カテゴリ:短歌
5月2日(木) 近藤芳美「土屋文明」より(57) 岩波書店近藤芳美集第七巻「土屋文明…鑑賞篇」よりの転載です。 『少安集』より(1) 人すてて去りたる炎守りつつ時ありき潮(しほ)の高くなるまで (昭和十三年) 磯の岩の上に、たれかが焚火をしていた。その男が残して立ち去った炎を守りながらしばらくうずくまっている。曇りのふかい冬の海べなのであろう。いつの間にか岩によせる潮も高くなっていた。そういう意味の歌である。「十二月某日」と題する『少安集』の巻頭の一連の作品の中の一首。孤独感ともいうべきものが重々しい抑揚で歌い出されている。 「黒ずみてふかき陰もつ黄土(はに)の崩れ曇はなべて海陸(うみくが)のうへに」「大きなる崩れの上の小竹(ささ)の葉のなびかふ辺より陰はふかしも」「岩の間に小さき炎人去れば見つつ居りたる吾よりゆきぬ」「火をまもり渚にひろふ芥よりある時の香(か)は幼き記憶にかよふ」「いく人(たり)かかげさして人の過ぎたりと思ふ心の乱ることなし」「砂つみて去りゆく舟の上にして炎は人の間よりみゆ」などの、格調の高い、情感の深い作品が同じ一連の中に並んでいる。彼の作品はこのころから目だって重厚なものを加えて行く。 桂の葉吹かれてふたつ空にあり黄にひるがへる伴ふがごと (昭和十三年) 谷の空に、桂の落葉が風に吹かれて漂っているのであろう。今二枚の落葉が、あたかも相呼ぶように、相ともなうように明るい秋の光に黄にひるがえっている。清澄な作品である。 桂は山地に自生する落葉喬木。その葉は広卵形をしている。「桂黄葉」と題する歌。「いづくにかよせむ思を歩み来てこの長谷(ながたに)の立つ岩の前」「巌には夕べと思ふかげくらし昼なかばなる天(あめ)の光に」「虫が哭(ね)は夜なく虫のこゑにしてひるの光にとぎ澄まし鳴く」「さはさはに靡くいはほの上にしも木草(きくさ)の色のはやひとつならず」などの作品が並んでいる。いずれも均整のとれた、古典的な格調をもった歌である。表現は細部まで繊細な神経が行きとどき、余剰の枝葉をとどめない。その清潔さは同時代の歌人中にほとんど類を見ないほどだともいえる。土屋文明の作品を論ずる場合、この精緻な表現技巧の一面がとかく忘れられがちである。一首の完成のための深い用意が見逃されがちである。彼の短歌には数学者の計算がある。 (つづく) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.05.02 07:25:48
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