12-4それからの中共とこれからの中華
12-4それからの中共とこれからの中華【二一世紀の中国が歩む新たな道は、侵略と急進的社会主義に翻弄された二十世紀を乗り越えた先に連なる。この巨大な隣人の行く末にわれわれはこれからも目をこらし続けることになろう。】(解説より)―第12巻417頁―毛沢東から登小平へ 『中国文明の歴史』全12巻の本文は、中華人民共和国の成立で終わっている。現代史として完結しているのは、この時点までである。それ以降の歴史は、まだ現在進行形である。無論、現在に生きているわれわれは、中国共産党が天下を取ってからの歴史、すなわち中華人民共和国の、それからの歴史を知っている。先人が、中華人民共和国が成立するそれまでの歴史を語ったとすれば、われわれはそれからの歴史を語ることができる。 毛沢東は、急進的社会主義という手段をもって、ばらばらな中国を1つに纏め上げようとした。この永久革命は、毛沢東の死とともに終焉を迎えた。続いて中国を導いた指導者は、登小平であった。かれは、面倒な階級闘争理論には目もくれず、只管経済発展を重視した。経済を中心に、あらゆる共産党の理論を組替えた。中国はまだ生産力が不充分であり、政治闘争は混乱を招くだけである。まずは、経済的な実力を蓄える必要がある。すべては、それからである。このように、登小平は確信した。 毛沢東が理想主義者であれば、登小平は現実主義者であろうか。毛沢東の政治重視路線から登小平の経済重視路線への転換は、ある意味では常識的な措置であった。一般庶民にしてみれば、これでやっと平穏な暮らしをすることができるようになったことだろう。だが、他方で、これは一種の諦めである。政治家の職務放棄である。孫文に始まる中国革命の目的は何であったろうか。それは、近代国民国家ではなかったか。毛沢東は、非常手段を使って、無理やりにでも国民をつくろうとした。その成否は、この際問わない。これに対し登小平は、いわば放任したのである。それこそ、「為すに任せた」のである。「改革開放」とは、ばらばらな中国への、無責任な回帰であった。中共支配の正当性 毛沢東が統治していた頃は、曲がりなりにも「人民」が共和国の主人公であった。だから、資本家を倒してプロレタリアートが国を運営するという大義名分があった。いまや、中国共産党は労働者・農民を見放し、私営企業化を取り込んで自己保身を図ろうとしている。明らかに、彼らはもはや革命政権ではない。既得権に固執する体制側である。一体彼らに、どのような統治の正当性があるのだろうか。 中共には中共の言い分がある。まずは、政権樹立の経緯を持ち出すかもしれない。曰く、当時の中国は極度の混乱情況にあり、内には国民党の腐敗があり、外には日本の侵略があった、この時にあたって、日本と国民党を打倒して中国を再び独立させたのは、他でもない中国共産党の功績である、と。一言もってこれを蔽えば、「没有共産党、就没有新中国」(共産党なくして新中国なし)である。真偽のほどは、読者諸氏のご判断に任せたい。 次に主張するのは、建国以来の中国社会の発展であろう。曰く、阿片戦争以来、中国は列強に苦しめられ続けてきたが、それは中国が世界の進歩に立ち遅れたためである、中国共産党は、中国の経済力を高め、軍事力を増強し、科学技術を磨き、いまや世界に冠たる大国に成長した。これ、すべて中国共産党のおかげである、と。 最後に、おそらくこれが最大の支配の正当性ではないかと私は思うのだが、共産党がいなければ、中国は安定しない、ということである。社会秩序は崩れ、国家は分裂する。そのようなことになれば、経済が停滞することはもちろんのこと、人民の生命の安全さえ危くなりかねない。現在、中国を統治しているのは共産党であり、それ以外に統治能力がある団体はいない。その共産党がいなくなれば、困るのは当の中国社会である。故に、中共の支配は正当である、と。独裁は変化するのか 筆者は、以上の言い分に正当性があるとは思えない。言い分ではなく、言い訳にすぎない。しかし、だからといって、私は代替案もなしに彼らを批判する気にはなれない。独裁は正当ではないが、中国の歴史かれすれば、正統である。 話は春秋戦国の昔に溯る。春秋時代、中国は都市国家の時代であった。各都市は、それこそ市民によって経営されていた。戦国時代には、各都市は漸次併合され、市民の自主性はやや軽減されたが、それでも領土国家は氏族社会に支えられていた。このような傾向は、漢代まで継続される。すなわち、それまでは、国家の統治は貴族なり、土地の長老なり、自律的になされていた。それが、武帝の政治改革以後、漸次この自律性が喪失されていく。「独裁」の伝統は、実にここに始まる。 漢が滅亡した後の中世は、一般に貴族社会といわれる。しかし、この貴族たちに政治への関心はなかった。ひたすら、文化人に徹する貴族であった。宋代に始まる君主独裁制の強化は、こうした無責任な貴族を排除する必要から生まれた。明代における宰相の廃止は、いよいよ政治的領域から皇帝以外の者たちを締め出すのに役立った。もはや、皇帝以外に、政治に責任をもつ者はいなくなったのである。「独裁」以外に、中国を統治する手段はなくなった。 中国が「独裁」を脱せない責任の一端は、中国人民にある。彼らは政治にそっぽを向き、治乱興亡の局面にならない限り、政治に参加しようとはしない。このような中国を統治するには、「独裁」をもってするほかない。へたに「民主主義」を導入すれば、混乱するのは必至である。この意味において、中国共産党政権は、歴代王朝と同様に、中国文明を受け継ぐ正統な政権である。中国に曲がりなりにも秩序をもたらす、正統な政権である。 このことはしかし、「独裁」が正当であることを意味するのではない。それは、悪しき慣習である。中国文明の歴史が堆積した、ヘドロのうちの1つである。このヘドロは、除去しなければならない。だが、下手に除去しようとすれば、中国文明という生命体それ自体を傷つける恐れがある。不治の病を治そうとして、寿命を縮ませるようなものである。私自身は、不治の病とは思っていない。悪しき慣習であるが、除去できる慣習である。 われわれは、悪しき慣習に替わって、良き慣習を樹立する必要がある。それだけが、悪しき慣習を除去できる手段である。良き慣習を樹立するには、長い時間が必要である。百年単位の忍耐が必要である。また、現在の時点において中国文明を再建するのであれば、必然的に西洋文明をも学ぶ必要がある。西洋文明は、良くも悪しくも全世界に影響を与えているからだ。しかして、いまやその西洋文明の病にかかっている。中国文明は、病を持ちながらも、現在まで生きながらえてきた。来るべき新文明は、必ずや両者の融合したものであろう。そのときにこそ、「独裁」は解消されるであろう。 以上で、『中国文明の歴史』全12巻の解説は終了である。