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テレビを見ていて、貧困層を救おう!という団体の代表が、貧困が幽霊みたいな存在だから、と可愛い幽霊の絵柄のバッチを見せて、貧困にどう立ち向かうか高説を述べていた。
私は思った。 「そんなバッチ作る金があったら、貧困層に恵んでおやりよ…」 この日本で。貧困ってたかが知れてると思いませんか? 例え身体が悪くなっても、しかるべき手続きを取れば、保護されますし。 ホームレスとかの人たちは、望んでああしてるようにしか思えない。 住居が無いから仕事斡旋してもらえない?それすら仮屋を提供してくれるシステムがある。もち税金からね。 働いて食っていこうと思ったら、何とかなるのがこの国だよ。 どこが貧困?某国から怒られますよ。 つまり、本当に食うに困るという事はめったに無いという事です。 だからこそ、食べ物に関しての感謝って希薄になる。 ぼくの地球を守ってという漫画で、植物や動物の声が聞こえる少女(モクレン)が、同じく聞こえる父にその疑問をぶつけ、父が答えるシーンがあります。 植物は摘まれる時に悲鳴を上げるのに、何故「つんでいいよ」というのか。 野菜は「食べていいよ」というのか。 それは摘まれるのが運命だと悟っているから。 野菜は人間に食べられて、その細胞となり新しい命を生きる事になると知っているから。 それが解っているから、植物も動物も悲鳴をあげるけど、運命を受け入れる。 受け入れないのは人間だけ。人間は自分だけ生きようとする。 たくさんの命を食べて生きてきたんだから、精一杯生きる義務がある。 幸せに生きる事が僕らに出来ること。 幸せだけは、神の力を借りなくてもつかめるものだから。 …うろ覚えですが、大体こんな感じでした。 是非コミックを読んでもらいたい。私まだ10代だったんですがボロボロ泣きました。 このセリフに感化されて、食べ物が粗末に出来なくなったんですよね。 今隣県で大変な事がおきています。 酪農家の殺処分の話を読んで、涙が止まりませんでした。残酷な地獄がすぐそこにあるんだ。 「どうせ肉にする予定なのに、何を悲しむのか」 という無神経な事を言う人が居るのですが、肉になる=食べられる事が牛の運命なんです。 その為に生産者の人たちは一生懸命育てているんだと思う。 なのに、その食べさせるという運命を中断させる無念さ。 ただの屍にされ、埋められるしか無いその命。 無念だと思う。本当にやり切れない。 私に出来る事は何だろう…と思ったら、やはり目の前の食べ物を大切に調理して、食べる事しか出来ないのです。 そして、食べ終わったら手を合わせて、私を生かしてくれる命に感謝する。 これ、どんな宗教なんかより大事な事だと思いません? 幸せは神にすがって得るもんじゃない。 身近なもの、当たり前の事に感謝するから始まるんじゃないだろうか。 某漫画キャラ(コック)も「金ってのは腹の足しになるのかい」と言っていましたが、金は食べれない。命の無いものですよね。 飢餓体験をした彼は、誰よりも食べ物のありがたさを解り、 誰よりも命の理(ことわり)を知っているんだと思う。 小難しく書いちゃったけど、美味しいものを食べられるって何より幸せじゃないですか? コックじゃなくても、料理をする人たちは皆、その幸せを与えられる。 時に命を奪い、命を調理して、自らも他者も生かす、命の伝達者。 おこがましいけど、その立場に居る事を誇ろう。 そして、おれは人生に食い残さない!(?) 宮崎の惨事、隣だからさ…鹿児島も畜産王国ですから人事じゃない。すごく怖い。 犠牲がこれ以上増えないように、早く解決するように祈るばかりです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年05月26日 23時26分38秒
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