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Kuma Kuma Diary ~KAEDEのブログ~

Kuma Kuma Diary ~KAEDEのブログ~

キッカケ(’90年代前半~2000年代)

このコーナーでは、私・管理人が公言している「ご贔屓有名人さん」を好きになったキッカケに関する話をまとめました。
(「KAEDEのへや」にあった『キッカケは○○』と言うカテゴリーに入っていた分をまとめたものです。)
このゾーンは、’90年前半~2000年代から応援している人達です。




★KAN

この人と言えば、「愛は勝つ」ですが、私自身もこの人の存在も知ったのが、この曲がミリオンセラー(201万枚)になった時に知りました。しかし、ちゃんと聞くようになったのは、それから少し経ってからなんです。

そのキッカケを作ってくれたのが、SLT・竹善さん
竹善さんが、当時月曜レギュラーで出ていたFM802の番組「MUSIC GOMBO」(ミュージックガンボ)の日曜レギュラーとして出てたのがKANさんなのです。KANさんの曜日だけは1週交代でDJが変わると言う仕組みで(1人あたり月2~3回出る計算になります)、その相方さんがいろいろ変わっていきました。相方さんの変遷は、古い人から順に、村田和人さん・槙原敬之さん・桜井和寿さん(Mr.Children)・トータス松本さん(ウルフルズ)・宮本浩次さん(エレファントカシマシのVocalさんではなく、ソロアーティストで「みやもとこうじ」さん)でしたかな。
私が、KANさん「MUSIC GOMBO」を聞き始めたのは、ちょうど槙原敬之さんとコンビを組んでいた頃で、しばらくして桜井さんにバトンタッチしてましたかね。ちょうどその頃に竹善さんが月曜の「GOMBO」に入ったと思います。
KANさんの第一印象は、とにかくトークがおもろい人と言う印象でした。基本的にこの番組は生放送だったんですけど、2時間ずっと笑いっぱなしでしたかねぇ。

その頃から、アルバムを集め始め、’96年の七夕には、初めてKANさんのライブに両親を連れて行きました(in 神戸文化ホール)。両親はさほど乗り気じゃなかったですが(笑)、私自身はもうノリノリ。
その当時、SING LIKE TALKINGのライブ経験しかなかった私にとって、KANさんのライブは、見るものすべて新鮮でした。簡単に言えば、曲の中でコントが展開されてる状態なんです。演出はもちろん、衣装・キャラなどすべてが斬新で、すっかりそのライブのとりこになってしまいました。

そして、現在。数年前に語学留学の為に滞在してたフランス・パリから帰国し、音楽活動を本格的に再開しました(ちなみに、パリ滞在中も楽曲提供などはありました)。
ライブに関しては、とにかくぜひ見てください!たぶん、皆さんが思ってるライブとは一味も二味も違うはずです。演出・衣装・キャラなどはもちろん、KANさんの後ろにいるバックバンドの皆さんもええキャラしてます。
KANさん「愛は勝つ」だけじゃないんですよ。



★ABC・朝日放送

1人ずつ紹介すると、かなり多くなるので、このくくりでまとめさせていただきました。
基本的に、ここの放送局のアナさんは、全般的に好きなんですが、HPのプロフィールで「好き」と公言しているアナさんに絞って、全部まとめて紹介して参ります。


◆芦沢誠アナ

この人に関しては、少し長くなりますので、よろしければ、お付き合いくださいな。
この人が好きになるキッカケと言うのは、ABCラジオの人気深夜番組「ABCミュージックパラダイス」なんですが、厳密に言うと、それより少し前になるんです。

今から15年くらい前の夏、(この人達のキッカケ話でも話しましたが)トミーズが出ていたレギュラー番組「わいわいサタデー」でこの方がトミーズと一緒に司会をしていた頃にさかのぼります。元々、この「わいわいサタデー」での目的はトミーズを見るためでした。しかし、しばらく見ているうちに、一緒に担当していた芦沢アナも気になり始めていました。

それからしばらくして、’94年の私の誕生日(1月11日、当時は火曜日)に運命の出会いをします。
ささやかながらも、私の誕生日会を家族でやり終え、部屋に戻った(当時高校1年の)私。部屋で落ち着いた頃、ふと、久しぶりにAMラジオが聞きたくなったんです。AMラジオのチューニングを触るのは、ダウンタウンの「ヤングタウン」以来ですから、約7年ぶり。『何か無いかなぁ』と思って、チューニングをいじっていたら、聞き覚えのある曲が流れてきました。TUBE・前田さんのソロ曲「Try Boy,Try Girl」でした。
『あっ、前田さんの曲だ!』
と思わず、チューニングの手が止まった私。しばらくして、男性の声が聞こえてきました。その声にも、何か聞き覚えがあるのです。
『この声、誰やったかなぁ??』
聞きながらも、ずっと考えていた私。結局、その日は、声の主が誰なのか分からずじまい。新聞を取ってなかった為、手がかりがないと思ってました。ただ、そのラジオをさらに聞いていくと、“ABCラジオ”、“アッシー”、“ミュージックパラダイス”、“夜10時”と言う、これらのキーワードが聞けたのと、
『どうやら、来週、前田さんの曲が取り上げられるみたいやなぁ。』
と言う事も聞けて、次の週、ABCラジオにあわせてみる事にしました。(実は、後に、この前田さんの曲が取り上げられると言うものが、次の週の予想順位を当てるコーナー「チャートアタック」だった事が判明します。)

翌週の火曜日・夜10時前、ABCラジオにあわせ、ラジオの前で、前田さんの曲がどこでランクインするかと言うメモの準備をして待ってました。そして、番組スタート!OPテーマが流れ、しばらくして、パーソナリティーさんの挨拶。
『皆さん、こんばんわ!芦沢誠です!』
その挨拶に一瞬ビクッとしました。
『えっ?あしざわまことさんって??…(しばらく考える)あっ!!トミーズと一緒に「わいわいサタデー」の司会してる人ちゃうん??』
この時点で、「わいわいサタデー」での芦沢アナと、今、ラジオでしゃべってるあしざわさんと一致。確認の為、しばらく声の特徴を聞くと、この人の特徴である独特の高めの声である事を確認し、
『そうやったんやぁ。』
と一安心。その日のランキングで、前田さんの曲は6位にランクイン。その日、聞き終わって、気がついたら、
『明日も聞いてみようかなぁ。』
と、その日のうちに、「わいわいサタデー」にはないキャラに惹かれ、芦沢アナが好きになっていました。

その後、いつしか、親しみを込めて、その番組で呼ばれていたあだ名・アッシーと呼ぶようになり、2001年9月にアッシー「Mパラ」を卒業。翌月には、「元気イチバン!」がスタートして、現在に至ります。

ふとした事から、AMラジオのチューニングをあわせたあの日から18年(2012年 9月現在)。あの甲高い笑い声とナイスなツッコミ、そして、ラジオのリスナーを大切にするその姿勢が、私は好きです。
私にとって、アッシーは、“ラジオの魅力”を教えてくれた先生ですね。これからも、とことんついていきます(^-^)


◆三代澤(みよさわ)康司アナ&宮根誠司アナ

すでに宮根さんはフリーになってますが、説明する上で、この書き方じゃないと説明しにくいので、あえてそうしました。

この2人が好きになったのは、’96年の春。
ある日、ラジオのタイムテーブル(番組表)を眺めていたら、三代澤アナの名前を発見!発見した場所に書かれていたラジオ番組は、当時、2人でやっていた「こころ晴天・水曜日」(現在の「スラスラ水曜日」)。「おはよう朝日土曜日です」で三代澤さんの事を知っていた私は、
三代澤さんって、今、どうしてるんやろなぁ。』
と言う理由で、「こころ晴天・水曜日」を聞いてみることにしました。そしたら、この番組で展開されていた三代澤さん&宮根さんのトークにすっかりはまってしまいました!しかし、宮根さんの事を何も知らず、そのトークの中で、今、「おはよう朝日です」の平日枠を担当されてるアナさんだと判明し、早速、チェック。朝からにぎやかなトークが展開され、
『朝から、こんなに賑やかやったら、起きるよなぁ。』
と、宮根さんの魅力にもはまったのでした。

’06年8月、宮根さんがよみうりテレビで「情報ライブ ミヤネ屋」と言う夕方の帯番組を担当する事になり、「スラ水」を卒業と言う事になりましたが、引き続き、三代澤アナ「スラ水」に出ているので、今でも、聞いていますよ。三代澤アナの魅力は、大学で落語研究会に入っていたからなのか、語り口がすごくソフトなんですが、ちゃんとツッコミもこなすんですね。そして、宮根アナは、とにかく、話の運び方がうまい!「おはよう朝日です」では長年メインでキャスターをやってるからのか、聞いていてすごく安心します。そんな2人が語りだすと、まるで、長年ずっとツレだった仲間みたいにポンポンと言葉のキャッチボールをやりだすんですね。
そんな2人のやり取りが聞けるのが「スラ水」だったんですけど、また、宮根さんには、戻ってきてほしいですなぁ。


◆Mパラファミリー(小縣裕介アナ、枝松順一アナ、浦川泰幸アナ、上田剛彦アナ)

「Mパラ(ミューパラ)」とは、先程紹介した「ABCミュージックパラダイス」の略称。上に挙げた4名さんは、この番組がキッカケで好きになりました。(’08年に、小縣アナ&浦川アナは卒業されましたが)とりあえず、4名とも、全く違うキャラなんです。
豪快に笑ろてたり(小縣アナ)、たまにカムし(枝松アナ)、何かにつけて後ろ向きですし(浦川アナ)、料理結構うまいみたいやし(上田アナ)。
実際に、ガッチ(小縣アナ)マメッチ(枝松アナ)とは、厚かましくも2ショット写真も取らせていただきました。
2009年にMパラが終了した後、現在も、ガッチ、マメッチ、ウラウラ(浦川アナ)、うっさん(上田アナ)と言うあだ名で呼んでいるのですが、その理由はMパラと言う番組を愛しているからこそなのです。



★Every Little Thing

このグループに関しては、キッカケと呼べるのが、あまりハッキリしないんですが、きっと、今から話すような事がキッカケにあたると思われます。
ある日、とある音楽番組で何気なく聞いていて、たまたま3rdシングル「Dear My Friend」が気に入って、1stアルバムを購入。そこからメンバーのDATAをチェックしていくと、ボーカルの持田さんが、私と同い年と言う事が分かり、そこで親近感が沸いて、一気に好きになりました。
好きになった当初は、現在のメンバーである、持田さん&伊藤さんに、現在、音楽プロデューサーとして活躍中の五十嵐さんの3人組だったんですが、2000年に五十嵐さんが脱退し、現在の形になりました。
実は、初期の頃、FCに入ってましたが、今は、ちょっとこちらの都合で、少し前に一時脱会しました。いずれは、復帰する予定です。



★CHEMISTRY

まだ、CHEMISTRYと言うユニット名が付く前の2000年、テレ東系「ASAYAN」『男子ボーカリストオーディション』と言うのを全国で展開していました。
このオーディションで、最終選考まで残ったのが、(現在のCHEMISTRYである)堂珍さん、川畑さん、(現在、EXILEに在籍中)ATSUSHIさん、(後に「STEEL」としてデビューし、現在はソロアーティスト)ネスミスさん、(後にソロデビューした)藤岡さんの5人。
で、この5人で、片っ端からデュオを組み、ライブハウスでパフォーマンスをして、3組のデュオに絞ってました。ここで残ったのが、堂珍さん&川畑さん、堂珍さん&ネスミスさん、ネスミスさん&藤岡さんの3組(ここでATSUSHIさんは落選し、のちにEXILEに加入)。この3組で、仮デビューCDを作り、売り上げなどを総合的に判断。結局、現在のCHEMISTRYである堂珍さん&川畑さんが優勝し、デビューを勝ち取ったわけなんです。

オーディション自体、あまり見ない私なんですが、このオーディションは熱心に見ていて、最終選考の段階で、堂珍さんの声を真っ先に気に入りました。で、このときすでに、
「堂珍さんが入ってるデュオが優勝したら、追っかけよう」
とまで考えていました。そしたら、その通りになり、しかも、一番優勝してほしいデュオだった、堂珍さん&川畑さんが優勝したのもあり、1stシングルをチェック。1回聞いただけで気に入り、そこからメディアをチェックし始め…現在に至ります。

その後、堂珍さんは私と、川畑さんは私の妹とそれぞれ同い年と言う事や、2人が最初の1次オーディションをした場所が大阪会場と言う事もあって、親近感が沸き、ますます好きになりました。
グループ名のCHEMISTRYというのは、英語で「化学反応」。この名前の由来は、2人の可能性を期待してつけられたそうですが、2人の声が合わさる時のあのハーモニーは、ちょっとばかし大人な雰囲気をかもし出してくれます。ちょいと月並みなコメントになりますが、オーディションからずっと見てきている私としては、これからどんな「化学反応」を見せてくれるのかなぁと、毎回、新作が出るたびに楽しみにしてます。



★アメリカザリガニ

今まで紹介したダウンタウン・トミーズは自分で見つけて好きになりましたが、このコンビの場合は今までの分とはちょいと違うキッカケなのです。

キッカケは私のメル友さんなんです。メル友の中に、(関西以外の)遠方から『ABCミュージックパラダイス』を聞いてる年下のリスナーさんがいまして、その人とメル友になったのです。そのメル友さんがアメリカザリガニが好きなので、関西に住んでる私が、いろいろ情報を送ってたんです。情報を集める為、アメザリのレギュラーをチェックしたり、基本的なプロフィールなどを見たりしてました。その情報を送ってるうちに、私自身も個人的に気になり始めました。
そして、2001年の春に「ABC漫才パレード」の公開生放送に当選し、行くことにしました。元々はトミーズキングコングなどが目的。この公開放送では、FUJIWARAオーケイなど、今までの漫才番組では見たことがない人達がたくさん出演していました。そして、この時の出演メンバーに偶然アメザリがいました。彼らを生で見るのは初めて。生で見れたことがすごく嬉しかったのを覚えています。確か、その後、「Dr.リンにきいてみて」や「ボンバーマンジェッターズ」(「Dr.リン~」は柳原さんのみ)で声優さんで出ていたので、それもチェック。この2作品は毎週見てたんじゃないかな?

現在、レギュラー番組にはちょいと減ってるので、2人の動く姿はたまにある単発特番でのゲストなどで見ることが出来ます。もっと見たい方は、コンビ名義やそれぞれ単独でのイベントものにちょこちょこ出たりしとりますので、チェックしてみてくださいな。



★フットボールアワー

彼らを本格的に見るようになったのは、’03年頃。
でも、彼らの存在はbase時代から、何となく知っていました。

baseよしもとと言う劇場が出来たのは、’90年代の終わりごろ。
その頃から、FUJIWARAを中心に、陣内智則さん、WEST SIDE(ランディーズ・ロザン・キングコング)、シャンプーハット、チュートリアルなどが出ていました。もちろん、フットボールアワーもこのbaseの主力メンバーでしたし、2005年にM-1を取ったブラックマヨネーズや多方面で活躍中の次長課長も、base関連の番組によく出ていました。夏には、base芸人が歌って踊ってと言う大規模なイベント「SUMMER SMILE」も毎年開催されていて、TVでのOAがあった’02年と’03年の分は大切に保存してます。
フットボールアワーのネタをちゃんと見るようになったのは、確か、同じ頃に出来た不定期の漫才番組「ZAIMAN」。元々は、トミーズが目的で見ていたこの番組。いつしか若手も見るようになり、1つ下の妹が、この頃すでにフットのネタに目をつけていました。その妹の横で見ていた私も、
『この2人、おもろいなぁ』
と徐々に思い始めていました。その思いが、ABCテレビ「ナンバ壱番館」などで強くなって、2003年のM-1へと続いていくのです。
2003年、この年のM-1は、世間的にはフットボールアワーが本命視されていて、彼らにはかなりのプレッシャーがかかってました。M-1の直前番組などで見た彼らの表情は、本当にプレッシャーに押しつぶされそうでした。すでに私自身もHPの中で、
『今年のM-1はフットボールアワーに注目…』
と言った内容の事を書いた記憶があります。もしかしたら、もう、この時すでに、ファンになってたのかもしれません。
そして、予想通り、フットボールアワーが3代目チャンピオンに。『やったね!』と言う嬉しさもあったのですが、
『良かったなぁ、プレッシャーから解放されて…』
と言う安堵感も感じてました。

それ以来、ワタクシのサイトでは、いろんな人達の出演情報の中にフットボールアワーも加わり、フット関連のHPへもリンクさせて頂いてます。この間に、岩尾さん後藤さんそれぞれのキャラも知り、彼らのネタもさらに楽しむようになりました。
よく考えると、私が好きになる有名人って、昔から私より10才以上も年が離れた方が多いのです。フットボールアワーの2人も私より年上なんですが、年齢差はさほどないのです(岩尾さんが3才、後藤さんが4才それぞれ年上)。それだけに、今までとは違う「近さ」を感じながら、これからも見守り続けたいと思います。





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