小諸なる古城のほとり


小諸なる古城のほとり 
           
島崎藤村(1872~1943) 


小諸なる古城のほとり
雲白く遊子(ゆうし)悲しむ
緑なすはこべは萌えず
若草も籍(し)くによしなし
しろがねの衾(ふすま)の岡辺(おかべ)
日に溶けて淡雪流る

あたゝかき光はあれど
野に満つる香(かおり)も知らず
浅くのみ春は霞みて
麦の色わずかに青し
旅人の群はいくつか
畠中の道を急ぎぬ

暮行けば浅間も見えず
歌哀し佐久の草笛(歌哀し)
千曲川いざよう波の
岸近き宿にのぼりつ
濁(にご)り酒濁れる飲みて
草枕しばし慰む







はじめまして アズュールさん

とても素敵なページがいっぱいですね。
あらためて日本語の美しさを感じました。

詩といえば、島崎藤村の「千曲川旅情のうた」が
昔から大好きです。

「小諸なる古城のほとり
 雲白く遊子(ゆうし)悲しむ…」

この詩を読むと、何故か泣けてきます。
この風景に会いたくて、小海線を旅して
小諸の街へ出かけたこともありました。
途中の無人駅に降り立ち、たたずむと
そこには自然に包まれた自分がいました。
一人だけど一人じゃない、そう思えました。
不思議ですね。

こちらのページには、その風景が見えます。
言葉って不思議ですね。
また来させていただきます。


アズュールさんへ 海の青空の青

ご訪問と書き込みありがとうございます。
お名前は・・・さて勉強不足で見当がつきません。
フランス語、でしょうか?
アミューズグールを連想してしまう私は食いしん坊なだけですね。
う~ん・・掲示板に来られるみなさんは、それぞれお好きな言葉をお土産に持ってこられます。
島崎藤村も、この詩も、大好きです。
私は、このあとの方がもっと好きなのですが、
同じ言葉に、思いは違うとはいえ、共鳴できる。
自分の考えや意見、好みは、本質的に変わらないけど
違う人の意見や、見方を知ることによって枠は広がる。
それは大事なことですね。
なので、人と知り合ったり、話したりすることはとっても素敵なことです。
出会いを感謝いたします。
水の波紋のように世界と考えを広げていきましょう。
輪の中心は自分です。
投げ込まれた言葉で自分を広げる。
許容量を大きく持ってうんと広げてみたいですね。


お返事ありがとうございます アズュールさん

海の青空の青さん、
さっそくお返事いただいて嬉しいです。

アズュール(Azur)は、お察しの通りフランス語で
「海の(空の)青」または「紺碧」という意味です。
まるで、海の青空の青さんをフランス語訳したみたいで
なんだか恐縮です。
ちなみに、有名なコートダジュール (Côte d’Azur)は、Côte=海岸で、「紺碧海岸」という意味だとか。

小諸なる…のページを作ってくださっていますね。
ありがとうございます。
私もこの詩の最後の部分がもっと好きです。
同じものを読み同じものをみて感動できる、
それはステキなことですね。
青さんが書いてくださっているように
世界を広げて行けますように。

アズュールさんへ 海の青空の青

再訪ありがとうございます。
ああ。アズュールって、そうだったんですね。
そうです、そうです。
コートダジュールを紺碧海岸と言う呼び方、むか~し、していたことがありますよ。
あれは本の影響だったでしょうか、映画の影響だったでしょうか。
コ-トダジュールの、紺碧、の部分がアズュールなのですね。
教えていただければ、なるほど、ですね。
フランス語がすっと出てきてしまうとは、すごい。

タイトルだけで、中身を書いていなかった他のページを書きこんでいて、まだ、『小諸』までたどり着いていません。
どのページも後から書き足すことになると思いますが
『小諸』にも、思い入れがあるので、このあと少し書いておこうと思います。
掲示板では書ききれませんので、また、ページのほうをご覧下さいね。








この詩は合唱曲にもなっていますが、書かれている情景が目の前に浮かんでくるほど美しく、
早春の(と言うにもまだ早いような)景色が表現されています。
色も、動きも、光も、匂いも、何もかもが写し取られていて、
その上でなお、日本語のいいところがすべて出ているように思います。
歌いながら、聞きながら、また朗読しながら、この風景の中で遊ぶ人は多いのではないでしょうか。
美しい。
本当に美しい言葉と景色です。
文字であらわされる目に見えるもの。見えないもの。
文字であらわされる、文字でないもの。
色彩の豊かさと言葉のリズムで動きを表す。
完璧だ!とうなってしまいます。

この詩が高校1年の教科書に出ていました。便覧だったのかもしれません。
放課後の教室で一人、いいなあ、と思って読んでいると、担任の体育教師が、
初恋の彼を含む顧問のアメフト部の数人と共に入ってきました。
『島崎藤村か。お前らも勉強せんとあかんぞ』
『そんなん授業でやってないで~』
『おい、ちょっと暗誦してみろ』
え?困った。最初の部分しか覚えてないけど・・と思いながら読み出すと
『おおおおお~』
『ほらな。こいつはこういうやつやねん』
どういうやつ??しかもココまでしか覚えていないいい加減な奴なのに・・

好きな詩や言葉というのは、読んで好きになったり、繰り返し口にして覚えたりするものですが、
この詩に関しては、こんな思い出が付いてきます。
誰かとその詩について話したり、誰かに読んで上げたりすると、ますますはっきりとイメージされてきませんか。
こうやってページに書いていくことで、その言葉への思いが鮮明になる。
誰かの思いを聞いたり、話したりすることで、紙の上にあった言葉が動き出す。
命をもって存在するのです。
思いを広げていきましょう。
笑いながら泣きながら目を閉じながら思い出しながら、新しい言葉の意味に出会えるといいな。
私の気付かなかったことを教えてください。

濁り酒が出るのは寒い時期。ちょうど今ごろ。
美味しいお酒を飲みながら、草枕。旅にしあれば・・・なのですね。
私もこの詩を見る旅に出てみたい。







春の朝


時は春 
日は朝
朝は7時
片岡に露満ちて 
揚雲雀なのりいで
蝸牛枝に這い
神空に知ろしめす
すべて世はこともなし

R.ブラウニング (1812-89)上田敏訳『海潮音』より


有名な詩です。
短いのに、まさに春と言う詩なので、私は暗記するほど好きですが
さて、年若い方では、この読み仮名は少し難しいかも?

はるのあした


ときははる
ひはあした
あしたは7時
かたおかにつゆみちて
あげひばりなのりいで
かたつむりえだにはい
かみそらにしろしめす
すべてよはこともなし


これは、小諸なる古城のほとりと対をなす歌だと思いませんか?
目に見える情景は、春の柔らかな、のどかな、季節の始まりを感じさせる麗しいものです。
気温や日の暖かさまで感じられそうです。
さすが英国紳士は神様を引き合いに出してきましたが
違和感なく受け入れてしまいます。
絵で描くなら両手を広げた神様が、その景色を包み込むように
上からにこやかに見下ろしているって所でしょうか。
わが日本の歌人島崎藤村は、その自然の中を歩き、混じり、
一日を見終えると草枕で寝ようかと歌います。

神様の有無を問わず、虫たちは羽音を立てて花へ飛び
鳥はさえずり、露はきらめいているのです。
何事もないように。自然の摂理どおりに。
それが一番の幸せ、ですね。




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