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カテゴリ:日常
琴子が死んでしまってから、私が生まれてから当たり前のように過ごしていた時間の何もかもが変わってしまい、どうということなかったことに悲しみを覚えたり、寂しさから抜け出せなくなってしまったりして、まだそれも2年前のことだから、年間行事に対して、どのように自分が構えたら良いのか、なかなか身につかずにいる。
2003年の8月31日以来、全てが変わってしまった。 クリスマスは思いの外、寂しく感じることがない。 12月25日に日記でも書いた通り、琴子が天使だからこそ、クリスマスは娘の出番だという親の誇りがある。 全く寂しくないと言ったら嘘になるけど、自分を支える力も強まり、大勢で楽しもうという気持ちにはなれないけど、デパートやテレビなどから流れてくるクリスマス商戦を目にしても、それらを視界から外すことはしないでも済む。 でもクリスマスが終ると同時にやってくる“年末年始”の波は辛い。 この時期は異常に寂しくなる。 琴子を失った年の気持ちの記憶が強すぎて、匂いを嗅がなくても、似た日差しを見なくても、当時の音楽を思い出さなくても、とにかく辛さが先に襲ってきてしまう。 2004年の1月1日、我が家は夫婦二人きりのままで、子供を産んだ後のお正月だから、本当なら楽しいはずのお正月だったのに、喪中となってしまい、お互いの実家にも顔を出さなかった。 朝目覚めて、テレビを点ければ大はしゃぎのタレントの姿と声。 鬱陶しくて、テレビを消して、そして心無い人からの年賀状に傷付いて、夫婦二人きりでいることが息苦しくて、じゃぁ暇だからデパートにでも行くかと出掛けたんだけど、皆が楽しそうで、私達は余計に辛くって、結局すぐに帰宅することにしたんだった。 帰り道、車中で私が寂しいと泣いて旦那を困らせたのを覚えている。 とにかく早くお正月が終わり、皆が日常に戻ってくれることを祈っていた。 2005年、今年はリンズがお腹に居て、私の中では気持ちが二分してしまっていて、リンズには申し訳ないのだけど、妊娠していることを知られたくなかったから、ひっそりとして過ごした。 2004年のお正月と違って、雪化粧をしたお正月だった。 雪って柔らかいから、とにかく琴子を感じてしまう。 嬉しいような、切ない切ないお正月で、早く産んで結果が欲しいと焦る自分と、琴子のときの結果が辛くて怖くて、産めば子供は死んでしまうのではないかという恐怖から、このまま妊娠したまんま、私は一生を過ごしてしまいたいという願いもあったりした。 お正月の賑わいが嫌で、どの親戚にも会わないでいた。 旦那の実家の方には、リンズが生まれるまで一切の報告をしていなかった。 私の実家には連絡をしていたけど、お正月はやっぱり帰る気にはなれなかった。 とにかくお正月が嫌だ。 子供の頃のお正月はやたらと楽しくって、たまにしか会えない従兄弟たちと一日中遊んだり、お年玉を貰ったり、寒いのに外で遊んだりって、とにかくはしゃぐ気持ちばかりが記憶にある。 だからなのかな、あの頃の自分の気持ちを思い出すと、琴子を失ってしまったときからの自分とあまりにも掛け離れていて、眩しすぎるのかもしれない。 “お正月”を直視出来ない。 もう一つの理由がある。 琴子の妊娠を知ったのは、2002年の12月の年末の慌しい中。 2003年のお正月はまさに明るい未来を信じて、希望の真っ只中に居た。 やっぱり私にとっては“お正月”は眩しすぎて、直視出来ないんだ。 今朝からずっと、気持ちが後退しているのを感じる。 いやだな、またあの時期がくるんだって… お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.12.26 22:38:52
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