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カテゴリ:秋月街道てくてくトボトボ歩き旅
かつて栄えた呼野の光景!
呼野までの行程も2時間半ほどだった。都市から田舎へ移ろいで行く風景を堪能だ来た 2018年5月1日・火曜日 徳力公団駅前にやって来た・・・ 午前9時45分 ボーっとした気分のまま出発! 神理教という宗教団体の前を通る。 紫川に架かっている桜橋の手前を左折する。 「OH!鯉のぼり」🎏 川沿いは河川工事中だった。 加用公民館の所に山川式部切腹石というのがあった。 永禄4年(1561),香春岳城の城主・原田義種の命を受け,加用の地を山川式部守っていたのだけど,大友宗麟の軍勢に敗れ,ここで切腹したということだ。 公民館から楽しそうな声が聞こえ,覗くと爺さん婆さんらが何やら持ち寄って楽しそうにお喋りしていた。いいなぁ~・・・と思って歩き出した。だから写真を撮るのを忘れてしまった。(ホヘ!?) 九州自動車道の高架の所で国道322号線と合流し,さらに旧322号線の方へ進んで行く。 左手に豊前刀鍛刀場跡がある。 田舎道をゆっくりと歩くのは楽しいもんだ。 しかしこの辺から“大”を催したくなってきて,いろいろ作戦を練りながら歩いていた。 おかげで風景など大して目に入らなくなってしまった。 大応寺の手前に,石原町の里程標が建っていた。 大応寺は,天正7年(1579)に建立されたお寺だそうだ。 「お乳のお地蔵さん」として親しまれているようだ。 それはともかく・・・便所はないか!? 「!!」 ふと見ると奥にWCらしき造りの建物があった。 「おぉ~っ!」 これはこれはさすが大したお地蔵さん・・・私にまで気を使ってー。 んなこと言っているより早く入らねば!・・・ホッとひと息・・・と言おうか, 「あぶなかったぁ~・・・」 といった状況でした。 法円寺を通り,旧道に入る道があったが,そのまま旧国道を歩いて行った。 次の駅名が採銅所というように,三菱や住友が石灰石などを採掘し,町も賑わった。 小野田屋敷跡があるはずだったが・・・。 市丸小学校を通り過ぎて行くと,JR日田彦山線の呼野駅が見えてきた。 大正4年(1915)に小倉鉄道の駅として開業。田川方面に向かうと金辺峠があり,17‰(パーミル)の勾配を,蒸気機関車がこの駅を発車する時,いったん400mほど後退して加速して勢いをつけてから,峠に向かって行った。 福岡県内唯一のスイッチバック駅だった。 ホームには今もその名残りがある。 標識の向こう側に旧ホームが残されている。 採掘された石灰石を黒崎駅に運ぶ貨物専用線も敷かれていた。 石原町駅と呼野駅の間で日田彦山線から分かれ,小倉駅に向かう線もあった。 時が流れ,だだっ広い駅がなんとも所在無げに佇んでいた。 その姿が健気だ抱きしめたくなってしまう。 12時ちょうど,だ。 まだ早いけど,この先は金辺峠への道になる。 次の採銅所駅までけっこう山の中である。 一人で行くのはなぁ~・・・と,奥州街道での熊との遭遇以来全身に漲っているトラウマが,私を躊躇させる・・・本日ここまで。 次は・・・峠か・・・!?・・・採銅所駅から歩こうかなぁ~・・・!? <2020年4月1日・水曜日・記> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.10.09 03:00:05
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