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「卵が先か?鶏が先か?」と訊かれたら皆様はどう答えますか?
鶏は卵から産まれますが、最初の卵を産んだ鶏は、どこから産まれまたのでしょうか? 人間で考えてみましょう。 聖書では、男のあばら骨を取って女が創造されます。 そこで主なる神は人を深く眠らせ、眠った時に、そのあばら骨の一つを取って、その所を肉でふさがれた。 主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。 そのとき、人は言った。「これこそ、ついにわたしの骨の骨、わたしの肉の肉。男から取ったものだから、これを女と名づけよう」。 それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。 人とその妻とは、ふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった。 (創世記2章21~25) では聖書を信じない人に、男が先に生まれたと言ったならば、納得してくれるでしょうか? ひとりの男は母の胎から生まれたのではないでしょうか? そして男の母は男の父と関係を持ったはずです。 そして男の両親はそれぞれの両親(男の祖父母)から生まれたはずです。 そのように考えると、最初の男(女)はどうやって生まれたのでしょうか? 地球が46億年前に誕生して、地球で最初の生命が海に誕生したのが約40億年前と言われます。 男が先に産まれたのか?女が先に産まれたのか? 男と女より、哺乳類の雄と雌が先に生まれました。 哺乳類の雄と雌より、爬虫類、鳥類の雄と雌が先に生まれました。 そして、両生類の雄と雌が先に生まれました。 男が先か?女が先か? 鶏と卵が先です。 鶏が先か?卵が先か? 魚が先です。 神様が創造した生命は、神様の「力」によって進化しました。 すべての生命は海から誕生したのであり、地球上のすべての生命が連続していることを否定すれば、神様を否定することになります。 神様が人間を創造したのは間違いありません。 しかし、いきなり人間の姿で生まれたと考えるのは大昔の話であり、現代人には通用しません。 赤ん坊として作られたアダムとエバは、成長しながら、段階的に生活を通して経験することによって、真なる子女の心情、真なる兄弟姉妹の心情、真なる夫婦の心情、真なる父母の心情を体恤することによって完成するようになっています。 神様の真の愛を全体的に体得するとき、初めて創造目的を完成した理想的人間になるのです。 (「救援摂理史の原理観」96.04.16 ワシントン・タイムズ財団創立大会 ワシントンDC) エデンの園には、五人の男性がいました。 それは、すべての被造世界の男性格主体であられる神様をはじめとして、アダム、そしてルーシェル、ガブリエル、ミカエルの三人の天使長でした。 女性は、エバ一人だけだったのです。 エデンの園で彼らは、恥ずかしがることなく裸で過ごしながら、つがいになっている昆虫や動物などの生態系を見ながら、何を感じたでしょうか? それで、「創世記」二章17節の「ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」と言われた戒めは、エバの愛の問題を強く警告したものでした。 エバは、神様を中心として個性完成して、神様が許諾なさる祝福結婚をするときまでは、絶対に純潔を守って、神様の永遠の愛と生命と血統を繁殖すべきだったのです。 しかし、エバは、僕としての自分の立場を忘れて過分な欲望を持った天使長ルーシェルと不倫な関係を結んで、堕落してしまったのです。 (「神様は私たちの王であり、真の父母であられる」01.05.08 ニューヨーク・ハーレム訓読大会 ニューヨーク市ハーレムのカナン・バプテスト教会) 進化論を誤解して否定する文氏は、『赤ん坊として作られたアダムとエバ』『エデンの園には、五人の男性がいました。』と語ります。 しかし赤ん坊は、両親がいなければ産まれず、乳を与えなければ育ちません。 誰かが言葉を話して聞かせなければ、赤ん坊が言葉を覚えることはできません。 エバは、人類の歴史上最も大きな犯罪者であるといえば、少し過酷な表現かもしれませんが、どうすることもできない汚点を残した張本人です。 エバは、アダムと共に神様の近くで暮らしていました。 この方はいつも穏和であり、細やかな顔ですが、かなり我があり、大変な美人というわけではありませんが、とても整った顔をしていました。 近くで少し話をしようとすれば、いつも顔をそむけてしまいます。 そして再び会っても、全く同じように顔をそむけたり、うつむいたりしながら、視線を合わせることをとても嫌がりました。 少し時間がかかりましたが、対話の門が開かれました。 エバは私が神様の近くにいる者であることが分かったために、互いの意見を交わしながら率直に対話しました。 「私の過ちを再び申し上げる必要はありませんが、打ち明けます」と言って、エバは話し始めました。 アダムと私の間は本当に近く、いつも一緒に食べて、寝て、暮らしました。 私たちはそのとき年が幼かったために、これから夫婦になるということがどうして分かったでしょうか。 アダムはいつもあちこち走り回って遊ぶのが好きでした。 私もやはり遊ぶのが好きでしたが、静かに座りながら万物と共に楽しんで過ごしました。 アダムと一緒にいる時もありましたが、アダムはアダムなりに、私は私なりに遊ぶ時間が多かったために、互いの間に異性的な表現というものは、したことはありませんでした。 ところがその時、私に異性の目を開かせた者が現れました。それがルーシェルでした。 ルーシェルはいつも私のそばを離れず、私を連れて回りながら、細やかに教えてくれました。 時には、私が食べたいという物を持ってきてくれたりしました。 そうする間に、私はルーシェルから異性を感じるようになり、ルーシェルも私を愛するようになりました。 ルーシェルとの間が熟していくころ、アダムもそれに気づきました。 しかし、アダムは私について干渉せず、そのまま放っておきました。 私とルーシェルは次第に熱い愛におぼれるようになり、ルーシェルは私をうまく導いてくれました。 私は、生理的にルーシェルを放すことができませんでした。 この期間がかなり続きました。 ルーシェルは恐れ、私も恐れて、耐えることができませんでした。 しかし、アダムは私を見ると逃げてしまいました。 しばらくして、私は自分の行動が過ったことを悟るようになりました。 ある日、神様から雷が落ちました。 今からは神様のそばにいる資格がないと、しかり飛ばされました。 その時になって初めて、私は心からアダムを求めました。 私を助けてくれと、必死に取りすがりました。 その後、アダムと私は、ルーシェルから習ったとおりに一緒に寝るようになりました。 私は、アダムと関係をもつとき、ルーシェルほど熱い熱情が起こりませんでした。 それゆえ、続けてルーシェルを恋しがるようになりました。 アダムと私は、変に遠い距離感を感じながら過ごし、そのたびにルーシェルは、猛烈な目つきで誘惑してきました。 私は我慢することができませんでした。 結局、ルーシェルの懐の中に引かれていきました。・・・・ (「霊界で会った人たち エバ」1997年8月19日 霊界の実相と地上生活) 別の統一協会の霊能者(金孝南)は、天使長ルーシェルが美男子だと言います。 そして、霊界では肉体が無いので、思いを隠す事はできないとも言います。 もし天使長が神に反逆する、よこしまな思いを抱いて近づいてくるならば、そのような天使を見て、多感な乙女であるエバが魅力を感じるでしょうか? しかし、上記の李相憲からのメッセージによれば、エバは『生理的にルーシェルを放すことができませんでした。』そうです。 天使長がエバの気を引く為に食べ物まで運んできたそうです。 赤ん坊のアダムとエバに、天使が食べ物を運んで育てたとでも言い出しそうな凄い妄想です。 霊的存在であるはずの天使が、食べ物を運んでも不思議でないのが統一原理なのです。(笑) アダムとエバはヘブライ語です。 主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。 (創世記2章7) アダムは土のちり、すなわち地面(ヘブライ語でアダマ)から創られたので、アダムと呼ばれるようになりました。 さて、人はその妻の名をエバと名づけた。彼女がすべて生きた者の母だからである。 (創世記3章20) エバは「生きる者」または「生命」(ヘブライ語でハヴァ)から名づけられました。 そのとき、人は言った。「これこそ、ついにわたしの骨の骨、わたしの肉の肉。男から取ったものだから、これを女と名づけよう」。 (創世記2章23) 男(ヘブライ語でイシュ)から取ったので女(ヘブライ語でイシャー)と名づけました。 ところがルシファーはラテン語で「明けの明星」を意味する言葉です。 わたしイエスは、使をつかわして、諸教会のために、これらのことをあなたがたにあかしした。わたしは、ダビデの若枝また子孫であり、輝く明けの明星である」。 (ヨハネの黙示録22章16節) 上記の聖句のように、イエス様がご自分を「ルシファー」と名乗る聖句もあります。 ヘブライ語では「Helel ben Shahar(輝く者)」 ギリシア語訳では「eosphoros(ギリシア神話の、暁の明星の神エオスポロス)」(0年頃、七十人訳ギリシア語聖書) ラテン語訳では「lucifer(明けの明星)」(405年、ウルガタ聖書) 英語訳では「morning star(明けの明星、金星)」と訳されますが、この部分は、輝かしい業績を持った人を指した言葉です。 (聖書の誤読による「ルシファー」) すべての存在は神によって創造された。 したがって当然天使もまた、神が創造し給うた被造物であることはいうまでもない。 神は天使世界を他のどの被造物よりも先に創造された。 創世記一章26節に書かれている天地創造の記録を見ると、神は「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り」と、自らを複数をもって語っておられるのであるが、これは今日まで多くの神学者たちが解釈してきたような三位神の立場から、そのように言われたのではなく、人間よりも先に創造されていた天使たちを考慮において、それらを含めた立場から言われたみ言であったことを知らなければならない。 神は被造世界の創造と、その経綸のために、先に天使を使いとして創造された・・・・ (原理講論 堕落論より) 神様がこの宇宙を創造される以前に、男性自身をぶらさげてラテン語の名前を持った天使長を創造された、とする統一原理は科学的な真理だと思いますか? 呆れるほど滑稽で無理がある教理だとは思いませんか? 「アベルに聞いてみる」などと思考停止せずに、ご自分の頭でゆっくり考えてみてください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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