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なんのために ゆらぎってあるのだろう。 置き換えできない、と思ってしまうこと。 それもイデアの夢なのかな。 じゃあ、揺らぎはヒトの救済のための 避難装置/非・脱出装置なのかなって。 エフブンノイチ、ゼロコンマノ秒数。 あるのかないのか、 わからないのにあるもの。 知覚できるモノ。 すべてが止まっているみたいなとき、 緊張がリラックスになるような 不思議な通過点。 その場所で、知りたいなにか。 あれがキエテしまわないため、 誤差を埋めるために、 それとも認めてゆるされるために 紫の聖痕をつけるというの? それは「観念」したことのキオク。 カラダにゆるされるなら コトバにもその権利はあるはず。 クレーのRをほどくように、 緋文字も解体してみよう。 そして、アナグラムの諮問にかけよう。 まるで、魔女裁判みたいにインチキに。 でも、無意味の沼で金銀の斧を さがしている罪でおかしくされるのは、 私のほうかも。烙印どこに押すのかな。 あっ、いけないアヒル狩りだ。 こそこそ...。 オマエハ、いいアヒルかい? もちろんですわ。 あたしジシンが言うんですから、 相違ないわ。鵞鳥でもないわ。 言葉という病。 「関係でしかないものが実体と錯視される」 なら、コトバになる前に とけかけのチョコレートで口移しに。 あなたの視/眼を私の中に、 私のソレをあなたの中に。 そうやって、パラレルを遊ぶ。 そうやって、私が生きている言葉の外で、 もうひとつ世界を知るわ。 「sondern:ゾンダン」 分離、隔て、そうではなくて。 私は、世界をふたつ知る。 ランボォモノ。 詩人や傭兵が灼熱の地を歩いたのは、 ランボォね、という偶然だけ? 私はそんなことまで気になるの。 ロゴスもパトスも、アタマもココロも、 溶けて、解体されて、そうね、再生まで。 ダジャレもできなきゃだめなの。 死ぬときまで、あん、 その一瞬まで。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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