部落問題解決に覚悟はあるか!?
新法と部落問題-神戸市の同和対策終結の教訓から部落問題解決に覚悟はあるか⁉部落問題の解決には覚悟が必要 新法が同和対策の継続と復活に根拠(相当弱いですが)を与えることになりましたので、最近、「神戸市では『同和対策』が完全に終結しているのになぜ他の自治体ではできないのですか?」とよく聞かれます。 そこで改めてその教訓について整理してみました。その中で明確になってきたのは、少し恰好つけますが、今流行りの「覚悟はあるか?」でした。 1、八鹿高校事件―神戸市の覚悟 人権連神戸人権交流協議会は部落差別解消推進法(新法)が成立した直後の1月25日、神戸市と懇談をおこない、新法に対する基本的態度について質しました。 神戸市の担当部長は、宮崎辰雄前市長の「同和4原則」をわざわざ引用し、その基本精神を踏まえ、①公正・民主・公開の同和行政を支えた行政の主体性を堅持する。②同和対策の終結と一般行政への移行を明確にした、「平成14年度以降の同和行政のありかた」を堅持する。③「同和地区」(かつて同和対策を実施した地区の意)の改善と自立促進は一般対策を充実して行うと、新法ができても従来の基本方針に変わりがないことを明言しました。 こうしたブレない姿勢の背景となる「同和四原則」とは、1974年11月に「解放同盟」によって引き起こされた八鹿高校事件の直後に開催された定例市議会において表明されたもので、その内容は、①差別の実態を正確につかむ。②「長期計画」の精神にのっとり施策をすすめる。③公正・民主的な対応していく。④行政の責任において進めるというもので、いかなる暴力的介入も許さず、部落差別を解消するために主体的に事業を推進するという原則を示す画期的なものでした。 2、家賃の適正化―運動団体の覚悟 この原則に基づき、同和特別法下において同和施策住宅(公営住宅)家賃の家賃適正化(1982年7月)の取組をすすめました。同和施策住宅家賃を一般住宅の50%に引上げるだけの見直しであったためか、当時、北九州で「解放同盟」の暴力・利権あさりを勇気をもって告発していた著名な『小倉タイムス』の編集長瀬川負太郎氏から、「馬の上に狐を乗せて引くようなもの」(氏の見地からいえば中途半端な見直しであったらしい)だと揶揄されました。 しかし、家賃の値上げは居住者の日常生活に直結する重要課題であり、「解放同盟」の扇動もあって、同和施策住宅の居住者だけでなく、全住民を巻き込む大議論となりました。関係地区で開催された住民説明会はヤジと怒号、灰皿、椅子が蹴られ、ひっくり返るなど大紛糾しましたが、神戸市は行政の主体性を発揮し、「部落問題を解決するためには家賃の適正化は必要」という姿勢を貫き通しました。当時の管理課長は市長から「死ぬ気でやれ」といわれ、高額の生命保険に入って説明会に臨んだそうです。(少しおおげさに思いましたが、そんな雰囲気ありました)この時、神戸人権交流協議会も組織の存亡をかけました。親しい居住者からは「全解連(当時の団体名)に裏切られた」という批判を浴び、組織内からも「家賃は安い方がいい」という意見が出ました。それでも「組織がなくなってもかまわない」という覚悟で、神戸市を支持し、地元住民団体とともに住民を説得し、最終的には合意をとりつけました。 この合意形成を通じて、「同和地区住民」に同和対策は一般地区との格差を是正するための特別対策であり、部落問題解決するためには自立が必要であるという認識を定着させ、その後の神戸市の同和対策の基本方向と運動団体の責任を明確にさせたのです。 誠に言いにくいことですが、福岡をはじめ九州の各自治体においては同和対策が依然として継続されています。前記の瀬川氏の揶揄は的外れです。「部落差別をなくす」という使命感をもち50%の見直しをすすめる覚悟のない自治体に同和対策の終結はできません。 3、震災復興に部落差別を持ち込まないー神戸市同対協の覚悟 神戸の「同和地区住民」にとって、この一般対策への移行時期は住宅・生活のあらゆる場面において、極めて過酷な状況のもとにありました。新自由主義に基づく「構造改革」による教育・福祉の切り捨てが進められる中、阪神・淡路大震災(1995年1月)に襲われ、住宅・生活は甚大な被害を受け、公的支援制度のない中で住宅・生活を自力再建しなければならない苦難の時期と重なりました。 しかし、こうした中でも、2000(平成12)年7月から同和対策の終結と一般対策への移行について、神戸市同和対策協議会(神戸市同対協)において論議を始めました。物的事業の完了、個人施策の完了の状況を踏まえ、同和問題の解決は同和対策の終結、一般対策への移行しかないことが確認されました。 審議の当初、当然ながら一部の委員から、震災の被害状況を踏まえて、個人施策だけでも継続するように提起されましたが、ほとんどの委員が、「市民が同じように被害を受けている」「震災復興に特別対策はなじまない。逆差別を生む」という観点から受け入れられることはありませんでした。 4、同和対策終結―「同和地区住民」の覚悟 約一年間にわたる神戸市同対協の審議期間中において、同和対策の終結と一般行政への移行は「同和地区」の住民からもみるべき反対意見も反対運動もありませんでした。これは神戸市と運動団体、神戸市同対協の覚悟を示した「同和4原則」の精神と同和施策住宅家賃の適正化の教訓が定着していたからであると考えます。同和対策は2001(平成13)年9月に出された神戸市同対協の「神戸市における2002(平成14)年度以後の同和行政のありかたについて」の答申に基づき、激変緩和措置途中の個人施策を除き、同年3月に基本的に終結しました。当然ながら個人施策も計画通り終結しました。 同時に、神戸人権交流協議会は同和補助金(委託事業費)をすべて法期限内に返上しました。その理由は、激烈な家賃適正化運動、震災復興支援を通じて得た、会員と住民に依拠して運動すれば道は開けるという確信。「同和地区住民」が困難に直面していることを知りつつ、「部落差別をなくす」という大義のために、同和対策の終結と自立を提起する運動団体が同和補助金をもらい活動することは住民への裏切り行為であると考えたからでした。神戸人権交流協議会も覚悟を決め、自主財政を確立し、市民団体として自立することを決意したのです。 5、新法制定―運動団体も覚悟を示せ 部落解放運動は自治体からの同和補助金(委託事業費)によって支えられてきました。自治体が支給する理由は同和対策事業推進を円滑に進めるための協力費であり、地元調整のための経費であり、同和対策の一環でした。ご承知のように、部落解放運動は部落差別が発生したら対応するというどちらかといえばカンパニア的な運動でしたから、労働組合や政党のように組織を広げ、自主財政で専任職員を雇い運動を維持することは困難な側面がありましたから、同和補助金は「解放同盟」も人権連(当時・全解連)にとっても大きな支援となりました。自主的運動団体が自治体の「お金」(国民の税金)で運動するなどということは常識的にはありえないことですが、「同和対策の推進」という大義によって成立していたのです。しかし、この同和補助金は同和対策の一環です。同和対策事業の終結とともに解消すべき性格のものでありながら、同和特別法の終結後も多くの自治体が運動団体の意向をおもんばかって継続的に支給しているのです。今回の新法制定の背後には、「解放同盟」や「同和会」などの組織的衰退があるといわれています。同和対策の終結とともに進む同和補助金の削減は組織基盤を揺るがしているようです。そこでまだ「反共団体」として利用価値があると考えている自民党が新法で支援していこうという意図から生まれたもののようです。部落問題を政治利用してはいけません。間違いのもとです。 「必要でない。行き過ぎた同和対策」は逆差別を生むことは明白であり、新法の精神に反することはいうまでもありません。特に、自主的な財政で運動すべき部落解放運動が自治体から同和補助金をもらって運動を継続しているなどは常識を逸脱しています。特に、同和対策の終結を要求しながら一方で同和補助金をもらっている団体は、覚悟を決めて直ちに返上すべきであると考えます。