好きだったことを思い出し、思わず店に飛び込んだ。
家内への感謝とねぎらいに、バラの花を贈ろう・・・と思ったのだ。
花屋のおばさんに 『家内の初めての出産で・・・』 という話をしたら、
『あらそうなの、おめでとう。 これ、おばちゃんからのお祝いね 』 と
大きな花瓶をサービスしてくれた。
初めて入った花屋さんなのに、おばさんも喜んでくれたのだ。
その花屋さんは、今は無い・・・
その子がもう39歳・・・
あの日、真紅のバラの花を見て、家内が涙を流したことは忘れない。
家内に何と言葉を掛けたのか、忘れてしまっているが・・・
亡妻の代わりに娘の誕生日を祝ったみたが、
吾輩には最も似合わないことをしたようだ・・・