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エコツアー五島楽也

エコツアー五島楽也

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2011.12.19
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カテゴリ:日記
12月10日、はじめて福島県へ行ってきました。まさかこんなカタチではじめて足を踏み入れるとは思ってもいませんでした。目的は福島第一原発から40kmしか離れていない相馬市で開催される『SOMA WEEK』というライブや交流のイベント参加です。このイベントを主催する『My Life Is My Message』というプロジェクトの心意気に共感して、実際に東北にいくチャンスだと思いました。そもそもワシは、今年中に旅行でもいいから東北に行かなきゃなあと考えていました。ワシが現地でできることなんてそれぐらいです。だから12月末の転覆隊忘年会に合わせて行こうと思いました。

でも10月にこのイベント告知をみて電気が走りました。

タイム ハズ カム

ひさびさの衝撃。これだ。時はきた。よし行こう。

1泊しか滞在できない人間がなんて言えるのよ?みたいな葛藤もありましたが、桃梨の美保子さんから「滞在時間ではなく その場に行き感じる。その機会大事ですし素晴らしいです」というメッセージをもらい、完全に吹っ切れました。この直感を受け入れていこう。
My Life…の主催者、賛同者はHEATWAVE山口洋さん、矢井田瞳さん、ファッションブランドのクロエさん、ワシも付けてる羽ペンダントのナイフ・アコースティック・グルーブ中野さん、そして相馬市の有志、とりわけモリタミュージック森田さんや障がい者作業所のえんどう豆佐藤さんだったりします。
My Life Is My Message
このプロジェクトが具体的で共感できるのは、相馬市をピンポイントにしぼって支援しているところです。漠然としていない。自分たちの寄付や支援が生かされるのが目に見える、顔が見えることにより、つながりが深まります。赤十字も良いですが、ワシはそういったカタチの方が好きです。そういや、先月には東京ドームで美空ひばりさんの復興支援イベントコンサートに山口さんは出演しました。そのきっかけも相馬なのです。ここでムーブメントが起きて他の地域に広がればいいのだと思います。

相馬市は、あの福島第一原発に近い地域です。3月に宮城に災害派遣で行ってきた妻に話を切り出したら「なんで、そんなカッコつけるの?」と言われました。そりゃそうだ(笑)でもワシの場合はきっかけが必要なんですわ。ガッツリはまってボランティアはできない。1泊だけです。できることといえば五島うどんを振舞うことぐらいです(今回はそんな余裕もなかったですが…)。でも行かなきゃいけないと思い込んでいたのです。


ライブ当日12月10日は快晴、東京から仙台へ、仙台駅前でレンタカーを借りて約50km南の相馬市へ向かいました。仙台駅周辺はもうすっかり普通の街でしたが、10分も海岸のほうへ車を走らせたらあっという間に津波の爪あとが見てとれました。あきらかに不自然に荒れた畑、不自然に曲がったガードレール、高速道の下に集められたガレキの山、東北的な美しい山並みが対照的で悲しかったです。

もちろん海岸のほうは一般車両以外立ち入り禁止の場所ばかりでした。ワシは常磐道で山元町まで進み、横道にそれて海に向けて走りました。そして、その光景に愕然としました。一面荒地なのにところどころ破壊された家が点在しているのです。長崎に原爆が落ちたあとの写真に似ていました。でも戦場とは何かが違う。ひとつの弾痕も爆撃跡もなく、ただすべて破壊しましたけど?といった感じで、津波の被災地は戦場以上の異様な迫力がありました。「言葉にいったい何の意味がある」という満月の夕(ゆうべ)のフレーズがアタマのなかでループしました。言葉でどうこう言えるもんじゃないのです。あの風景は。9ヶ月たったのにこれですから、当時の惨状に泣きたくなりました。ワシは圧倒されて写真を撮る以前に車を停めることもためらいながら走り続けました。

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日本の風景とは思えませんでした

そして、やがて行き止まりでたどりついた場所に坂元駅がありましたが、トイレとホーム以外全て消えていました。生活が一瞬で消えて、町と町を結ぶ手段も奪われたままなのです。次に中浜小学校へ向かいました。2階建て校舎の2階まで津波に飲まれてショックを受けましたが、あとから生徒と教職員全員無事だったと聞きました。なるほど、あの校舎は子どもたちの命を守り役目を終えていたんですな。

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駅舎は完全に無くなっていました

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浜中小学校、生徒、教職員、近所の住民は屋上で一晩過ごしたそうです

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松川港の近くで

相馬駅の近くにはいり、遅い昼食をトンカツ屋でとりました。今回おみやげとか食事とか全部相馬市で!と思ってきてますから。そこの女将さんと話している途中にも地震がありました。12月か1月に大きな地震があるかもしれないと不安になっていました。お孫さんや娘さんは山形に避難しているとのことで「理不尽な話ですよね」とワシも相槌をうちました。福島の異常さを感じた最初のできごとです。ホテルにチェックインして電話。長崎市のレストランバー・R-10の男前オーナー工藤さんも相馬に入っていました。震災直後の3月下旬に山口洋さんは青森弘前でライブし、工藤さんは調理ボランティアで青森まで行ったことを知り本当にスゴイ人だなあと思いました。「山口さんから来いと言われたから…」っておっしゃってましたが、それでもふつうは行かないよなあ。

17時にはすでに夜の東日本、長崎人ふたりにとっては2月、函館の浜野さんにとっては10月の屋外、満月に背中を押され会場へ向かいました。風があったら死んでましたね工藤さん(笑)。会場のおもてには『My Life Is My Message』たくさんのキャンドル、なんかあったけえ手づくりライブだなあ、来て良かったよとうれしくなりました。
19時『LIVE IN SOMA CITY』のスタートです。森田さんのあいさつや鎮魂の想いがこめられた法螺貝に胸が熱くなりました。思うのです。残された人間は(必死こいて)生きなきゃいけない。そんな熱を感じました。

Akeboshiくんの演奏は初めてでしたが、ケルトをこんなに昇華させる日本人ってスゲエなあと聴きほれてしまいました。そして山口洋さんの出番です。生演奏は今年1月の長崎ライブ以来でしたが、あのときとはまた違うエネルギーを放出していました。セットリストもポジティブなものばかりで、怒りを封印し相馬の人たちを励まし、ワシら県外の人間を鼓舞する、そんなライブでした。アンコールは『満月の夕』。ワシらも大声張り上げて歌い、ちょっと泣きました。ああ、いいライブだったなあ。ライブ後片づけているみなさんを皆既月食がぼんやり照らしているのが、またいい感じでした。

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全国から人が集まりました

ライブ後の交流会で、地元の石川さんと津田さんと話して、ワシみたいな一見さんでもいい!実際に見てひろめてくれと言われました。今日みてまわっただけでもたしかにそうだよなと思いました。ゼッタイに全国に伝わってないし、ワシなりに五島や全国の仲間に伝えなきゃいけない。そして、あの場所はぜひ見てもらいたいと言われました。あの場所とは福島第一原発の立入制限区域20km地点です。翌日も津波被害を見てまわろうかなあと思っていましたが、おかげで明確な目的地ができました。

翌日も快晴、南相馬市へ向けて車を走らせました。6年前にも北東北の海岸線を旅しましたが、東北らしい晩秋というか初冬の風景を見ていたら、その先にメルトダウンを起こした原発があるなんてとても信じられませんでした。もちろん途中には打ち上げられたボートや漁船など津波の爪あとは続いているのですが…
1時間ほど南下し、ついに立ち入り制限20km地点までたどり着きました。そこで、この国の異常な状態を実感することができました。数人の警官、護送車、パトカー、ときどき通る防護服を着た人を運ぶ車、でも検問所のそばでは普通にコンビニや宅急便が営業しているのです。おかしくねえか?かたや相馬の子どもとお母さんは県外に避難しているのにですよ。政治家や行政はもっと考えろよと思いつつも本質が見えた気がしました。

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警官のみなさん、本当にご苦労様です

この国というか、国を動かす政治家や役人のなかで本気で国民を救おうと考えているのは、口ではカッコイイこと言っても精神的にはマイノリティなんだなということです。

本来なら避難地域の拡大は原発の凍結までしなければいけないはずでしょう。廃炉まで30年かかると言うのに… 福島の人たちはそんな状態のなか普通に生活せざるを得ない状況に立たされている。原発の最前線で働いている人や検問の警察官には頭が下がります。本当に異常な状態ですよ。前線に送り込んでおいて後方で好きなことを言うエライさん方。森田さんがブログで書いていた「国家に虐待されている感じ」っていうのがわかりました。政治家や役人にとって降りかかる火の粉以外はすべて対岸の火事なんだろうなあ。彼らだって死の恐怖を前にしては、普通のエゴイズムをもった人間であるのだろうと想像できます。この国のエライ人は、いざ東京で何かあれば近くにいる東京の国民だって救うことはしないで逃げるだろうなあ。
そして、それは決して福島の人たちだけでなく日本全国の有り様です。わかりやすい例で言えば沖縄でしょう。原発だって基地だって日本を地方が支えているのに、いざ何かあってもハシゴをはずされる。地域の問題だけでなく政策でもそうでしょう。大きな負担を背負わせ問題は先送りし、国民をつきはなす。五島の悲惨な状況だってそういった政治のエゴイズムがすでににじみ出ているからかもしれません。福島はそれが顕在化した不幸な事例だと思うのです。

今回の旅でいちばん思い知ったのは、自分で考え動いて生きていくしかないということでした。政治や行政にたよる場面は多いけど、依存しすぎちゃいけない。もっとハッキリ言えばあてにできない。いい意味でギブアンドテイクの関係をつくらなきゃなあ。年金だってもらえないものと考えて生きなきゃいけないなあと、生まれて初めて老後の不安というヤツを抱きました(笑)今後、相馬市とつながりを持ちながら(とりあえず五島うどんを送ります)、五島や仲間に福島のことを伝え、福島というフィルターをとおして五島や全国を見つめていきます。


HEATWAVE山口洋さんのブログ『ROCK'N'ROLL DIARY』すべてのきっかけです


相馬市モリタミュージック森田さんのブログ『happy moritamusicのblog』地元の想いや現状がよくわかります


ナイフ・アコースティック・グルーブ中野貴さんのブログ『カンナの花のように』アツイ魂のアクセサリーディレクターです


えんどう豆佐藤さんのブログ『南相馬ファクトリー通信』原発の近くでがんばっています





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Last updated  2011.12.19 17:54:45
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