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多田作品「尾崎喜八の詩から」を歌うにあたって、3曲目「春愁」と終曲「かけす」の詩について考えてみた。
まず、基本的なところで言えば、2曲とも日本の美しい原風景をバックに自分の心情を語っているように感じる。しかしながらその「心情」の部分が非常に読み取りにくい。例えば「春愁」で言えば、「静かに賢く老いる境地」ってどんな境地なのだろうか?「かけす」で言えば、「人間との地上の契の夢」って何?というところ・・・ で、まず「春愁」について考えてみたところ、副題の出てくる「八木重吉」との関連に注目したとき、同じ多田作品で八木重吉の詩でつくられた名曲「雨」この曲の最後のテナーソロで歌われる部分 雨があがるように、静かに死んでゆこう ということで、春愁で歌われる「境地」とは、「死」を悟ったというか意識したというか、そういうことなんだろうか・・・と一旦、結論じみたものを持った。 しかしながら、前回の練習における指揮者の説明で、「3曲目と6曲目は、関連付けられている」・・・あれ?「かけす」の詩のなかに「死」の要素は見当たらない・・ ということで、振り出しにもどってしまった。そして今度は「かけす」の方について考えてみようとしたのだが、最初に書いたようにこの詩は難しくて何が言いたいのか私には理解できない。なので仕方なく視点を変え、「カケス」という鳥の特徴について調べてみると面白い特徴が書いてあった。 カケスには貯食性があり、どんぐりなどをある場所に貯めて隠しておく。しかし全て貯めたどんぐりを食べてしまうのではなく、おそらく貯めたことを忘れてしまい、そしてその貯められた場所でどんぐりが芽を出し森が広がる。 え、「忘れる」・・・この言葉が非常に心に引っかかり、突然ではあるのだが、中島みゆきさんの作った「傾斜」という曲が思い浮かんだ。(突然すいません・・・みゆきさん信者なもので・・・)で、その曲のサビの歌詞は・・・ としをとるのはステキなことです。そうじゃないですか 忘れっぽいのはステキなことです。そうじゃないですか 悲しい記憶の数ばかり 飽和の量より増えたなら 忘れるよりほかないじゃありませんか この歌詞、非常にネガティブではあるのだが、春愁の 静かに賢く老いるということは 満ちてくつろいだ願しい境地だ と同じようなことを言っているのではないのだろうか、春愁の方はポジティブなのだが・・・ とすると、「春愁」と「かけす」をつなぐキーワードとは、「忘れる」・・・ 私の父は、今年で80歳となるのだが、数年前までは自分の人生における仕事などについて恨みがましい発言をしていたのだが、物忘れが激しくなった最近では、そのような発言はまったく影を潜め、日々静かに過ごしているような感じがしている。自分から忘れるようにしたのか、加齢により忘れていったのかは本人しかわからないが・・・ とりあえす、現状ではここまでしかわからないし、この考察があっているかどうかもわからない。また、「かけす」の方は、「人間と地上の契の夢」なんてよくわからない。 しかし、歌を表現しようとしたとき、このようにいろいろ考えることは重要だということは言えるのではないだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.03.20 16:02:18
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