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こんな人もいる

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にかっと@ Re[1]:こんなとき(03/25) ウッキーさん いつもありがとうござい…
ウッキー8989@ Re:こんなとき(03/25) お久しぶりです~ お元気で何よりでした…
Sep 29, 2006
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カテゴリ:わたしは思う
どうも~こんばんは~!! 一応 生きてま~す! (^_^)v
・・・って ほんと ごめんなさいねぇ~このブログったら マジで「日記」じゃなくって「月記」だわ トホホ。

さてさて もう読み返さないと なに書こうとしてたかわかんなくなってましたが・・・
なんでまた ”生まれつき病気の人が不幸とは限らない・・”とか書こうと思ったのか そのキッカケをお話ししていくんでした。(^_^;)

それはですね、今から約3年くらい前、あたしはある男性に出会いました。
その人は 以前から聞いていたうちの相方の ”弟” であります!

あたしと相方が一緒に暮らしはじめてから 時々話してくれた弟のこと・・・。
彼は重度の障害を持っており いつどうなってもおかしくない・・・ということ。

あたしたちが籍を入れる少し前、かなり危険な状態になったことが何度かあり、そのとき思ったんだ。 今なら会えるのに会わずにいて「この人には かつて弟がいた」なんてなったら絶対イヤだ!って。

そして 彼の入院する病院へ会いに行くことにした。

病院へ向かう車の中、彼らの両親(今では舅と姑)は ちょっと嫌な顔で 「たぶん見たら驚くと思うよ」 とか 「先にご飯食べて行く?あとだと気分悪くなると思うから食べられないかも・・・」 など私が (・・? と思う言葉を並べていた。

そして やっと彼とご対面!!

ベッドに横たわる彼に 「初めまして」 とごあいさつ (^^♪
彼は ちょっと照れくさそうに こちらを見て やさしく微笑んでくれた。

あたしが受けた印象は ”兄である相方より もうちょい社交的なお兄ちゃんだな。でも やっぱし似てるなぁ・・・良かった 会いに来て (*^_^*) 」・・・って感じ。

ところが そのあと 食事に行ったら やっぱり義両親は 「ね ビックリしたでしょ?大丈夫?食べれる?」 なんて言ってくる。

はじめは ほんとに意味がわからず、「あぁ、聞いてたより ずっとお元気そうだったからビックリしました!笑ってくれるとは思ってなかったから嬉しかったです~(^^♪」 なんて答えていたけど・・・ どうも様子がおかしい。

あとで相方と話してやっとわかった。
”ビックリする” と思われていたのは、彼の体にかなり ”奇形” があるから。
脳にも障害があったから 表情自体も 読み取りにくい らしい。

そんな彼を見て あたしが 気分が悪くなって食事もとれないだろう。・・・ということだったらしい。 (-_-;)

まぁ たぶんそれは これまでに たくさんたくさん そういう態度をされてきたからなんだろうな・・・と理解した。



その後 何度か彼に会うたび いつも私たちは彼に ””を入れられ励まされた。 

彼は言葉を話すことはできない。座ることも歩くことも 起き上がることすらできない。
体には いくつものチューブがささっており 大きな装置につながっていた。

だから ”笑う” といっても 顔の表面は動かない。 あたしが たった一度だけ 顔の筋肉を普通に動かし、おもいっっきり笑った顔を見たのは 初めて会ったあの日だけ。

なのに あたしの持つ彼のイメージは ”いつもニコニコ笑っているやさしそうな明るいヤツ” それから ”尊敬できる強い人” ”めちゃめちゃいい人そうな人” などなど。。。


なにより 会うたび 彼は全力で闘っていて ただ ”生きること” それに まっすぐ立ち向かう姿を私たちに見せてくれた。 話せなくても起き上がれなくても その 存在感 はすごくあるカッコイイ人だった。

いつも ちっちゃなことで クヨクヨしてる自分が恥ずかしくなって 「わかったよう あたしもがんばるよう」 なんて励まされていた。

最後の手術をした あの日まで ”死にたくない!生きてやる!” って思ったことの無かった私は 彼をとても尊敬していた。

そして いつも その病院へ行くときは 義両親と相方(ここでは夫って言っておこうか)と4人で行っていたのだが、病室にいる1~2時間、いつも あたしは ”家族愛” を目の当たりにしていた。

義両親は2人共、いつも彼のおでこに自分のおでこをくっつけて 「気分はどう?だいぶ暖かくなってきたね・・・」 とか話したり、夫は話しかけながら いつも彼のヒゲを剃っていた。ベッドのまわりには 手作りのクッションやお気に入りのCDなど 家族の愛が溢れていた。

26歳になって なお父や母に髪を撫でられ 家族の愛をめいいっぱい受ける彼を、正直 ”羨ましい” とも思っていた。

なのに その親は やはり なのか いつも私が 「へ?」 と思うことを言っていた。
たとえば お父さん、「この子は親孝行な子よ ず~っと 赤ちゃん でいてくれるもんな」 とか

オムツを替えるとき、「あ・失礼!」 と私が部屋から出ようとすると お義母さんが フッ って顔で 「あぁやっぱり嫌よね 他人だもんね・・・」 とか。

もしもし あなた達! 彼は ”赤ちゃん” じゃなく れっきとした ”26歳の青年” ですけど~~~!! 他人だから嫌なのは 見られる彼の方でしょ~がっ!! (>_<)

なんて ズレがかなりあったように思う。

そして 彼は約2年ほど前、人生を全うし、天国へ旅立っていきました。

その直後から その ”ズレ” はどんどん大きくなっていったのさ。
しょうがないとは思うけど、ず~~っと2人は 「あの子が不憫でならない」「不幸になるために生まれてきたようなもんだ」「親としてなんにもしてやれなかった」「かわいそうで かわいそうで・・・」ばっかり・・・。

そりゃね わかるよ。いや わかってないんだろうけど、子供に先立たれたら ただごとじゃないのは わかるよ。

でも 待って。 
あたしの目に映ってた彼は ”幸せそうないいヤツ”だったよ。 そりゃしんどそうな時も あったけど そういうことじゃなく 尊敬できるすごい人だったよ。

だのに 彼が必死で闘ってきた人生を そんなふうに言ったら・・・そっちのほうが かわいそうじゃない?

「親として なにもしてやれなかった」
なんか よく聞く言葉だけど あたしは思う。 「親として子供にできる最高のこと」それは 「おもいっきり 愛してあげること。」 それが一番なんじゃないかなぁ。

一緒に暮らせないこととかも すんごく辛いと思うけど 離れてたって 想うことはできるよね・・・。

そういうの 絶対 伝わると思うし、それがあれば 彼のように すんごい素敵な人になれるよ きっと。

生きた期間が 短かったからって不幸とは限らない。
どんな病気に かかってたって不幸とは限らない。

きっと彼には あたしには聞こえない風の音が聞こえたり 季節の匂いを感じたり 彼にしかわからない ”幸せ” があったと思うんだ。

じゃなきゃ あんな素敵な笑顔が できるわけないもん。
もしかしたら 健康な兄のこと、なにかしら ”不憫だ(-_-;)” って思ってたかもしれないよ。

だから 彼が亡くなって少ししてから ある夜、お義母さんに言っちゃった! 「あたしは 彼を羨ましいと思っていました!  いつも励ましてもらっていました!彼はかわいそうじゃないと思います!」ってね。

相方に それ話したら 「ひぇ~よく殴られんかったなぁ こっわー!」 って言われました。(^_^;)

あたしも 殴られるかと思ったけど(笑)、お義母さんは 少し驚いて 「ほんとに そう思う?・・・ありがとう」 って言ってくれました。


たぶん これを実際 病気と闘う子供を持ったおやごさんとかが読まれたら・・・怒られるかもしれないね。
でも 気づいてない人に言ってみたかったんだ。

彼の場合もそう、ただ歩けないだけ。ただしゃべれないだけ。 基本は ”普通の人” だってこと。

健康に生きてきた人間が、自分のやってきたこと(やってること)と比べて、不憫だの可哀想だの言うのは ちょっと違うんだよ。
昨日まで 普通に歩いてた人が ある日突然 歩けなくなるのとは 全く違うんだよ。

前にも書いたけど、もう一回 言います。

生まれた時からずっとの場合、みんなが思うほど、辛くないんです! 
だから もっともっと愛してあげてください。心からの笑顔を 見せてあげてください。
それが一番です。(^_^)v

 

 





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Last updated  Sep 30, 2006 04:23:24 AM
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