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テーマ:天使ママの想い(47)
カテゴリ:日常
人が人に「それは諦めた方が良い」と、助言することがある。
おもちゃを欲しがる子供に 「あれは買わないよ、諦めなさい」 というのは定番。 でもじゃぁ、そう言っている人が、実際に見極めよく、諦めながら生きているのか。 正しくは、人は人に「それは我慢した方が良い」と言うべきだそうだ。 我儘を言う子供には我慢を教えることが大事なのであって、自分も出来ない諦めを、子供にだけ強いるのはおかしいそうだ。 この話は、琴子を天国に見送った後、何で知ったのか、いつの間にか私の心の中に残っている。 琴子が見えない生活にも慣れた。 琴子は見えない宝物であることが普通になり、泣く回数も減っている。 それを、もしかしたら人によっては 「琴子ちゃんのこと、諦めることが出来たのだ」 とおもっているのかもしれない。 琴子が死んだ後、ただ泣き暮れる私に 「諦めなさい」 と、何人からも、何回も言われた。 その度に、「諦めるってなんだろう…」と悩んだりもしていた。 泣く回数が減ったのは、諦めがついたからなんかじゃない。 琴子がいないことに、我慢することが出来るようになったのだ。 人と話していて、ヘラヘラ笑っていた私が、誰とも目が合わずにいるときに、ふっと泣きそうになってしまうことは今でもよくある。 泣くことを我慢している上に、常日頃、琴子のいないことを我慢しているのだ。 天使ママさんたちとの交流の中で、この“我慢”をつくづくと感じる。 皆、いつでも我慢をしている。 誰も「子供の死を諦めました」なんて言ってきたことはない。 あえて言葉にはしないけど、皆、我慢している。 そしてその我慢が何処に通じているのかと言えば、皆、いつか天国で先に逝った我が子に会える時なのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.01.17 00:56:17
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