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カテゴリ:演出ノート(3)
この芝居は前に進んでゆく筋を持つのではなく、幸せを売る若い男と様々な人々が出合い話を交わす、それの連なりの構成をとっています。若い男を狂言回しに、様々な人の人生と彼らの今の思いが、語られてゆきます。一種の「グランドホテル形式」と言えるでしょう。 それぞれの人が、当時の人々の生き方や考え方を代表しています。シンボルとしての登場人物といえるかもしれません。彼らはそれぞれに孤立していて、人間関係はないのですが、観ているとある人物たちは関係をもっている、彼らはもとは家族だったのではないのか、と思われてきます。 男が歌い終わると、花売り娘の女の子が近付いてきます。終戦当時、都会には自分で働かなければ鳴らない子どもたちが多かった。宮城まり子の歌『ガード下の靴磨き』や美空ひばりの『東京キッド』に歌われる子どもたちは、普通にあった姿でした。この女の子も、八歳ですが、親方に言われて花を売って歩いています。まず、子どもを登場させて、戦争の結果は、幸せであるべき子どもたちに、辛抱と無理を強いていることを見せます。また、その生活ぶりと裏腹なあどけなさが、芝居の始まりを優しいものにします。 女の子は、おじさんはどこから来たの、と尋ねます。子どもと大人の優しい会話が、気分をほんわかとさせてくれます。 「遠い、遠い幸福の国さ。そこでは誰も彼もみんな幸福だった。どんな人でも、とても不幸になった時、悲しくなった時、その国のことを思い出すんだよ」 それは戦争のずっと前の日本だったかもしれません。 「君はそんな風に悲しくなることはないかい?」「ないわ」 「お父さんやお母さんはいるの?」「いないわ。二人とも戦争で死んじゃった」 「憶えているかい、お父さんやお母さんの顔?」「憶えてないわ。だってあたし、まだとてもちっちゃな子どもだったんだもの」 「ひとりぼっちで淋しくないかい?」「淋しくないわ。お姉ちゃん達が沢山いるから」 お姉ちゃん達というのは、バーやキャバレエで男たちの相手をしている女性たちです。 「早くおおきくなって、お姉ちゃん達みたいになりたいわ」 男は淋しそうに、「そうなったら、おじさんとこへおいで」と言います。でも、その時に彼はどこにいるでしょうか。 女の子は、男が何を売っているのかたずねます。男は、思い出だと答えます。 「いくら?」「百円」「高いわ」「高くはないさ、涙の出る程有り難いものだもの」「あたしの花は一束80円よ」「三日もたてば枯れてしまうものね。おじさんのは枯れない」「思い出は枯れないの?」「枯れないとも。20年も30年も、そのひとが生きている間はね」 少女は、自分にも思い出を頂戴と言いますが、男は駄目だと答えます。「君には思い出の種がないもの」。そして、このはるみという少女が10年経てば、きっと美しい幸せな思い出をもっていると言います。 by 神澤和明
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Last updated
2019.07.10 09:00:16
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