カテゴリ:思想
5月15日(水) 「幸福論」(ヒルティ)(第二部)(322) ヒルティ著草間平作訳 発行所 岩波書店(1935年5月15日) (注)あくまでも、訳に忠実にしていますが、簡略化や意訳や 表現の変更(例えば、「…である」を「…です」に変えたり)し ています。それもすべて自分自身のためです(後藤瑞義)。 キリスト教序説(24) (前日)時には神のために、または公益のために、財産の一部をさき、さらに必要とあればその全部をなげ出すことをためらったり、いやがったりしてはなりません。とにかく、そうしたことを要求されたときにそれすることができる人が、神の国にふさわしい自由な人間です。なお、人はしばしば生涯のさまざまな時期に、こうした試練に出会うもので、まだ一度もそのような試練を受けたことがないならば、その人の内的生活にとっても、また神の恵みという点からも、それは決して良い徴候とはいえないのです。 (よりつづく) そうした試練は、時にはただその人の意志をためすだけにとどまって、その意志の従順が示されたら、神は彼にあえてその実行をまで求めることはしないことがありま。また、一般にその試練をいっそう耐えやすいように終わらせるものです。しかしまた時には、ヨブの場合のように、全部の財産を実際に失ってしまうこともあります。しかも、必ずしもそれが最後に倍になって償われるとはかぎらないのです。とはいえ、もしその人がただ途方に暮れて、とめどなく愚痴をこぼしてばかりいないで、神になぐさめを求めるなら、つねにそれに対する完全な慰めだけがあたえられるのです。 (つづく)お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.05.15 06:43:32
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