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堕天使のトリック

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2008.07.23
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統一協会では、日本は敗戦後に国土が四つに分断されるはずだったと教えています。
神様が最も嫌い、罰を与えようとしたのが日本だったそうですが、文氏は恩讐の日本を許してエバ国(母の国)にしたので、分断されずに済み、文氏のおかげで日本が発展したのだと教えています。

1948年に大韓民国が誕生し、大統領となった李承晩は、敬虔なキリスト教徒であり、彼の妻のフランチェスカはアメリカ人であり、また、閣僚となった多くの人々もキリスト教徒であった。
そして韓国のキリスト教が世界のキリスト教文化圏の中心であるアメリカのキリスト教と連結していたため、アメリカを通して全世界が収拾されたならば即座に神の世界的基台が造られる歴史的ワン・チャンスの時が、第二次大戦終了後の時であった。
神の摂理から見れば、神側の立場にあった連合国家群の中でイギリスはエバ国家であり、アメリカがアベル国家で、フランスがカイン国家の立場にあった。大戦終了後のこれらの国家群の使命は、エバとアベルとカインが一つとなって、韓半島にアダム国家を造ることと、共産世界を収拾することであった。
そのために最も重要な立場にあったのが韓国のキリスト教の立場であった。
彼らが文先生と一体化し、連合軍を迎え入れることのできる基盤を造ったならば、実体的カナン復帰は7年で成就できるよう、神の摂理によって準備されていたのであった。
(公式HPより)

だから、英米諸国が失敗することによって、日本が祝福を得たのです。
もしも、このように先生が選抜しなかったとすれば、
日本は戦争犯罪として、賠償のために四か国に分割されて、
今の女、娘たちは涙で月を眺めながら故郷を思いつつ、
胸が裂けるような痛みに嘆くことを逃れることができなかったのです。
先生がエバ国家として指定したので、日本はこうなったのです。
日本が偉いからこうなったのではありません。
(「真の自分を探しましょう」1993年12月19日 韓国・済州研修院(女性修練会))



日本とアメリカが戦争中の1945年4月12日、ルーズベルト米国大統領が脳卒中で急死しました。
もしもこの時、大統領が死なず、戦争を続けていたら、戦争は最後の最後まで続いたでしょう。
そして日本はアメリカ軍とソ連軍の両方に占領され、ドイツや韓国のように分断国家になっていたでしょう。それがルーズベルト大統領の方針でした。
1943年11月22日からのカイロ会談において、ルーズベルトと蒋介石中華民国総統とチャーチル英国首相は、アジアにおける戦後処理について話し合いました。その会談でルーズベルトは蒋介石に「沖縄をほしくありませんか?」と持ちかけていました。
蒋介石は「沖縄は長い間、日本の領土です」とルーズベルトの提案を辞退しました。
その後ルーズベルトは、1945年2月8日のヤルタ会談でソ連のスターリン首相に「日本を打倒するために、ソ連にもぜひ対日戦争に参戦していただきたい」と持ちかけ、千島列島獲得を条件に、ドイツ降伏後の2、3ヶ月後にソ連軍が日本侵攻をする秘密協定を結んでいたのです。
この時、日本とソ連の間には不可侵条約がありましたが、秘密裏に日本は追い詰められていたのです。

5月7日にドイツが無条件降伏した翌日、米陸軍長官スチムソンが国務次官ジョセフ・C・グルーのところにやってきて、ソ連の対日参戦計画と原爆開発についての秘密を打ち明けました。
このグルーという人は、日米開戦時に駐日大使をしていた人で、日本とアメリカの戦争をやめさせようと努力した人でした。
グルー国務次官はソ連の対日参戦計画と原爆開発を知り、とても驚きました。
そして何とか日本を「壊滅」から救う方法がないかと考えました。そして考えついたのが対日声明の構想でした。
ルーズベルトの考えどおりに日本が「壊滅」した後に、アメリカが行うであろう政策を先に発表するのです。
これを日本が受諾し降伏するのなら、日本は壊滅から救われるという構想でした。
こうしてグルー国務次官の努力によって実現したのが、7月26日に出されたポツダム宣言です。
それはルーズベルトが考えていた政策をもとにしていたので、この宣言を受諾しなければ「迅速カツ完全ナル壊滅アルノミトス」とあるように内容は厳しいものでした。
しかしポツダム宣言が出された時、日本はすぐ降伏しなかったので、原爆を落とされ、ソ連参戦になりました。
それでも8月15日、ソ連の日本本土侵攻前に降伏したので、日本の分断国家化は避けられたのです。

日本が敗戦した翌日の8月16日、スターリンはワシレフスキー極東軍司令官に「日満軍のソ連領への移送は行わない、捕虜収容所は出来る限り日本軍の武装解除の場所に設ける」と電報を発信しました。
この時点でスターリンは日本人捕虜のシベリア抑留を考えておらず、同じ16日、米国大統領トルーマンへ「日本軍がソ連軍に明渡す地域に北海道の北半分を含めることを提案する。境界線は釧路市と留萠市を結ぶ線で、この両市は北半分に含むものとする。」と親書を送ったのです。
スターリンは対日戦勝利の報酬に北海道の北半分を要求しました。
日露戦争で失った領土と権益の全面復活ばかりか、日本のシベリア出兵への報復として本土の領有に手を伸ばそうとしました。
スターリンの腹の底には日本を南北に分けて、連合国は日本を分割占領すべきであるという意向が明らかに看取され、九州、四国は中華民国に、本州の南半は米英に、そして北部はソ連が占領管理するという下心があったと思われます。

あちこちに紛争の種を蒔き、策謀を張り巡らしていたルーズベルトが急死し、副大統領だったトルーマンが大統領に昇格したことは、日本にとって「神の導き」であった様に思えます。
そのトルーマンは8月17日「日本固有の全島の日本軍はマッカーサー将軍に降伏するというのが私の意図である」とスターリンの要求をはねました。
もしもソ連の野望が達せられ、日本本土がドイツの如く東西に二分されていたら今日の日本の姿は無かったでしょう。
しかし8月22日、スターリンは「あなたの返答は意外であると言わざるを得ない」と怒りの書簡をトルーマンに送り、8月23日「50万人の日本人捕虜連行」が決定され、多くの日本人がソ連の蛮行の犠牲になったのです。

蒋介石総統の特使としてマッカーサー元帥と会見した張羣特使はソ連の野心を看破し、「北海道にソ連軍が進駐した場合、日本の国土は完全に二つに分裂され、思想的にも分裂と混乱をきたし、政局は常に安定を欠き、経済復興が遅れるばかりか、共産主義勢力の太平洋進出となって、アジア及び世界の平和にとって重大な危機を招くでしょう」と進言し、中国の日本進駐を固く辞退したのです。
日本分割統治を主張し「マッカーサーが承知しようがしまいが日本に進駐する」と言うソ連のテリビヤンコ中将に対して、張羣特使を支持したマッカーサー元帥は「許可無く日本に侵入したならば、ソ連代表全部を即座に投獄する」と言って応じ、ソ連の野望を粉砕したのです。

統一協会では、李承晩やキリスト教指導者が反対した為に復帰摂理が失敗し、イギリスの代りに日本がエバ国家に選ばれたので、神の祝福を受けて分断の危機を回避し発展したと教えます。
しかし外国に亡命していた李承晩が朝鮮に帰国したのは1945年10月、金百文が文氏に「ソロモン王の祝福」をした歴史的ワン・チャンスの時が1945年12月25日です。
上記のように日本が分断の危機に直面していたのは事実ですが、時系列を正しく把握して考えれば、エバ国に選ばれたお話と日本の命運が無関係なのは明らかです。





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Last updated  2008.07.24 11:08:36
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