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バック・トゥ・ザ・フューチャー3の観後感想文を先週書いたけど、何をどうでもええ事ばっかり書いてたんやと情けなくなった。
もっと書かなアカン事がいっぱいあるねん。 しやけど、来週になったら、また書かなアカン事を思いつくんやろうけど、とりあえず、今、書きたい事を書く。 1955年で、ドクのお墓を見つけた時に、ヒルバレーの歴史を調べるくだりがあるでしょ。 あの時、ドクは 「先祖がヒルバレーに来たのは1908年、当時は名前はフォン・ブラウンだった。第一次大戦の頃父が名前を変えたんだ」と言ってる。 これさぁ、フォン・ブラウンといえばドイツでV2号ロケットを、アメリカでサターン5(ファイブ)を作ったウェルナー・フォン・ブラウン博士しか思いつかへんでしょ。 ウェルナーは第二次大戦中はドイツでV2号ロケットを開発し、イギリスを震え上がらせたんよね。 そして戦後にドイツからアメリカに渡りNASAの宇宙開発に加わるねんね。 だから、ドクはウェルナー・フォン・ブラウンと何らかの関係があると思えるような仕掛けなんやろね(^^ゞ でね、実は僕はフォン・ブラウン博士の講演を生で聴いてるねん。 同時通訳のイヤホン付きの講演会なんか、後にも先にも、ブラウン博士の講演会しか経験ないし強烈な印象を持って覚えてる これは、その講演会の招待状↓ 講演会の内容を書いてある冊子もあったんやけど、今は亡くしてしまった。 しやから、1985年にバック・トゥ・ザ・フューチャー3を初めてみた時は、このフォン・ブラウンの名前が出た時はゾワゾワとしたな。 この映画館の中にフォン・ブラウンと直接会ってる人間なんて僕しか居ないやろうと思ったしね! だけどね、ウェルナー・フォン・ブラウンとドクの関係って、どういう事が考えられるのかをちゃんと考えた事がなかったんよ。 で、ウェルナーの生年月日や生誕地や没年などをウィキで見てみた。 ウィキによると 生年月日:1912年3月23日 生まれ:ポーランド ビジスク 死亡:1977年6月16日アメリカ合衆国 バージニア州 アレクサンドリア これさぁ、意外な事にドクとウェルナーの年齢差はそんなにないよね。 ドクがフォン・ブラウンの名前を口にした1955年にウェルナーは43歳でアメリカで生きて存在してるんよ! これって、ドクとそんなに歳が離れてないのんとちゃうのん? っていうか、どっちが年上かも、パッとは判断でけへんやんか! 仮にドクの年齢も43歳だとしたら、1985年のドクは73歳。 ちょっと歳をとり過ぎのような気もするけどあり得ない事でもないやんか。 もしかしたら、なんか時空連続体をいじり過ぎておかしくなった世界で、ドクとウェルナーは同一人物なのに二人の存在になってもうてるんかもしれへんね(^^ゞ で、上の招待状の写真やけど、ウェルナー・フォン・ブラウン博士の左にあるのは月球儀で、後ろにあるのはアポロ宇宙船を乗せたサターン5ロケットやと思う。 サターン5は色が白黒やねんけど、この写真はモノクロで画質が悪いから、なんや銀色みたく見えて違ってたらごめんなさい。 一応ウィキの、サターン5の写真を貼っておくね↓ でね、このサターン5ってロケットは、ただただ人間を月に送り込む事だけを目的にブラウン博士らによって開発されたロケットなんよ。 とにかく、1960年代のアメリカは、人類を月に送るというソ連との負ける事の出来ない戦いに莫大な資金を投入して頑張ってたんよ! ブラウン博士とサターン5は、アメリカとソ連との月レースにアメリカが勝利したことの象徴やったんよね。 だから、この招待状の写真のブラウン博士の横には月球儀とサターン5があるわけよ! でね、このバック・トゥ・ザ・フューチャー3では、ドクとクララとのロマンチックな月面観測のシーンがあるよね。 この映画の脚本ね フォン・ブラウンと月。 そして、1885年という、この映画の舞台の直前に書かれてる、ジュール・ヴェルヌの「月世界旅行」。 これは、この映画の中で大きな比重を持たせて入れ込んでる要素やと僕思うんよ。 あのドクとクララのロマンチックなシーンで、ドクがクララから月旅行が出来るようになるかを尋ねられて 「もちろんですよ、もっとも今から向こう84年間は無理ですし~」と、めっちゃ細かい話をするやんか。 この時、突っ込みの人やったら 「えらい細かいなぁ」と突っ込んでくれるんやろうけど、クララはスルーしてたなぁ。 で、この1885年から考えての向こう84年という時間なんやけど、計算すると 1885+84=1969 そうやねん、アポロ11号が月面に人間を送り込んだのが1969年。 これねホンマに無茶苦茶な話でね、1961年にケネディ大統領が1960年代の終りまでに、アメリカは人間を月に送り込むと宣言してまうんよ! ウィキで観たら「10年以内」と書いてあるけど、当時は「1960年代の終わりまで」という文言が世界にあふれてた。 どっちが正しいのかは知らないけど、当時の人達は、1960年代の終りまでと信じてた。 そして、それは実現されて1970年の大阪万博のアメリカ館で月の石が展示されてんね。 でね、NASAは人類を月に送り込むために、 一人乗り宇宙船マーキュリー 二人乗り宇宙船ジェミニ 三人乗り宇宙船アポロ と8年かけて計画を進めて、1969年7月に月に行くんよ。 その模様は全世界にテレビで生中継された。 たったの8年で月に行ってまうんよ。 日本なんか、リニアモーターカーによる新幹線の模型を1970年の万博で展示してるのに、50年経った今でも走ってないねんから、しょうもない国やと思うわ。 しかも、静岡県知事の川勝平太さんの反対で、また遅れるらしいやんか。 今回のコロナ禍で、僕、ほんま思ったんやけど民主主義って、ろくなもんとちゃうよな。 少数意見だろうが、反日だろうが声が大きい厳つい人の意見が通る国って嫌やわぁって思う。 まぁ、月に行く事を目指して国が一つになるなんて事はどうでもええねんけど、コロナ禍に襲われた中では、挙国一致みたいな体制で頑張らなアカンと思うのに邪魔ばかりする人たちはどうかと思う。 とにかく協力して、コロナ禍が終わったあとで追及するべきことは追求して、責任を取らせたらええのに、その最中で足ばかり引っ張るってどうかと思った。 日本が侵略されて戦争になったりしたら、作戦行動一つも反対派に阻止されて、何にもできないうちに国が滅びてまうんとちゃうかと思うわ。 今回のコロナ禍で、そういう思いをもったわ。 でね、1969年7月に月に行ったアポロ宇宙船の形ってどなんだか知ってる? 円錐形をしてるんよね。 ほら、チョコレートのアポロの形。 あれが、アポロ宇宙船の形やねんね。 サターン5の先のほうについてる円錐形のやつ。 あのアポロ宇宙船の基本設計が意外なほど早い段階に考えられてたのを僕は発見したんよ。 1961年にケネディ大統領が月行きを宣言したでしょ。 で、1963年に暗殺されてまう。 暗殺されたから余計にケネディの宣言を成し遂げようという思いが強くなったのかもしれへんね。 で、ケネディが死ぬ前に、もうアポロ宇宙船の形が考えられてた証拠を僕はみつけたんよ。 この写真は、ケネディの宣言から暗殺までの間に出版された「SFマガジン1962年11月号」の中の「さいえんす・とぴっくす」のページ↓ ちゃんと、アポロの形をしてるでしょ。 文章でも、ちゃんと書いてある↓ 雑誌の表紙↓ バック・トゥ・ザ・フューチャー3を、パッと見終わったあとでは、その壮大なストーリーのせいで、細かいところの記憶は、どんどん上書きされて消えてまうんやけど、何回も観てると あぁ、こんな事も言うてた!って事がたくさん出てくる。 たとえば、ビフォード・タネンが、 「インディアンや中国人を除いても12人は殺した」なんて話も、これ、めっちゃ意味深なんよね。 これについても、また、いつか書こうと思う(^^♪ #BTTF #バック・トゥ・ザ・フューチャー3 #バック・トゥ・ザ・フューチャー #ウェルナー・フォン・ブラウン #フォンブラウン #サターン5 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年07月05日 13時31分05秒
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