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かあさんは、ダイニングテーブルで家計簿をつけていた。最近、老眼が進んだんだといってかけ始めた、まだ見慣れない似合わない眼鏡をかけて。カウンターの上では小さなテレビがつけっぱなしになっている。ラジオのように音だけ聞いているらしい。レシートや通帳をテーブルに並べ、小さな電卓をたたいている姿を見ていると、なんだか急に老け込んだように思えて、少し切なく、申し訳なくなってしまう。ミリと別れるなんて、親不孝をしてしまった自分が。
「ただいま」 俺が近づいても顔も上げないかあさんにとりあえず、そう言ってみると、 「おかえりなさい。お疲れ様」 とりあえず、そう言ってくれるかあさん。やっぱり顔もあげずに。 俺は、冷蔵庫から一本ペリエを取り出し、向かい側に座った。 何か言いたいことがあるはずのかあさんは、家計簿から手を休めず、 何か言わなくてはならないことがあるはずの俺も、ただ、言葉を捜し、 その空間には、しばしの間。 沈黙の中、所在無さに、テレビに目をやってみると、そこには、碓氷さんがいた。さっきまで一緒に舞台にいたから、一瞬戸惑ったが、もちろん録画。明るい陽光の差し込む広い部屋の中、すわり心地のよさそうな椅子が2脚。1つは碓氷さんが座り、もうひとつには、著名なタレント。今の舞台のことで、インタビューを受けていた。プロモーションの1つなわけだ。 ぼんやりテレビを見ていると、かあさんが、ぽつりと言った。 「・・・本当に、あなたたち、もう、終わりなのね」 いつも俺に話す時とまったく違うそのいたわるような口調に、きっとなじられると思っていた心が少し戸惑い、その戸惑いの中、かあさんの方を見ると、眼鏡はすでにはずし、いたわるような目で俺を見ていた。なんだか急に泣いてしまいそうな衝動にかられて、必死でこらえる。コドモじゃあるまいし、母親の前でわんわん泣けるもんか。失恋したくらいで。 ・・・失恋、した、くらい・・・だって?よく言うよな。人生最大のダメージを受けているくせに。 自分で自分に突っ込みながら、涙がこぼれてしまわないように、俺も、質問した。 「ミリ、、どんな様子だった?」 ・・・元気だったのか?心の中でそう付け加えながら。 母さんは、ひとつふっと息をついてから話し出した。今日のミリのこと。 「ミリちゃん、ヒロトの仏壇に、最後のお参りをさせてほしいって、言ってたわ」 「最後・・?」 「ええ。こんなことになっちゃって、申し訳なくて、もうここには来れない。だから、最後に、もう一度だけ手を合わさせてほしいって」 「これからだって、俺が、、いないときにくればいいのに」 「私ももちろんそう言ったけど、首を振って、これからは、お墓のほうに行くって言ってたわ。それで、これを」 かあさんは、テーブルの引き出しから、それを取り出して、テーブルの上をそっと滑らせるように、俺の前においた。 「この鍵を、お返ししますって。片付けが済んだら、連絡をするように、慶介に言われてたけど、、どうしても、慶介には連絡できなくてって。」 俺は、手を伸ばし、指先だけで、そっとその鍵に触れる。 「『とってもよくしてもらったのに、こんなことになってしまってごめんなさい。本当にごめんなさい』って何度も何度も謝ってたわ。可哀相に。。」 ・・・謝る必要なんてないのに、ミリ。 「・・・泣いてた?ミリ」 ポツリと聞いた俺に、かあさんは、あっさりと、 「いいえ。全然。落ち着いた様子だったわよ。すごく、しっかりしていて、さすがに、いつもみたいに、人懐っこい笑顔を見せてはくれなかったけど、その分、大人びて、とてもきれいに見えたわ」 とても、きれいに。あの日電車で見たのと同じ。きっと何もかも決意して。 かあさんは、さっきまでのいたわるような表情はどこにいったのか、いつもどおりの意地悪顔で、続けた。 「少なくとも、慶介。今のあなたみたいにめそめそしてなかったわよ?」 出たよ。相変わらず、傷ついている息子に、容赦なく、キツい。 ←2コクリでよろしくお願いします。いつもありがとうございます。 ◎初めての方・目次ご利用の方はこちらへ(4/9更新)◎ 今日のゆる日記の方は、こちらです。バカップルにご注意ください お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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