ただいま巡礼中。              ~日本全国観音霊場総巡り~

2008/10/17(金)21:02

【会津ころり三観音】恵隆寺:立木観音(えりゅうじ:たちきかんのん)

会津ころり三観音(3)

【会津ころり三観音】 山号:金塔山(きんとうざん) 宗派:真言宗豊山派 本尊:千手観世音菩薩 巡拝日:2008年10月12日 ----------------------------------------------------------------- 当初の予想通り、坂東三十三ヶ所巡りは思うように進まない。 鎌倉を巡拝してから3ヶ月が経とうとしているのに、 5番以降を巡るスケジュールがまだ立っていない。 これではいけない、と思っていたら、東北へ向かう用事ができた。 この機を逃す手があるものか! かねてから訪ねたいと思っていた会津ころり三観音を1日で巡る計画を立てた。 実は、会津にも三十三ヶ所巡りがある。 しかし、もちろん1日で三十三ヶ所を巡れるはずもなく、 無住職の寺が多くご朱印を受けるのにも一苦労だと聞いたので、 それはまたあらためて別の機会に巡ることにしよう。 それに比べて、ころり三観音は文字通り三ヶ所だけ。 故郷に近いので軽く土地勘もある。 1日でも余るぐらい余裕の行程で巡れるだろうと、会津盆地へ乗り込んだ。 会津ころり三観音には、札所のように第1番、第2番という順番はない。 どこからどのようにまわっても、そのご利益に預かることはできる。 そのご利益とは・・・? 三観音に巡拝し罪滅ぼしを念ずれば、 人が必ず持ち、ゆえに人に苦悩をもたらす三つの毒、 「貪(どん)=よこしまさ」「瞋(じん)=怒り」「痴=不平不満」から放たれ、 現世を幸福に過ごせるばかりか、死に際しても苦しまずにころりとあの世へ逝ける。 というなんともありがたいものである。 三観音のどこから巡ろうか迷ったが、 この日、三観音以外にどうしても訪ねたかった湯川村の勝常寺にまずお参りした関係で、 (この勝常寺は会津三十三観音霊場の第10番でもあるので、 そのうちあらためて当ブログでも紹介します)、 そこから一番近い場所にある立木観音にお参りすることにした。 立木観音は、恵隆寺という古刹のご本尊である。 会津坂下町、国道49号線の旧道からわずかに北へ入ったところにある。 境内脇に砂利敷の駐車場があって、2~3軒の土産物屋が出ている。 連休中でもあったので、思ったより多くの人たちが参拝に訪れている。 1614年建立の仁王門は簡素な平屋建て。 いかにも田舎の山寺の雰囲気を醸し出している。 赤い提灯を吊り下げたこの仁王門をくぐると、 観音堂までまっすぐと参道が伸びている。 その距離は数10mほどだが、その短い距離の間にも、 福禄寿を祀った祠や阿弥陀如来を安置した三仏堂などがある。 観音堂は、五間四面で立派な茅葺きを被せた和風建築。 鎌倉時代初期の建立で、国指定重要文化財。 正面向拝部分から階段で堂内へ登ることができるようになっている。 向拝の脇から、300円を払って堂内へ入る。 外見のルックス以上に、内部は非常に天井が高い。 ご本尊の正面には「斗帳」と呼ばれる大きな布が垂らしてあり、 その布にご本尊を模したと思しき絵が描いてある。 ご本尊を直接拝む代わりにこの斗帳を拝みなさい、 ということなのかと思いきや、実はこの斗帳の裏側にまわることができる。 そして裏にまわると、そこにはただただ見上げるばかりの巨大な十一面観音さまが! 思わず“うわー”と声を上げるばかりで、ひととき声を失った。 堂内にはこのご本尊に関する案内がテープでエンドレスに流れている。 それによれば、身の丈8.5m。国指定重要文化財。 下からではその表情を見て取ることが不可能なぐらい、とにかく大きい。 こないだ巡拝した鎌倉の長谷観音の大きさには及ばないけれど、 これほど大きな観音さまが会津にいらしたとは・・・と、素で驚いた。 しかも、創られた当時からのものであろう金箔もかなり残り、輝いている。 このお堂同様、鎌倉時代初期の開眼と推定されているから、およそ800年の輝き。 地元の人々の信仰の手で守られてきた証しでもあるのだろう。 立木観音という名前の由来は、この地に立っていた巨木を倒さず、 根を張ったままの状態で彫ったことによるもので、今もその根を地中に張っているという。 こうした観音立像の中では日本最大級の大きさだそうだ。 国の文化財でありながら、観音さまの爪先は自由に触れるようになっていて、 ご利益にあやかろうという無数の人々がなでていったおかげで、 その部分だけが異様に黒光りしている。 そして、さらに驚いたのが、ご本尊の両脇を固める二十八部衆と風神・雷神の仏像群。 ご本尊を彫った際の残り木を使って作られたと伝わる計30体の福島県指定重要文化財。 ご本尊の両側の雛壇状のスペースに所狭しと並んでいる。 かなり急な雛壇で、下から見上げると、ご本尊とも相まって相当な威圧感だ。 そもそも千手観音が本尊である場合には、同時にこの二十八部衆+風神・雷神を配するのが、 本来の祀り方であるとか。しかし、その正法に従っているのは、 三十三間堂や清水寺などごくわずかである、と堂内の案内テープが語っている。 それが本当なのかどうかはわからないけれど、 とにかく、この片田舎でこれだけの仏像群が作られ、 しかもこれだけ傷まずに受け継がれてきたということに、 会津の人々のひとかたならない信仰心を感じ、感動すらおぼえたのだった。 ところで、この堂内には“だきつき柱”と呼ばれる柱がある。 これに抱きついて願い事をすれば成就するといわれていて、 ころり三観音のすべてのお堂に、このだきつき柱があるという。 三本すべてに抱きついて心願成就を果たそうと、まずはここで抱きついた。 観音堂を出て境内をぶらぶらと歩く。 お堂の前には大きなイチョウの木が聳え立っている。 銀杏はもう実っているけれど、葉はまだまだ青い。 会津盆地に紅葉の季節が訪れるのは、もう少し先のようだ。 本堂に向かって右手には、まだ真新しく見える小さな三重塔がある。 小金塔と書かれた額が掲げてある。 恵隆寺一帯の住所は“塔寺(とうでら)”であり、また山号が“金塔山”であることからも、 塔がこの寺の重要なアイデンティティーであったと想像できるわけだけれど、 その塔は残念ながら長年に渡り復興されずにいた。しかし1982年、 境内からかつての塔の礎石が見つかったことで再建の機運が一気に高まり、 その礎石を使って2000年に再建が叶ったという。 かつての塔は仁王門の外にあったそうで、再建された場所は違うのだけれど、 同じ礎石を使うことによって、より往時の姿を偲ぶことができる塔になったわけだ。 こぢんまりとした、しかし非常に均整の取れた美しい塔だった。 本堂前の売店でご朱印をいただき、境内を出て駐車場へ戻る。 駐車場の脇には、これも国指定重要文化財の旧五十嵐家住宅というのが移築保存されていて、 その先には会津盆地の広々とした田園風景が広がっている。 てっぺんが雲に隠れてしまっているけれど、磐梯山も雄大に裾野を広げている。 こうしてみると、ここがけっこう高台に位置しているのがわかる。 恵隆寺は、かつてはそれは大規模な伽藍を誇っていたという。 立木観音は、はるか昔より、この高台から、会津の人々を照らし続けているのだった。 金塔山恵隆寺 福島県河沼郡会津坂下町塔寺字松原2944 tel.0242-83-3171 http://www.tachikikannon.jp/

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