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カテゴリ:アニメ・特撮
パソコンを新調してから「ヤフー動画」とか「ビッグローブ」とか「GYAO」とか「フレッツスクエア」などを駆使してなつかしのアニメ特撮を見るのが楽しみな今日この頃。 息子と一緒に二本だけチョイスして見るのが習慣になってしまった。 ちなみに息子は「タイムボカン」にハマってしまった(-_-メ) 私は「機動刑事ジバン」と「コンバトラーV」そして「ボルテスV(ファイブ)」にハマっている。 ここで「父をもとめて」である。 わが盟友ヤエモンジさんがいつか取り上げるだろうと待っていたが、なかなか取り上げないのでかってにやらせてもらうことにした。 「父をもとめて」はボルテスのエンディング曲だ。 親にはぐれたひな鳥も いつかは優しいふところに 帰る明日もあるだろう だのに なぜ めぐり会えぬ 父の影
野に咲く花も露草も いつかは人にめぐり会い 語る明日もあるだろう だのに なぜ 訪れない 幸せが・・・
三日月おおう群雲も いつかは風が吹き払い 輝く夜もあるだろう だのになぜ きらめかない父の星
敵に囚われの身となっている父を、いつかは会えると信じて戦いに身を投じる剛兄弟たち。 敵が来るたびに立ち向かい勝利は収めるものの、幼き日に別れた父に再会の日ははたしてあるのか? 正直に言おう。 今見てみると、ボルテスの話にそんな悲壮感はあまり感じられはしない。 ただ、この「父をもとめて」のイメージが強すぎて我々ファンはこの歌でボルテスの世界観を補完してしまう。 水木一郎の数多いバラードの中でも絶対的上位に食い込むであろうこの名曲あればこそなのだが、私は男女の恋愛話よりも親と子、兄弟のつながりを描いた話のほうが素直に感情移入できるのだ。 中学生の頃、この世界にあこがれて、父が誰かにさらわれてくれんかなあ?などと不遜なことも考えた・・・。 そうすればかっこいい生き方ができるなあ?などと、今思うとメチャクチャであるが、まあそんなものである。
そして歌の後半、私の生き方というかそれほど大げさでもないが、決定的で強烈なメッセージが私に放たれた。
泣くものか 僕は男だ。 信じてる 信じてる その日のことを この手に父を抱きしめる日のことを
泣くものか 僕は男だ・・・ この詩のトラウマ?か。私は泣いたことがない。灯りが消えた街角で♪と中森明菜になっている場合ではないが、私はやせ我慢してでも泣かない。 実はおじいちゃんが死んだときは泣いたんだけどね。 でも、泣きそうになるとこの歌が流れてきてぐっと涙をこらえるんだな。 ナルシズムなのかもしれないが、私はそんな自分が好きである。 ただ泣くことは何も恥ずかしいことでもないと思っている。 猪木も大仁田も上島竜平も徳光さんも泣いてるしね。 なにはともあれ「父をもとめて」は心を落ち着かせる力を持った名曲だ。 私が貴女の耳もとにこの歌をささやくように歌えば、感涙必至という歌なのだ。 そのときは私の腕の中で泣きなさい。 きょうのBGM 「飾りじゃないのよ涙は」by中森明菜 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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