124344 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

山の上からーかよ鶯の秘境

山の上からーかよ鶯の秘境

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Profile

かよ鶯の谷間

かよ鶯の谷間

Calendar

Archives

Jun , 2024
May , 2024
Apr , 2024
Mar , 2024
Feb , 2024

Category

Recent Posts

Comments

Keyword Search

▼キーワード検索

Jul 11, 2021
XML
カテゴリ:人物




明治時代初期、絵の好きな清原多代(幼名)という少女がいました。
ある日、庭でスケッチをしていると、異人さんが近寄り「お上手ですね」ー

これが二人の出逢いでした。

男性は、シチリア島パレルモ出身のヴィンチェンツォ・ラグーザ。
1841年に生まれ、日本には1876年(明治9年)政府に招かれて初来日。

専門は彫刻で、日本最初の美術学校である「工部美術学校」で講師を勤めました。
そこで見出したのは 素晴らしい才能を持つお玉でした。





ヴィンチェンツォ・ラグーザは絵に描いたような 理想的美男で 且つ知的な
ストイックな凛々しさを持ったシチリア人芸術家。






またお玉は 芸術を愛する可愛らしい瞳の  稀なる芸術的才能に恵まれた日本人少女。

1861年江戸生まれ、1877年16歳の時に ラグーザと出会い、
西洋画の指導を受けるようになります。





初期は瓶のデッサンでしたが、16歳の少女とは思えない リアルな力作揃い。
お玉の美貌と才能を愛したラグーザは、20歳も年下の彼女と1880年(お玉19歳)に
結婚し、それから夫婦はシチリアで暮らすようになりました。

シチリア人となったお玉は、エレオノーラ・ラグーザ(Eleonora Ragusa)との
名になり、日本人 しかも 女性で初めての油絵画家となりました。

彼女の描く油絵は、自らのデッサンと 彫刻家の夫からインスピレーションを受けた
美しい作品が多く

中でも『小鳥を追いかける少女』は シチリア島での芸術展で 
そのあまりの素晴らしさに 優等賞を獲得しました。





(『エロスとサイケ|天使の口づけ』)

それから彼女は シチリア人画家として 人気が高まり 人気油絵画家と
なりました。

エレオノーラ・ラグーザの作品には、パレルモの風景の中に 日本髪の女性を描くなど 
母国を偲んだ作品も多く それはシチリア人には 大変エキゾチックで美しいものでした。

また西洋の伝統的な油絵を 日本人にも 身近なものとさせた 明るい作品も多く
そうした意味で 日本に西洋絵画を しっかりと根付かせた人でした。





(有名な作品『春』ー春と若い女性の初々しさを描く)

彼女は20歳も上の夫、ラグーザと1927年(昭和2年)に死別しました。

66歳の夫を失ったエレオノーラは、ずっとシチリアに滞在するつもりでしたが、
姪に当たる初枝(姉の娘)が しばしばシチリアに訪問し
「ずっとシチリアで独り暮らしは寂しいでしょう」と説得しました。

エレオノーラは日本語をほとんど忘れていましたが、
1933年(昭和8年)72歳時に、姪と共に帰国します。



シチリア時代は、夫ヴィンチェンツォが開設した パレルモ工芸学校で
絵画科の教師の職に就いていました。

また、油絵を精力的に描き、それらの作品は
パレルモやモンレアーレ、シカゴなど 各地の美術展や博覧会で
受賞し、世界的に高い評価を得るなど、画家として幸福な人生を歩みました。





(定評ある花の豊かな美しさを描いた『薔薇の花』)

日本へは実に51年ぶりの帰国でした。

エレオノーラはすっかり変わった 昭和の日本で
東京美術学校に ヴィンチェンツォの遺作を多数寄贈したとのことです。

1939年(昭和14年)4月5日、東京は芝区(現在の東京都港区芝)といった
閑静な実家で脳溢血を起こし、6日に 惜しくも 79歳で急逝されました。



「お玉」としての10代は、姉のお千代と共に 龍和小学校へ入学し、読書及び算盤を
習いましたが、入学前から絵には深い関心があり、
絵本や草双紙の模写をしていました。

また早々に 絵のお師匠さんのもとに通い、小学校卒業後も続けていたそうです。
実家は植木屋だったため、女の子の教育は明治日本では ごく当然のように
小学校まででした。

それが幸いし、お玉は好きな絵を存分に学び、遠いイタリアのシチリアから
来日したラグーザと出逢うことになりました。



素晴らしい人との出逢い また 画家となって人生を貫くチャンスにも
恵まれた 明治生まれの日本人女性。

明治の女性は 実家が貧乏だと 女郎屋に売られたり なかなか
学問などできないのが 一般的でした。

その中で イタリア人と夫婦になり シチリアという珍しい 日本とは異なった
世界へと飛び込んでいった ラグーザお玉の人生は、才能が大きく開かれ 
作品も世界的に認められるといった 美しく理想的な生涯であったことでしょう。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  Jul 11, 2021 09:46:59 AM
コメント(0) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.