テーマ:猫のいる生活(136651)
カテゴリ:動物愛護
うづらのメスの平均寿命は2年ほどだ
死から逃れられない動物は、みんな、いつか死ぬ 今のところ人間も例外じゃない 人間ほど、死を軽くみている動物はいないと思う 人間は死後の世界なんて作り出して誤魔化してるけど、他の獣達は、そんなもの考えて生きていない 今日を生きるだけだ そんな動物達にとって、自分の命は宝だ 鳥は食物連鎖の中で、結構、下層の生き物 その鳥の鴨を、可愛いからと、あるTV番組が撮影していた テレビ番組というものは、制作者が価値観を決めて、観る側が一方的にそれを観させられる 鴨を主人公にした、その作品は、撮影させてもらっているのに、鴨にギャラを払わんのかね つまり、助けないのか 実際には、助ける間もなく起こったことが多いだろうが、体力が落ちてパタパタしてるのくらいは助けられたんじゃないのか 鴨には人工池だろうが、川だろうが、分からんよ 自然とかどうとかじゃなく、どっちも自分が生きる世界だ 人の目があるから、カラスは目をつけたのかもしれないよ いつも動物の番組で気持ち悪いなぁと思ってしまうのは、人の目が入っている時点で、それはもう自然じゃないって事 カラスでもネコでも、とりあえず他のエサあげて、鴨は助けていいんじゃないの? だって、どっちにしろ見てるときにしか何も出来ないんだから いつも思う それ、飢えた人間だったら? それ、食われそうな人間の赤ちゃんだったら? 何をおいても、人間を助ければ、それは正しくなってしまう 何か出来る時は、何かしないとダメだと思う カラスだってネコだって食べ物は必要だから仕方ないという意見 じゃ、そやつらの食べ物、今、生きてる赤ちゃん鳥でなければいけない必要は、どこにあるの? 私はネコ飼いだし、カラスだって一緒に暮らせば仲良くなるだろう 動物は、みんな好きだ でも、鴨を主役に、そちら側に感情移入するように作っといて、そちら側の味方をしないってさ ほんとにフェアに撮りたいなら、そのカラスもネコも、撮影で追いかけたらいい すごく、気持ち悪い 中途半端なことしやがって、と思ってしまった 人間は、そもそも矛盾の生き物で、その時々の個人の状況によって、どの側に立つかが変わるものだ。 それは別に罪悪とは関係ないと思う。 だから、鴨が可哀想だからといいつつ、その後、鴨鍋を食べていても、別にそれは変なわけじゃないと思う。 そうね、例えば不倫という現象があって、妻か、夫か、不倫相手か、、その、どの友人なのか、どこの家族なのか、自分が現在どの立場なのか、その個人の現状によって、立つ場所が変わってしまうのが人間。 だから、その時、その場所にいて、たとえ全体的な矛盾があっても、その時の立場として、どこに立つかで決めればいいと思う。 でなければ、雑食性の人間が、肉を食べるのに、動物愛護うんぬん語れなくなってしまう。 ミーアキャットのような食物連鎖下層の生き物ですら矛盾をかかえながら生きている。 敵の子供を、子供だからと助けたりする事もある。 それは、命を拾った側の運だと考えたらいいと思う。 いつでも助かるわけじゃない。 でも、そこに助けられる者がいたという事が、命を拾う側の運。 人間だって、そうだ。 すべてを助けてあげられるわけじゃない。 見つけられないうちに命を落としてしまう命もある。 でも、運を拾えるチャンスがあるなら、運を与えられる側は、与えるべきだ。 人間が生きている、この科学社会も、ある意味、自然界だ。 人間が作った世界が自然界じゃないと考える事自体、奢りだと思う。 人間も動物。同じ、動物。 すべての動物に矛盾はあるんだ。 矛盾は、全てにおいて悪いわけじゃない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018年06月10日 20時33分08秒
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