テーマ:ぶらり見て歩き(276)
カテゴリ:アルバム
でね、二上山にも登ろうと思ってたんだけど、山登りは紫外線や虫や木の枝のことを考えたら長袖にしようと思ってたんだけど、この日の陽射しときちゃぁ、もう真夏みたいにギラギラしてて、こりゃぁやっぱ半袖でなくちゃぁ暑くてかなわないぞって思ったんだ。 ところが山に合ってそうな気にいる半袖が見つからないんだ(^_^;) それに、いよいよ暑くなったら半袖でも脱ぎたくなるかも知れないなんて思ったらTシャツもお気にのでなきゃ嫌だ!なんて思って探しまくってたもんだから出発は10時を過ぎてしまったんだよぉ(>_<) 馬鹿だね…(^^ゞ で、出発したんだけど、予定としては 当麻寺→二上山(大津皇子のお墓)→橿原考古学研究所付属博物館→箸墓→ホケノ山古墳→初瀬ダム→長谷寺 って、いっぱいなんだけど二上山登山が入ってなかったらどおってことのない予定なんだけど、時間のことを考えたらちょっと二上山が不安だった。 書いてみたら、なんかとんでもなく長い記事になってしまったので、面倒な人はアルバムの写真だけでも観てやって!(^^)
ここから下の写真は、クリックしたら大きい写真にリンクするよ♪
で、その先の竹内街道に入ったところにある道の駅「近つ飛鳥の里太子」に寄った。 おにぎりでも買おうと思ったんだけど、この道の駅の奥に、裏の川を渡るための幅1mほどの細い橋が架かってて、250m先に「竹内街道歴史資料館」というのがあるって書いてあるんだ。 竹内街道というのは、シルクロードの終点とかよく言われてて飛鳥時代からある古道なんだ。 小野妹子が随の煬帝に届けた聖徳太子の「日出国の天使よりつつがなきや」とかいう親書もこの道を通って持って行ったに違いないし、中国からの使者もこの道から明日香にはいったんだ。 こりゃあ行くしかないでしょう! 時間ないのに…(^_^;) でも行って良かった♪ 一番興味深かったのが、竹内街道の始点が堺市の「大小路」という所だということだったんだ。 実は僕は小学生の時に2年間、大小路の交差点のすぐ近く歩いて一、二分とこに住んでたんだ! 全然知らなかった。 今度、大小路にも行ってみようと思う。 そんなことをしてたもんだから当麻寺は12時を大きく過ぎてしまったよ(^_^;)
でね、光彦が当麻寺に到着した日に、住職夫人にお茶請けに出してもらった当麻名物「中将餅」というのを食べたかったんだけど売ってないので奥院の宝物館のお坊さんに訪ねてみたんだ。 そしたら、近鉄当麻寺駅前の中将堂でしか売ってないと言われたもんだから、二上山に登る前に、当麻寺駅前に中将餅を買いに行った。 またタイムロスだよ(^_^;) あっと、言い忘れちゃいけないのが中将餅というのは中将姫から来てて、当麻寺の宝物館には中将姫が一夜で織り上げたという当麻曼荼羅が展示してあった。 一辺4.5mという大きな曼荼羅でとても美しいものだったよ! で、デイパックに中将餅とお茶とスポーツドリンクを詰め込んで当麻寺の裏から二上山に登った。
光彦は革靴で登ったんだけど、そんなことをしたら滑落するかもしれないって思う場所もたくさんあったな。 途中へばってしまってコース横に座って休憩してたら上からお爺ちゃんが降りてきたので 「鞍部はまだ遠いですか?」って訊いたら 「もう、すぐそこだよ。ほら、そこに見えてるよ。」って教えてくれた。 それはもう嬉しくて、また頑張れたよ。 でも、そのお爺ちゃんは嘘つきで、そこから鞍部まではまだ遠かったんだけどね…(^^ゞ 鞍部では、たくさん休憩をとってから大津皇子のお墓のある雄岳をめざした。 『箸墓幻想』では、鞍部から光彦は雌岳を、有里は雄岳を往復してから、あらためて二人で雄岳経由で香芝側に降りたのだけど、僕には雄岳に真っ直ぐ行く体力しか残ってなかったんだよね。 僕はGTホーキンスのトレッキングシューズを履いてたのに、革靴の光彦に負けてたのは情けないと思ったよ(^_^;) 充分休憩をとったから鞍部から雄岳山頂の大津皇子のお墓までは休憩なしでなんとか登れた。
ほとんどの登山者はこのお墓にはよらずに少し離れた登山道を素通りして行ってくれたのも良かった。
お腹が膨れたら、なんだか眠たくなってきたんだけど、この時点でもう午後3時! まだまだ行くところがいっぱいあるのに眠たいなんて言ってる場合じゃないと気合を入れてとっとことっとこ山を下りた。(その二へ続く) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年10月01日 03時24分27秒
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