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じゃくの音楽日記帳

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演奏会(2012年)

2013.01.16
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カテゴリ:演奏会(2012年)

続いて2012年演奏会、声楽曲編です。印象に残ったものをあげます。
 
2月 1日 バルバラ・フリットリ マルトゥッチ 「追憶の歌」ほか
 (東京オペラシティ)
2月 9日 バッハ・コレギウム・ジャパン第96回定期演奏会 (東京オペラシティ)
2月29日 聖トーマス教会合唱団&ライプチヒゲヴァントハウス管/バッハ マタイ受難曲 (サントリー)
4月27日 モーツァルト 「ドン・ジョバンニ」 (新国立劇場)
7月 2日 クリスティーネ・シェーファー ソプラノリサイタル (ピアノ:エリック・シュナイダー)(王子ホール)
7月26日 プロムジカ合唱団 (東京オペラシティ)
7月29日 ケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジ聖歌隊 「祈りの歌」(サントリー)
8月31日 クセナキス オペラ「オレステイア」 (サントリー芸術財団 サマーフェスティバル2012)
10月 5日 ブリテン 「ピーター・グライムズ」 (新国立劇場)
11月17日 藤村実穂子 メゾソプラノ・リサイタル (ピアノ:ヴォルフラム・リーガー) (フィリアホール)
11月25日 シャルパンティエ 音楽付きコメディ 「病は気から」 寺神戸亮/レ・ボレアード (北とぴあ国際音楽祭)
12月10日 中島彰子ほか シェーンベルク 「月に憑かれたピエロ」 (すみだトリフォニー)
12月21日 ヴォーチェス・エイト クリスマス・コンサート (王子ホール)

○オペラ
オペラでは、初体験のブリテンの「ピーターグライムズ」が音楽・演出ともすばらしく、感銘深かったです。それからやはり僕の初体験だったモーツァルトの「ドン・ジョバンニ」も、タイトルロールのクヴィエチェンさんが、まさにはまり役ですばらしかったです。モーツァルトの音楽のすごさにもいまさらながら驚嘆し、再認識しました。ことに終盤の場面の音楽の進歩性というか、革新性というか、すごいと思いました。

それから、珍しさにつられて見に行ったクセナキスのオペラがこれまたすごかったです。アイスキュロス原作のギリシャ悲劇、ギリシャの人たちの演出で、山田和樹指揮、東京シンフォニエッタ、東京混声合唱団、東京少年少女合唱隊ほかの演奏でした。チケットをもぎってもらってはいろうとすると、いきなり階段に白い衣装をまとった子どもたちが倒れているという過激な演出で、始まる前から度肝を抜かれました。音楽が始まると、その原始的・土俗的で強靭なエネルギーの奔流に圧倒されました。大きな木を中心にすえた舞台も秀逸でした。字幕も型破りなものでした。普通の字幕も確かあったように思いますが、そのほかに、ホールの壁を広く使ってどんどん重なり合うようにして投影されていく日本語の「字の塊り」がしばしば登場し、音楽にふさわしい勢いがすごくあって、良かったです。意味は良くわかりませんでしたが、それは「字の塊り」のせいではなく、もともとのテキストが良くわからないので、これで良いのでしょう(^^)。それにしてもクセナキス、偉大なり。

バロックオペラは上演が少なくてさみしいなか、北とぴあ国際音楽祭で、このところ途絶えていたバロックオペラの上演が復活したのがうれしかったです。モリエールの台本にシャルパンティエが音楽をつけたという、劇半分・音楽半分の喜劇でした。役者のせりふは日本語で、歌手の歌は原語での上演で、字幕付きで、わかりやすく面白かったし、ハイレヴェルな演奏陣によるシャルパンティエの音楽は、とても素敵でした。

○アカペラ
2012年のアカペラは、少女、少年、大人の3グループを聴きました。

まず少女合唱。ハンガリーの少女合唱団プロムジカを、来日のたびに聴きに行っています。前回は2009年夏でした。しかし福島原発震災が起こり、もう日本では聴けないだろうと思っていました。ところがそのプロムジカ合唱団が、なんと早くも来日してくれました。いつものように完璧なハーモニーを聴けて、心洗われるひと時に感謝感謝でした。・・・でも、今のような日本の状況が、このまま改善されないで続くのでしたら、日本にはしばらく来ないでいただいたほうが、彼女たちにとっては良いことかも、と複雑な思いを抱かざるをえません。

次に少年合唱。プロムジカの3日後に、イギリスの名門、セント・ジョーンズ・カレッジ聖歌隊を聴きました。「祈りの歌」というプログラムで、バードの5声のためのミサより抜粋ほかの魅了的なプログラムでした。貴重な少年合唱の響きではありましたが、プロムジカ合唱団がいかにすばらしいかをあらためて実感する場にもなりました。

最後は大人のアカペラ。イギリスの、ヴォーチェス・エイトという8人組みのグループでした。ウェストミンスター寺院聖歌隊出身の仲間たちで結成したグループということです。前半はしっとりとしたキャロルと、古楽からグレツキまでの宗教的な祈りの曲で、CDで親しんでいたグレツキの名曲「Totus Tuus すべて御身に」が聴けたのは大収穫でした。後半は一転してクリスマスの楽しいキャロル集で、軽やかなジングル・ベルでフィニッシュとなりました。いわば前半がタリス・スコラーズ的なステージ、後半がスィングル・シンガーズ的なステージでした。どちらも高い水準ではありましたが、今回はいまひとつ調子が出なかったのかもしれません、イギリスのアカペラ・グループであればもっと高い水準を求めたい、という印象を持ちました。王子ホールはどちらかというと残響の短めな小ホールですので、アカペラにはちょっときびしい音響のホールかもしれません。

○リサイタル
シェーファーさんが聴き応えがありました。モーツァルト、ウェーベルン、ベルク、シューベルトというプログラム。じっくり聴かせてくれて皆良い中で、ウェーベルンとベルクが、特に光っていました。

藤村さんの日本でのリサイタルもこれが確か3回目となりました。過去2回と同様、今回もマーラーを含むドイツリート・プログラム(シューベルト、マーラー、ヴォルフ、R.シュトラウス)でした。僕は紀尾井ホールに先立って行われたフィリアホールの公演を聴きました。藤村さんはマーラーも良いですけど、彼女の劇的な表現にはR.シュトラウスがよりふさわしいと感じました。アンコールもオール・R.シュトラウスでした。ピアノ伴奏は、繊細な詩情が美しいヴォルフラム・リーガーさん。藤村さんの前回のリサイタル(2010年11月)も、このリーガーさんとのコンビによるもので、非常に味わい深いものでした。

フリットリさんのマルトゥッチは、記事にしたとおりです。折角のマルトゥッチの美しい曲が・・・という結果にはなりましたが、次の機会を期待したいと思います。

○バッハ
諸事情と、多少思うところがあって、数年間続けていたバッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)の定期会員を昨年度でやめました。2012年2月はその最後の演奏会でした。この演奏会では、最初にBWV639のオルガン・コラールが演奏され、そして演奏会の最後には、このオルガン・コラールと同じ賛美歌に基づくカンタータ第177番が演奏されました。

BWV639は、タルコフスキーファンならご存知、「ソラリス」で使われた曲ですね。僕は「ソラリス」でこの曲を知り、映像とともに強烈に焼きついてしまいました。その後、この曲がオルガン小曲集のひとつだということを知り、オルガン小曲集のCDをいろいろと聴きました。曲集の中の一つとして弾いている演奏だと、あっさりしたものが多く、物足りなさを感じることが多かったです。ピアノによる演奏のCDもいろいろと聴きました。そんなとき、ブーニンがこの曲を弾いたCDに出会い、ゆっくりと、深い情感をたたえて弾かれたブーニンのBWV639に、いたく感動しました。「ブーニンもソラリスを見たのだろうか」などと想いをめぐらせたりしたものです。

自分にとってBCJに一区切りのこの演奏会で、BWV639にゆかりのカンタータを聴けたのは、うれしいことでした。今年(2013年)は、いよいよBCJのカンタータ全曲演奏が完結するということですので、ときにスポット的には聴きにいこうと思っています。

あと聖トーマス教会合唱団ほかのマタイ受難曲は、良かったですけれど、現在のカントールであるビラーさんのバッハは、僕にはちょっと相性が悪いみたいで、いまひとつしっくり来ませんでした。2010年12月のドレスデン聖十字架合唱団のマタイには、本当に感動しました。そのことを思い出しました。

○古楽
古楽は、上記したシャルパンティエのオペラくらいしか聴けませんでした。聴けなくて残念だったのは、青木洋也さんのパーセル・プロジェクト。古楽のコンサートは情報がはいりにくく、わかったときにはすでに仕事などスケジュールが入っていることが多く、なかなか聴けないことが多いです。2013年は、できれば古楽をいろいろと聴きたいと思います。







Last updated  2013.01.24 01:24:19
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2013.01.14
カテゴリ:演奏会(2012年)

2012年コンサートを振り返って、続いてはピアノ編です。ピアノリサイタルは6回聴きました。

1月 5日 藤井一興 ピアノリサイタル (東京文化会館小ホール)
2月21日 メルニコフ/ショスタコーヴィチ 24の前奏曲とフーガ全曲 (武蔵野市民文化会館小ホール)
3月15日 リフシッツ/バッハ フーガの技法全曲 (紀尾井ホール)
5月18日 舘野泉 左手の音楽祭2012-2013 左手の世界シリーズ第1回 (第一生命ホール)
11月18日 ウォンウィンツァン ピアノコンサート (浜離宮朝日ホール)
12月1日 チッコリーニ ピアノリサイタル/セヴラック&ドビュッシー (すみだトリフォニーホール)

ピアノリサイタルは、2011年に引き続きウォンウィンツァンとチッコリーニを聴くことができたことが、何よりうれしくありがたいことでした。毎年恒例で聴けていければ、と思います。

あとメルニコフによるショスタコーヴィチの24の前奏曲とフーガ全曲、リフシッツによるバッハのフーガの技法全曲という、ふたつの重量級リサイタルの充実ぶりも、特筆すべき貴重な体験でした。

館野泉さんもますます健在です。今度は全16回の「左手の音楽祭」が始まりました。僕の聴いた第1回は、「新たな旅へ・・・ふたたび」と題し、2004年5月の復帰演奏会と同じプログラムが再演されました。ブラームス編曲のバッハのシャコンヌ、スクリャービン、ブリッジおよび、間宮芳生とノルドグレンという、舘野氏と長いつきあいである二人の作曲家の委嘱作品でした。

2004年5月の館野泉さんの復帰リサイタルは、日本各地で5回行われ、僕はそのうちの東京公演を聴きに行きました。今回と同じ5月18日でした。CDではいろいろと聴いていた館野さんを、それまで生で聴いたことがなく、このときが初めての体験でした。館野さんならではの詩情豊かなピアノが、深く印象に残っています。

今年2013年には喜寿を迎えるという館野さんのさらなる旅は、これまで同様に、実り豊かなものとなることでしょう。







Last updated  2013.01.15 12:45:02
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2013.01.13
カテゴリ:演奏会(2012年)

しつこく、2012年コンサートを振り返るシリーズを続けます(^^;)。
今度はヴァイオリン編です。2012年に聴いたヴァイオリン関係の全コンサートは、以下の8つでした。


 1月13日 アン・アキコ・マイヤース ヴァイオリンリサイタル (紀尾井ホール)
 2月20日 ナイジェル・ケネディ 「バッハ plus ファッツ・ウォーラー」 (東京オペラシティ コンサートホール)
 4月 9日 枝並千花 ヴァイオリンリサイタル/コルンゴルド「空騒ぎ」ほか (東京オペラシティ リサイタルホール)
 4月17日 ヘニング・クラッゲルー 無伴奏ヴァイオリン・リサイタル/イザイのソナタ全曲 (武蔵野市民文化会館)
 6月18日 ララ・セント・ジョン 無伴奏ヴァイオリン・リサイタル/バッハ (武蔵野市民文化会館)
11月 5日 ギドン・クレーメル ヴァイオリンリサイタル (サントリーホール)
11月10日 ラドゥロヴィチ(指揮&Vn),東響/バッハとメンデルスゾーンのVn協奏曲 (東京オペラシティ コンサートホール)
11月13日 ラドゥロヴィチ 無伴奏ヴァイオリン・リサイタル (浜離宮朝日ホール)

圧巻は、断然、クレーメルでした。

あと、ナイジェル・ケネディを聴けた(&見れた)ことが貴重でした。

僕がケネディを初めて知ったのは、彼が1984年(27歳時)に録音したエルガーのヴァイオリン・ソナタ&小品集のCD(シャンドス)でした。そのCDを僕が聴いたのは1992年のことで、その純粋なまばゆい輝きの美しさに魅せられ、たちまちケネディファンになりました。けれどその後すぐにケネディはコンサート・ドロップアウトしてしまい、驚いたものです。そのあと「KAFKA」という、なんとも変わったCDが出たりして、翌1997年にはコンサート復帰しました。 しかしその後に出たCD「クライスラー」(1998年)、「クラシック」(1999年)、「エクスペリアンス」(同)は、僕にはちっとも良さがわからなかったし、それらのジャケットの顔写真はもの悲しげな表情で、この先ケネディはどこに行ってしまうのだろうか、と心配してしまいました。その後のCDでは「EAST MEETS EAST」(2003年)で僕としては久々にケネディの波長にあった自分を感じることができましたが、あとは僕にはピンと来なくて、ケネディへの関心もうすれつつあるこのごろでした。

そんなとき、5年ぶりの来日になるという日本公演のチラシを見つけて、一度はケネディの生の姿をこの目で見ておきたくて、出かけました。いでたちは相変わらずで(パンク・ファッションというらしい)、ジャンルを超えた音楽を仲間と奏で、ストレートパンチのようにして仲 間とこぶしとこぶしをあわせて喜ぶケネディのやさしそうな笑顔を見ることができたのは、音楽を聴いて感動という体験とは違いましたが、貴重な機会でした。 今後も独自の旅を、続けて行かれることでしょう。

それから、4月の枝並千花さんという方のリサイタルがとても良かったです。僕の好きな曲、コ ルンゴルドの「空騒ぎ」を弾いてくれるので聴きにいったものです。プログラムの最初が「空騒ぎ」で、手堅い演奏でした。その次に指揮者のブルーノ・ワル ターが作曲したヴァイオリン・ソナタという珍しい曲が聴けて、これがまた、なかなかに良い曲でした。2012年はワルターの没後50年ということで、それで取り上げたのでしょうか。そしてプログラムの最後はR.シュトラウスのヴァイオリン・ソナタでした。

コルンゴルドの曲をいろいろと初演し、よき理解者であったワルターと、コルンゴルドの才能を早くから絶賛し、コルンゴルド一家と親交のあったR.シュトラウス。この3人の曲を並べた、なんとも素敵なプログラムだったわけです。演奏も良くて、満足でした。コルンゴルドとワルターといえばマーラーも重要人物ですから、「もしマーラーがヴァイオリンの小品を書いていたら、きっとそれも演奏してくれたのではないか」と空想をめぐらせたりもした、充実のひとときでした。

さてクレーメルとほぼ同時期に、ネマニャ・ラドゥロヴィチが来日しました。僕が彼を初めて聴いたのは2007年で、大友&東響の演奏するエルガーの交響曲2番を聴きにいったときでした。プログラム前半で、彼がチャイコフスキーの協奏曲を弾きました。それはまるで違う曲をきいているような、すごく新鮮なすばらしい体験でした。それで彼をマークするようになりました。翌2008年に武蔵野市民文化会館で聴いた、グリーグのヴァイオリン・ソナタも真摯な熱い演奏で、その実力をあらためて思い知りました。そのあと渋谷タワーレコードでたまたまミニ・リサイタルに遭遇して、サインをしてもらったりもしました。

今回は、東響とは、指揮・ヴァイオリンの弾き振りで、バッハのイ短調の協奏曲と、メンデルスゾーンの二短調、ホ短調のふたつの協奏曲というプログラムでした。それから浜離宮朝日ホールでは、バッハとイザイの無伴奏リサイタル。どちらの演奏会も、ケネディほどではないですが個性的ないでたちで、個性的な演奏を聴かせてくれました。しかし今回僕は、両方とも、彼の音楽から過剰なデフォルメ、過剰な自己主張を感じてしまい、彼の音楽世界に入り込めませんでした。

これまでにも、彼の演奏からこのような違和感を少々感じたことは、ありました。しかし今回は、かなり強い違和感でした。特にバッハはそうでした。ちょうど直前に、クレーメルの、自己主張のないすばらしいバッハを聴いていただけに、より一層それを強く感じたのかもしれませんが、それだけではないような気がし ます。ラドゥロヴィチさんが今の路線のまま進んでいけば、いずれ独りよがりの袋小路に突き当たってしまうのではないか、そんな危惧を感じました。それが見当違いになってくれればいいな、と思います。

あとヘニング・クラッゲルーさんというノルウェーの若いヴァイオリン奏者のリサイタルは、イザイの全曲を一夜で弾くという気合のはいったもので、かなり聴き応えがありました。プログラムの詳細な楽曲解説もご自分で書いていて、ためになりました。

ララ・セント・ジョンさんという愛らしい名前のカナダのヴァイオリン奏者のバッハは、我流で大きくくずしたバッハで、僕には完全にはずれでした。ただ、僕にとってひとつサプライズがありました。このときのプログラムはバッハの無伴奏曲3曲がメインで、途中にコリリアーノの小品1曲がはさまれていました。この小品が演奏され終わって拍手が始まると、奏者が客席を見回し、それにこたえて僕のすぐ近くにいた長身の外人が、すくっと立ち上がりました。なんと作曲者のコリリアーノさんがいらしていたのでした!

昔FMでたまたま途中から聴いていた曲が、やがて闇の中に深く沈みこんでいき、その音の静かな美しさとともに、その背後にある不安というか不条理というか、そのとんでもない大きさに、強いインパクトを受けました。これはすごい、なんという曲なのだろう、と思って聴き終わって曲名のアナウンスに集中していると、「コリリアーノ作曲 ハメルンの笛吹き」とアナウンスされました。それがコリリアーノさんを知ったときでした。そのコリリアーノさんのお顔をまさかここで拝見できるとは、ちょっとしたサプライズでした。

以上、2012年コンサート・ヴァイオリン編でした。







Last updated  2013.01.15 16:48:23
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2013.01.09
カテゴリ:演奏会(2012年)
2012年コンサートを振り返るシリーズ、
ここからはマーラー、ブルックナー以外で、印象に残った演奏会を書きます。
まずはオーケストラ。

 2月17日 大植,大フィル/田園、春の祭典   (ザ・シンフォニーホール)
 3月 9日 広上,東フィル/黛敏郎 涅槃交響曲ほか (サントリー)
 3月10日 秋山,東響,神尾/コルンゴルド Vn協奏曲,スクリャービン「法悦の詩」 (サントリー)
 9月21日 佐渡裕/東フィル 映画「ウエストサイドストーリー」 (東京国際フォーラム)
10月15日 フェドセーエフ,チャイコフスキー響/チャイコフスキー「悲愴」ほか (サントリー)
12月22,23日 大植,東フィル/ベートーヴェン交響曲第9番 (22日サントリー,23日オーチャード)

大植&大フィル、2月大阪での田園・春の祭典の完全燃焼に心打たれました。あと大植&東フィル、年末のベートーヴェン第九も、ロマン的で熱い音楽に感動し、いまさらながらこの名曲の偉大さを再認識しました。しばらく歓喜の歌のメロディーが頭から抜けませんでした。

10月のフェドセーエフとチャイコフスキーシンフォニーオーケストラのオールチャイコフスキープロの、魂のカンタービレに感動。悲愴という名曲の偉大さも、あらためて再認識しました。

3月の広上&東フィルは、メインの涅槃交響曲をはじめとして4曲すべてが黛敏郎作品という好企画にブラボーでした。

同 じく3月の秋山&東響は、大好きなスクリャービンの4番お目当てで聴きに行きました。秋山さんの堅実な指揮、東響の高いレベルで聴けました。ただ残念だっ たのは、鐘です。この曲のクライマックスで延々と打ち鳴らされる鐘は、大寺院の梵鐘のようにグオーーン、ガオーーンと腹底に響いてこそ、感動のエクスタ シーに達するというものです。しかし今回はギーーン、ギーーンという、やたらと金属的で耳に刺激的なだけの高音で、いささか感動が萎えてしまったのは僕だ けでしょうか(^^;)。ところで僕の席からは、どこでどんな鐘を鳴らしているのかわからなかったので、終演後に舞台そばに行って、後片付けをしている打 楽器奏者のかたに尋ねてみたら、指し示して教えてくれました。なるほど、雛壇上にバケツくらいの大きさの鐘がおいてありました。東響の所有する鐘かどうか お尋ねしたら、そうではなくて、いろいろな楽器をレンタルしてくれるお店からのレンタルだそうです。へぇー、そういうお店があるんですか、勉強になりまし た。・・・それにしても、この曲のクライマックスでフルオケがびんびんと鳴っている場面で、このバケツ大の鐘ではいかにも悲しすぎます。もっとこう、大きく て重厚な音のする鐘はないものでしょうか。。。予算不足のおり、鐘はあっても、かねがない、のかも??

この3月、涅槃の鐘と、法悦の鐘と、はからずも日露梵鐘合戦となった月でありました。今回の鐘は、涅槃の貫禄勝ちでした!

あ とオケもので変わった企画では、佐渡さんによる、映画「ウエストサイドストーリー」の生オケ伴奏上映が良かったです。映像を大スクリーンで上映し、歌とセ リフは映画の音声をそのまま使用しつつ、伴奏だけはオーケストラがその場で生演奏するというものでした。キワモノかもと、心配しましたが、そんなことはあ りませんでした。僕はこの映画を見たのは初めてで、大スクリーンによる映像に、生オケによるバーンスタインの音楽がきらきらと輝き、感動のひとときでし た。






Last updated  2013.01.10 11:48:20
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2013.01.07
カテゴリ:演奏会(2012年)

もう終わりにするつもりだった2012年の個別の演奏会の感想、ティーレマンのブルックナー7番を追加しておきます。

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指揮:ティーレマン
管弦楽:ドレスデン国立歌劇場管

10月26日
サントリーホール

ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」より前奏曲と愛の死
ブルックナー 交響曲第7番
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ティーレマンのブルックナーを聴くのは、ミュンヘンフィルとの5番、8番に続く3回目です。

オケの音色は渋く美しく、特にホルンは非常に渋い個性的で良い音でした。ブルックナーが良くあうオケです。

ティーレマンの指揮はさすがに心得たもので、細部まで神経が行きとどき、弱音部の緊張感が非常に高いものでした。一方強音部では力まないフォルでオケをゆったり と響かせます。ブルックナーのフォルテの本質が、力むフォルテでなくて力を解き放すフォルテであることを、ティーレマンが良くわかっていることが伝わってきました。また強音での楽節終止時には、音の最後を微妙にディミヌエンドしていました。これはチェリビダッケもとっていた方法で、余韻が美しく響きまし た。

終楽章の堂々たる音の大伽藍は、実にもう立派なもので、終演後にはものすごいブラボーの嵐となりました。普通にいえば文句のつけようがない、完成度の高い、立派なブルックナー演奏でした。大感動された方は多いかと思います。
僕も、その真摯さ、丁寧さには敬服しましたし、貴重なブルックナー聴体験ができたことはうれしかったです。でもその一方で僕は、7番の演奏としては小さからぬ不満も感じました。以下に、そんな屈折した一ファンの心境をつらつらと書いてしまいました。もし読んでいただければありがたいです。

ティーレマンは、第一・第二楽章を抑え気味とし、第四楽章に大きな頂点を作ることを明らかに目指していました。そしてその意図は申し分なく実現されていました。 これがブルックナー4番とか5番とか8番なら、この意図でもまぁいいと思います。それらの曲では、終楽章にもう一つドラマが生成し、起承転結のドラマが展開するからです。でも7番の作りはそれとまったく違います。7番では第一・第二楽章が曲の中心であり、そこに重点があります。語られるべき中核はこれら二つの楽章で語られ終わっています。終楽章それ自体には、生成して展開されるべき新たなドラマはもはやありません。終楽章が始まった時には、もう結論が出ていて、終楽章はその結論を確保・確認するような意味合いを持つ。そのように僕は思っています。

つまり7番は、ちょうど古典派の交響曲の構造的バランスを持った曲だと思います。たとえば古典派交響曲の金字塔たるベートーヴェンの5番の終楽章が、始まったとたんにもう結論は出ているというのと、同じ構造です。シュ-ベルトのザ・グレートも同じです。こういった構造の曲の演奏では、第一・第二楽章をともかく音響的に充分に表現しつくして、意味内容を充分に語りつくすことが、必要不可欠だと思います。それがあってこそ、それら先行楽章の音響内容、意味内容を受けて結論を確認する第四楽章の存在が意味を持ってくる、と僕は思います。

7番の第一・第二楽章は、決して曲の後半に向けての準備ではありません。今回のティーレマンのように第一・第二楽章を抑えて、語るべき内容を我慢して我慢して、精神的エネルギーを解放しないで通り過ぎてしまうのは、曲の構造に背いていると思います。そのあと終楽章で突然どんなに立派に堂々と結論が語られても、その結論に僕は説得力を感じません。

宗教とはあまり縁がない僕がいう資格はないですが、7番の第一・第二楽章が神への祈りだとすれば、第四楽章は神への感謝と言えるかな、と思います。この曲が名曲なのは、祈りと感謝の両方が、深くかつバランス良く表現されているからではないか、と思うわけです。

・・・ブルックナーの7番は古典派の交響曲構造の枠組みで成り立っている曲であり、終楽章自体にはドラマはないということ。そのことを踏まえて、第一・第二楽章の深い内容が十全に表現され、かつその内容をしっかりと受け止める第四楽章になっていること。この楽章相互のバランスが高い次元でとれていることが、僕にとっての7番の名演です。今回のティーレマンは、終楽章に偏ったそのバランスの悪さが、僕は大いに残念でした。(2010年にN響を振った尾高さんも、同じように第一・第二楽章 を抑えすぎ、第四楽章に大きな頂点を築こうとするアプローチで、どうにもしっくり来ませんでした。)


さらに蛇足を承知でいえば、ブルックナーの音楽は、5番を例外として、どこかに頂点がある音楽ではないと思います。どこかに最大の頂点があって、そこを目指して音楽が一点に凝集していく、そういう音楽ではなくて、むしろ拡散していくというか、解放されていくというか、そういう音楽だと思うんです。ことさらに終楽章に頂点を作ろうとする今回の7番での ティーレマンのアプローチは、そういう僕の捉え方とはずれていました。この点でみると、やはりブルックナーでは5番が、もっともティーレマンに合っているのかな、と思うこのごろです。

現在53歳のティーレマン。今後彼のブルックナー演奏は、どう変貌して行くのでしょうか。







Last updated  2013.01.08 00:05:09
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2013.01.06
カテゴリ:演奏会(2012年)

続いて2012年のブルックナー演奏会のまとめです。
2011年に続いて、ブルックナー演奏会に行った回数は少なめでした。
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3番  3月 7日 スクロヴァチェフスキ/読響        (サントリー)

4番 11月 6日 ブロムシュテット/バンベルク響     (サントリー)

7番 10月26日 ティーレマン/ドレスデン国立歌劇場管 (サントリー)

8番  3月31日 大植/大フィル               (ザ・シンフォニーホール)
     6月 7日 ヤルヴィ/フランクフルト響         (サントリー)

9番  6月16日 コバケン/日フィル             (サントリー)
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ブルックナー3番のコンサートといえば、思い出すのが朝比奈隆さんのことです。朝比奈さんの最晩年、東京での最後のブルックナーとなった8番のあと、さらに 3番の演奏会が東京で予定されていて、そのチケットを買って楽しみにしていました。しかし体調が悪化され、結局それは幻の演奏会になってしまいました。手元に残った3番のチケット、そのまま記念に永久保存しておこうかと、かなり迷いましたが、結局払い戻しのために郵送し、手放してしまいました。

ですので今度の3番は、「スクロヴァさんには是非お元気で予定通り振ってもらいたい」とひそかに願っていました。幸いにも無事演奏会が行われ、若々しいブ ルックナーを聴くことができて何より良かったです。スクロヴァチェフスキさんにはいつまでもブルックナーを振っていただきたいと思います。

4番は、記事にしたとおり、ブロムシュテットさんの超名演が、至高の体験でした。

7番のティレーマンについては、このあと独立した記事で書いておこうと思います。立派な演奏ではありましたが、僕には疑問の7番でした。

8番は、大フィルの歴史にまた一つ偉大な8番が刻まれた、その時空間に仲間たちと居れたことにただただ感謝です。

コバケンのブルックナーを聴くのは、2009年の4番に続き2回目です。4番のときはあまり印象がありませんでしたが、この9番は僕にはなかなか良かったです。ちょっとおもしろかったのは、最近の日フィルの技術的進歩は著しく、インキネンや佐渡さんのマーラーとのときに聴かせてくれた輪郭のしっかりしたシャープな音への変貌ぶりに感心していましたが、このコバケンが振ったブルックナーのときは、悪い意味ではなく、それ以前に耳にしていた日フィルらしい音が聞こえてきて、懐かしかったです。コバケンが振ると、オケの中に染み込んでいるであろうコバケンの薫陶が呼び起こされ湧き上がって来るのだろうかと、興味深く思った次第です。







Last updated  2013.01.08 00:33:50
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2013.01.03
カテゴリ:演奏会(2012年)

引き続き2012年コンサートです。

ブリテン オペラ「ピーター・グライムズ」
2012年10月5日 新国立劇場

指揮:リチャード・アームストロング
演出:ウィリー・デッカー
合唱;新国立劇場合唱団
管弦楽:東京フィル

ピーター・グライムズ:スチュアート・スケルトン(テノール)
エレン・オーフォード:スーザン・グリットン(ソプラノ)
バルストロード船長:ジョナサン・サマーズ(バリトン)

ブリテンのオペラを見たのは初めてです。とても楽しみにしていました。その期待どおり、非常に良かったです!

ブリテンの音楽は、北の海べを舞台とする陰鬱で重々しい物語をたんたんと語っていきます。その重苦しさがちょっとしんどいなと思いながら見続けていると、ときにあらわれるアリアの澄み切った美しさにうたれます。たとえば第一幕、少年をひきとるために村の酒場に現れたグライムズが歌うアリア「大熊座とスバルは」。粗暴な言動が目立ち村人たちと気持ちの通わないグライムズですが、彼が北の空の星座を見上げる詩的な心情を歌ったこの孤独なアリアの透徹した美しさは、圧巻でした。アリアの歌いだしの一節をあげておきます。

 大熊座とスバル星は、
 地とともに動き
 人間の悲しみは
 空に雲を生み出し
 深い夜に神々しい空気を息づかせる

・・・こういう音楽の深さは、ブリテンの真骨頂が発揮されるひとつですね。  
 
衣装以外にはモノトーンでシンプルな舞台美術、最小限に切り詰められた舞台装置も、音楽内容に実にふさわしいものでした。夜空に薄明かりをあびてほのかに光る雲の切れ切れの背景が、心象風景として絶妙な美しさをはなっていました。これらを含んだ演出が、過度に自己主張せず、ブリテンの音楽の効果を非常に高めていたのだと思います。見事な演出でした。

グライムズが慕う女教師エレン役を歌ったソプラノのスーザン・グリットンさんは、たまたまその少し前に買ったCD(フィンジの「ディエス・ナターリス」、ブリテンの「イリュミナシオン」「4つのフランスの歌」、ディーリアスの「去りいくひばり」を収録)で歌っていた方でした。このCDでも、イリュミナシオンで素敵な歌を聞かせてくれていました。ブリテンの音楽に相性が良いように思いました。


ロビーにはブリテンが住んでいたオールドバラの家の写真や、ブリテンとピーター・ピアーズなどの興味深い写真がいろいろと展示されていて、幕間にそれらを見れたのもとても有意義なひとときでした。

今年(2013年)はブリテンの生誕100周年ということです。ブリテン作品の、今回のようなすぐれた上演(演奏)に接する機会が、またあればいいなと思っています。

 







Last updated  2013.01.03 12:30:41
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2013.01.02
カテゴリ:演奏会(2012年)

もうちょっと書きます、2012年コンサート。

「月に憑かれたピエロ」を、能と重ね合わせたユニークな舞台を見てきました。一点を除いては本当にすばらしい舞台でした。
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夢芸能 月に憑かれたピエロ
12月10日 すみだトリフォニーホール

作曲:シェーンベルク
演出:中島彰子

ピエロ(ソプラノ):中島彰子
シテ:渡邊荀之助

笛:松田弘之
太鼓:飯島六之佐
地謡:佐野登、渡邊茂人、藪克徳

指揮:ニルス・ムース
管弦楽:オーケストラ・アンサンブル金沢メンバー
      Vn(Va持ち替え)、Vc、Fl(ピッコロ持ち替え)、Clの4人
ピアノ:斎藤雅昭

映像:高岡真也

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プログラムノートによると、数年前の満月の夜、京都・龍安寺で座禅を組んでいたソプラノの中島彰子さんの脳裏に、ふと「月に憑かれたピエロ」のメロディが浮かんだというのです。それ以来中島さんが、この曲を、能と舞台とを重ねて上演したいというコンセプトをいだき、それにむけて準備をすすめ、この上演が実現したということです。

中島さんはシェーンベルクの子どもたちに、この上演の了解をいただいたそうで、プログラムにも彼らからの応援メッセージ文が掲載されていました。本公演にあたっては彼ら(シェーンベルクの子どもたち)の意向がふたつ出たそうで、ひとつにはプレトークで背景説明をしてほしいこと、もうひとつは字幕をつけて上演してほしい、ということだったそうです。

それでプレトークから始まりました。中島さんと、地謡で出演する佐野登さんというお二方が、能の簡単な説明も含めて、この上演のコンセプトやストーリーをわかりやすく解説してくれました。

舞台は、シェーンベルクの音楽に沿って進行し、ところどころに能の部分が挿入されるというもので、かなり楽しめました。

僕はシェーンベルクの音楽はどちらかと言えば苦手なほうで、この曲をちゃんと聴くのは今回初めてでしたが、繊細な音楽がとても美しいと思いました。中島さんの歌と演技も説得力ありましたし、アンサンブル金沢の人たちの演奏もすばらしいと思いました。

一方で、ところどころにはいる能の部分も、シテのおごそかな舞というか所作というか、それと笛や鼓の音も、非常に良くて、シェーンベルクの音楽と違和感なく結合していて、見ごたえがありました。

中島さんはじめ、出演された皆様に心から拍手を送りました。

ただ、唯一の大失敗と思うことがありました。字幕です。
今回の字幕は、舞台中央の背景に大きなスクリーンを置き、そこに映像を投影して作られていました。投影されるのは普通の文字だけではなく、いろいろなイメージを喚起するような映像が多彩に映し出され、その映像の中にときどき文字が出てくるというものでした。その文字の出方が、素直にさっと出てこないで、文字と絵の中間的な画像がでてきてそれが時間をかけてゆっくりと文字に変形していくというような、非常に凝ったものでした。

しかも、その文字が、普通の字幕のように1行あるいは2行ずつ短く出てくることがほとんどなく、数行あるいはそれ以上の長い多量の文字が、詩のようにスクリーンに映し出されるのです。そうかと思えば、歌が歌われているのに、その間かなり長いこと何も文字が表示されないということも多かったです。

思うに字幕の効用とは、まずぱっと見たときにすぐに文字を認識して短時間でそのフレーズの意味を理解するということと、もうひとつは、今歌われている部分の訳を同時に提示することにより、今歌われているフレーズがどういう意味を持つかが理解できるということ、すなわち対訳を見ているように、聴きながら同時に理解できること、この二つの効用が主なものだと思います。短時間に、同時性を持って理解できるという効用です。

しかし今回のような変に凝った提示方法では、じっと見ていてもなかなか文字の形にならないので、結果として長いことスクリーンを見なくては意味がわからないことと、一度に長く詩のように日本語を出してしまうので、現在歌われているフレーズがどこに該当するのかがさっぱりわからない、ということです。これでは、はっきり言って字幕の意味がほとんどありません。

さらに、意味がないだけならまだしも、このスクリーンを使うことが、音楽を鑑賞する上で非常に大きな妨げになってしまっていたのです。それは、ノイズです。スクリーンに画像と文字を映し出すための装置に起因するノイズだと思いますが、かなり大きい送風の音が、上演の最初から最後まで、ずーーーーっと鳴り続けていたのです。こんなに大きなノイズがあるコンサート、ありえないです。

これが大編成のオーケストラのコンサートであれば、まだ被害は多少は少なかったかもしれません。しかしピアノを入れて総勢5人の小編成、しかも非常に繊細で、微妙な音色のうつろいが美しいシェーンベルクの音楽です。この音楽を味わうためには静寂がすごく大事なのに、この大きな送風の音で、台無しでした。

能のときも同じです。虚空にゆらぐ笛の音や、ぽつんと響き渡る鼓の音。これらもまた、静寂の中に立ち現れてこそ、その真価が現れるものです。これらもまた、送風の大きな持続音で、魅力が大きく損なわれてしまったのが、非常に残念です。この笛や鼓、静寂の中で聴いたらさぞかしすばらしかったと思います。

今回の字幕、百害あって一利なし。

この上演自体の価値は本当にすばらしいと思いますので、再演を重ねていったらよいと思います。しかしその際は、この字幕に関して全面的に見直しをしたほうが良いと思います。最低条件として、ともかく音が出ない方法にすることです。そうでないと折角の美しい音楽と能が台無しです。そして上記した短時間に認識できることと、同時理解可能であるということ、すなわち本来の字幕の効用を考えた字幕にしてください。シェーンベルクの子どもたちの望む字幕とは、きっとそのようなものであるはずです。

ユニークであって、かつ上の三要件(無音、短時間認識可能、同時理解可能)を満たすすぐれた字幕は、いくつか見たことがあります。2009年のバッハコレギウムジャパン他によるモンテヴェルディの「ポッペアの戴冠」でのフラッシュ方式、それから2012年8月のサントリーサマ-フェスティバルでのクセナキスのオペラ「オレステイア」などです。







Last updated  2013.01.03 02:10:46
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カテゴリ:演奏会(2012年)

引き続き書きます、2012年コンサート。
2012年11月のクレーメルのリサイタルのことを書いておきたく思います。

クレーメルは大好きなヴァイオリニストです。

もう随分前になりますが、香山リカさんがテレビ番組の中で、クレーメルが大好きという話をしているなかで、「私にとって、クレーメルはジャンルなんです。」と仰った発言が、妙に強く記憶に残りました。そのときはその言葉の意味が良くわからず、「ひとりのヴァイオリ ニストがジャンルっていうのは、なんか変だな」としか思わなかったのですが、その違和感が心に長くひっかかっていました。やがて随分あとになって、その言葉の意味に合点がいきました。

僕の80~90年代はCDをひたすら買っていた時期で、増え続けるCDを収納する場所の問題と同時に、CD をどのように分類してしまうか、ということに悩むようになりました。(いまの若い人だと、CDのような物理的物体としてのメディアから離れることが進んでいるでしょうから、CDの収納なんて話はぴんと来ないかもしれませんが。)当初はレコード芸術誌の分類に従って、「交響曲」「協奏曲」などの分類方式ではじめま したが、すぐにもっと細分化する必要を感じ、作曲家別の分類をとりいれました。マーラーとかブルックナーとかバッハとか、好きな作曲家のCDの多くは、それでほぼ解決しました。困ったのが、いろいろな作曲家の曲が入っているCDです。その中で特定の楽器によるCDは、「ピアノ」「ヴァイオリン」「フルー ト」など楽器別に分類することで大体決まっていきました。

しかしそれでも困るものがありました。いろいろな作曲家の、いろいろな楽器編成の作品が入っているCDです。それからもう一つ困ったのが、たとえばクレーメルが演奏したショスタコーヴィチとシュニトケの作品が入ったCDを、「ヴァイオリン」の分類に入れるのか、それとも作曲家の分類としての「ショスタコーヴィチ」あるいは「シュニトケ」の分類にいれるのか、あちら立てればこちらが立たず、と悩むことが多くなりました。いろいろ試行錯誤を繰り返しているうちに、はっと思いついたのが、そうだ、自分がそのCDを買うのに理由がある、その中で一番主要な理由で分類すればわかりやすいぞ、と思いました。たとえばマーラーの作品だから買ったのなら「マーラー」、ヨッフムの指揮だから買ったのなら「ヨッフム」とするわけです。沢山の作品が入っているCDは、たとえばもしイギリスの合唱曲が沢山入っているので買ったCDなら、「イギリスの合唱曲」とすればいいな、と。

そうしたときに、このCDはクレーメルだから買った、というのであれば、「クレーメル」という分類にすれば良い、と気がついたんです。そう気がついたときに、目からうろこで、あっ、あのとき香山リカさんが言っていたのはこのことなんだ、と合点がいったのでした。これ以後、好きな演奏家のCDがある程度たまったら、それをジャンルにしてしまうことで、分類がだいぶ楽になりました。ちなみに今のところヴァ イオリニストでマイ・ジャンルになっているのはギドン・クレーメルとナイジェル・ケネディの二人だけです。このごろはCDをあまり買わなくなったので、この二人に続いてジャンル入りするヴァ イオリニストは、当分登場しそうにありません。

80~90年代のクレーメルのCDは結構沢山買いました。その中で僕が特にお気に入りなのは、ロッケンハウス音楽祭の音源からアンコールピースを集めたCDに収録されている、アルゲリッチとのクライスラーの「愛の悲しみ」の演奏と、ピアソラの 「ブエノスアイレスのマリア」のCDと、ペルトなどのバルト3国の作曲家の作品を集めた「From My Home」というCD、シュニトケのヴァイオリン協奏曲4番などを収めた「Out of Russia」というCD、シルベストロフの「dedication」と「post scriptum」を収めたCD、などです。

しかしクレーメルを生で聴いたのは、これまで多分2回だけです。最初は、渋谷Bunkamuraのシアターコクーンでの、ピアソラの「ブエノスアイレスのマリ ア」。この曲のCDが発売されて少しあと、クレーメルたちがこの曲を演奏しながら世界を回っているときの一環のコンサートで、もうめくるめく最高のひとときでした。あともう1回は、2000年代にサントリーホールで、バッハとシュニトケをクレメラータ・バルティカと演奏したとき。これもなかなか刺激的な体験でし た。

僕の中のクレーメルのイメージの中心は、同時代作品を、研ぎ澄まされた演奏で世に広めていくシャープな伝道者、でした。そんなクレーメルももう65歳になるということで、今回のコンサートで現在のクレーメルを聴いておきたい、と思いました。今回、4日にわたるスペシャルステージは、協奏曲1夜、室内楽2夜、ソロリサイタル1夜でした。この中ではやはりソロが聴きたくて、最終日のソロの日を聴きにきました。


サントリーホール スペシャルステージ 
ギドン・クレーメルの芸術

11月5日 サントリーホール

バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番
グバイドゥーリナ:リジョイス!-ヴァイオリンとチェロのための (Vc:ギードレ・ディルヴァナウスカイテ)
イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第5番
バルトーク:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ

登場したクレーメルは、白髪で、さすがに歳をとった、という感じを強くいだきました。そして始まったバッハが、信じがたいすばらしさでした。

ク レーメルは、雄弁な自己主張からは遠く離れ、静かに、丹精こめて、ひたすらバッハと対峙するのみです。クレーメルを通じてその場に広がっていくバッハの音楽が、僕の胸にそのまま自然にすーっと入り込み、僕の内から体をあたため、心を清めてくれるような、そんな体験でした。クレーメルという天才がいよいよ円熟の境地に達している、ということを感じながら、ただただバッハの音楽とともに、そこにいさせていただいた、そのような時間をすごしました。

2曲目はグバイドゥーリナ。僕はこの人の曲は、CDで聴いても、まれに実演で聴いても、ぴんと来るものを感じたことがなく、僕には相性があわない作曲家だろうと思っていました。でも今日は、グバイドゥーリナを聴いて初めて感動しました。静謐で、芯のある、祈りの音楽に、心うたれました。

前半終わって休憩。これでコンサートが終わりだとしても大満足、という高密度の時間でした。

後半は、イザイの5番と、バルトークの無伴奏ソナタ。これまで、バルトークのソナタは正直言って僕には良くわからない曲でした。前半のグバイドゥーリナ開眼体験があったので、もしやバルトークにも開眼できるかとひそかな期待をもって聴きはじめましたが、やはりこの曲、僕には良くわからないままで終わってしまいました。折角クレーメルが弾いてくれているのに、勿体無いことでしたが、こればかりは仕方ありません。いずれ自分に、この曲の良さがわかる日が来ることを願うだけです。

クレーメルという天才は、これからもますます深化していくことでしょう。ともかく現在のクレーメルが、すでに途方もないところに立っている。そのことを、半分くらいしかわからなかった僕ですけど、それでも充分に感じ取れたひとときでした。

 







Last updated  2013.01.03 09:37:13
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2013.01.01
カテゴリ:演奏会(2012年)

新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
今年もゆるゆるペースで、ブログを続けていこうと思います。

2012年のコンサートのまとめにとりかかりたいのですが、その前にもう少し、昨年末の書き込みの続きで、昨年印象に残ったコンサートをいくつか書いておきます。まずはバルバラ・フリットリが、マルトゥッチの「追憶の歌」を歌ったリサイタルです。
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バルバラ・フリットリ ソプラノ・リサイタル
2012年2月1日 東京オペラシティ・コンサートホール

ソプラノ:バルバラ・フリットリ
指揮:カルロ・テナン
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

第一部:
 マルトゥッチ 「タランテッラ」(オーケストラ曲)
 マルトゥッチ 「追憶の歌」
第二部:
 プッチーニとチレアのオペラアリアと間奏曲
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オペラ歌手によるオペラアリアを中心としたリサイタルは、僕はあまり興味がなくて、これまで一度も行ったことはありませんでした。今回は、たまたまコンサートのチラシをぱらぱらと見ていたところ、マルトゥッチの「追憶の歌」をやるリサイタルを発見して、これは聴きに行こう、と思いました。


もう20年ほど前、自分に娘が生まれたとき、かなりへこむ出来事がありました。そのときにたまたま、CDでこの曲に出会いました。作曲者の名前もそのとき初めて知りましたが、その歌が、声が、音楽が、胸になんとも沁みこみました。この曲ばかり繰り返し何度も何度もきき、繰り返し涙を流し、へこんだ時期を乗り 越えました。ちょうどその頃に読んでいた五味康祐氏の著作に、悔いと絶望のなかで音楽にどんなに救われたか、という体験が書かれていたのを、氏ほどの絶望状況ではなかった自分ですが、身に沁みて共感した次第です。そのCDは輸入盤で、英文解説から歌の内容の概要が、失われた愛を追憶するというものであることだけはわかりましたが、歌詞の詳細はわかりませんでした。歌詞の意味ではなく、ただただその声と音の響きそのものが、胸に沁み、僕は癒されていきました。


マー ラーのシンフォニーからクラシックにのめり込み、もともと声楽より器楽に嗜好が傾いていた自分ですが、そのときになぜかこの歌がとても胸に響いたのです。 当時、歌という文字のことを考えました。可可欠という、考えてみれば一風変わった要素で成り立っています。この字の本当の成り立ちの意味は知らなかったし、調べもしませんでしたが、自分なりに勝手に、歌とは、「欠」けている自分を、「可」能な限り「可」能な限り、高めていこうとする営みではないか、と思いま した。ちょうど生まれた子どもにも、いろいろなことがあるであろうこれからの人生を、どんなときも、自分なりの歌を歌って生きていってほしい。自分も、自分なりの歌を歌っていこう。そう思いました。

それ以来、マルトゥッチの「追憶の歌」は、僕にとって特別の曲になりました。他のディスクをいろいろ探して、少ないながらも、少しずつ保有盤が増えていきました。そのうちに、僕が最初に輸入盤で聴いていたものが国内盤でも発売され(ソプラノ Rachel Yakar、ダヴァロス指揮、フィルハーモニア管、ASV)、少し話題になったりもしました。また1995年にはムーティがミラノ・スカラ座管と録音し、 SonyからCDが発売されました。ムーティは、さらに2009年にもベルリンフィル・ヨーロッパコンサートでナポリで演奏し、これはDVDで発売されています。

ナポリ出身のムーティは、ナポリで没したマルトゥッチ作品を折に触れ取り上げているということですので、今後少しずつマルトゥッチが世に広がっていくと思います。今回のリサイタルのプログラムにも、フリットリさんはこの曲を、ムーティにすすめられて勉強した、と書いてありました。 ムーティがフリットリさんにすすめ、フリットリさんもこの曲を気に入って、日本の聴衆に聴いてもらいたいと思って今回のプログラムに入れたということですね。ムーティに感謝しなくては。

当日大変楽しみに聴きにいったのですが、僕にとってお目当ての「追憶の歌」は、悲しいできでした。。。


フリットリさんにまったく非はないです。

ひとつには指揮者です。「追憶の歌」は7つの歌からなる歌曲ですが、7つの歌の内容はひとつながりだし、それぞれの最後の和音と次の曲の開始の和音もほぼ同じで作られています。ですので7つの独立した曲ではなくて、全体が完全にひとつの曲というべきものです。しかし指揮者はそのつながりをまったく無視するかのように、曲間に無節操な中断をはさみます。連続して演奏してくれとは言いませんが、休むにしてもデリカシーを持った休み方というものがあると思うのです。この休み方から推して知るべく、曲自体にしても、この指揮者が「追憶の歌」を理解しているとは到底思えない指揮ぶりでした。

オケも、やる気が感じられませんでした。東フィルは、気合が入ったときはすばらしい演奏をするのですが、そうでないときに、ときとして落差が大きい演奏をすることがあり、今回がそれでした。残念至極。。。

後半のオペラアリアは、フリットリさんの魅力が充分発揮され、盛り上がりましたが。

いつか、もっとこの曲の真価を伝える演奏で、「追憶の歌」を聴きたいと思います。

 







Last updated  2013.01.24 23:04:12
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