カテゴリ:思想
5月8日(水) 山桝忠恕先生のイギリス滞在記 「東も東西も西」師弟友情通信――(上)(175) 同文舘発行(昭和41年)山桝忠恕著「東も東西も西」より (注)わたしは、39年40年に山桝ゼミに在籍しました。 「栄光の都ロンドンの明暗」(2) 第二に、つくづくと感じますことは、お互いこれ以上貧乏はしたくないナァということです。この国は久しいあいだ世界の富と人口との大半を支配し、この国いなこのロンドンという一個の街だけのために、世界の隅々から自己の生活に必要にして余りある物資を、思いのままに調達しておりました。しかし、落日の様相は、いまや覆いがたいものがあるかにも窺がえます。 因みに、この国が落ち目になりはじめたのは、第二次大戦以後のことでなく、すでにそれよりは、かなりまえ、かの中国や印度の覚醒、カナダや豪州の成長などにより、今世紀をむかえるころから早くもその兆候が現れはじめておりました。そしてそのために、一時はヒステリックなくらい、他国の政策や権益にまで、いちいち干渉の手を延ばしたものでした。しかし、もはや大勢は挽回しがたく、どうにもならないと悟ってからのこの国は、その持ち前の辛棒づよさにものを言わせ、むしろ自国民の生活水準を他国民のそれのレヴェルにまで引下げることにより経済的なツジツマを合わせるべく、簡単には真似のできかねるほどの耐乏生活に入りました。十年前のこの国の一人あたりの国民所得は日本の四倍でしたのに、昨年のそれは三倍そこそこですから、この十年間においてだけでも、相対的には、ずいぶんと落ち込んだことになります。しかも、三倍とは申しましても、実質的な暮らしの中味は、いまや日本のほうが華やかだとさ え申せましょう。そこで、この紳士の国を自負してやまない英国にも、かの「衣食住足リテ礼節ヲ知ル」という諺を裏書するかのような現象が、多少は目につくことになります。 (つづく) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.05.08 07:34:12
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