梅沢墨水(うめざわ ぼくすい)梅沢墨水(うめざわ ぼくすい)は明治・大正期の俳人。 1875年(明治8年)11月19日-1914年(大正3年)11月29日。本名:梅沢喜代太郎。静岡県生まれ。 ==略歴== 若くから和洋の学を修め、上京後は独英の学を学ぶ。秋声会に属していたが、[[正岡子規]]門下に入って俳人として活躍する。のちに日本ストレート会社大阪支店長に就任。そのかたわら関西俳壇のため[[青木月斗]]らと巨口会を組織し、また「大阪朝報」(1902-1903)の俳壇を担当した。没後の1920年(大正9年)『墨水句集』が刊行された。(『20世紀日本人名事典』) 1900年(明治33年)10月、河東碧梧桐と青木月斗の妹繁栄との結婚の事実上の仲人を努めた。そのとき墨水は独身だったので形式的には松瀬青々・とめ夫妻が媒酌人となっている。(http://kawausotei.cocolog-nifty.com/easy/2006/03/ かわうそ亭) ==代表句== *一本の椿さかりや墓の中 *啼き交はし木の鳥竹の鳥帰る 越冬した鳥が帰る季節。句の「木の鳥」「竹の鳥」はどう解釈すべきだろうか。とまれすべての鳥が北を目指す春が来たのだ。啼き交しが景を具体化している。 出典 *『20世紀日本人名事典』 *『美術人名辞典』 ジャンル別一覧
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