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劇場通いの芝居のはなし

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2019.06.08
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カテゴリ:演出ノート(3)
天狗の子は喜んで釣り竿を目に当てて遠くを見ようとしますが、見えるはずがありません。困ってしまって、どうしたら見えるのか彦市にたずねようとしますが、彦市はもう隠れ蓑を着てしまっているので、声はきこえるけれど、どこにいるかわかりません。騙されたと気づいた天狗の子は、お父っちゃんに言いつけてやる、と言って泣きながら走り去ります。
隠れ蓑を着て見えなくなった彦市を表すのに、新劇ですと、役者は出ずに、声をマイクで聞かせる手法を使いますが、つまらないので、わたしは舞台に出しておきます。

一つのやり方としては、彦市が天狗の子の背後にまわるというのがあります。いつも天狗の子の後ろ側に回り込んでゆくことで、見ることができないというやり方です。ちょっと見は面白いですが、彦市が天狗の子の身体で隠れてしまうので、いまいちだと思います。
わたしは、狂言の『隠れ笠』で使う演技を利用しました。彦市は天狗の子の目の前にいるのに、見えないという演技をするのです。天狗の子が彦市を見ないように、視線をあちこちに動かす。その死角に彦市が入って行く、というやり方です。天狗の子の方が、わざと視線をはずす演技をします。ですから、天狗の子の方が難しいです。彦市は、ここにいるぞといわんばかりに、自分の顔を指して見せたりするのですが、天狗の子の視線の先に彼ははいってきません。舞台では、結構、おもしろく見えます。

さて、天狗の子が去ってしまって、彦市は隠れ蓑を脱ぎ、釣を始めます。人間だけでなく、天狗の子までだましたのですから、自分も大したものだと、いい気になるのですが、ふと、親天狗が仕返しに来たらどうしよう、と思いだし、心配になり始めます。吊り床路ではない、思案のしどころです。

明かりがチェンジして、殿さんが登場します。能舞台だと、橋がかりにだします。劇場では、彦市が中央の前側にいるので、下手の奥に出しました。
殿さんは天狗の面を手にしています。「きょうお城の大掃除ばしたら、宝物庫からこぎゃんもんが出てきましたちゅうて、うちの家老がこの面ば持ってきた。……こぎゃん面のあるこつぁ、おら、きょうのきょうまで知らんだった」。殿さんにしては、彦市と変わらない、素朴で親しみやすい口調です。殿様という権力者が、この芝居では田舎の風景を作り出す人物の一人として描き出されているのです。たとえばこの役が、大金持ちのお百姓でも、庄屋であっても芝居は成り立ちます。しかし、ここに武士階級がでてくること、その人が庶民と同じところに立っていること、彼がどこやら抜けていること、そのために庶民にしてやられること。それが舞台で見せられることに、面白さが感じられます。
by 神澤和明





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Last updated  2019.06.08 09:00:13
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