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カテゴリ:戦争映画
2009 東宝 監督:篠原哲雄
出演者:玉木宏、北川景子、堂珍嘉邦、吉田栄作、平岡祐太ほか 119分 カラー 第二次世界大戦末期、日本海軍の潜水艦艦長と米海軍の駆逐艦艦長の死闘を描いたアクション系ヒューマンドラマ。いわゆる潜水艦映画としてのアクション性も高く見ごたえがあるが、両艦乗員の人間性を描いたヒューマンドラマとしても成り立っている。「ローレライ」「亡国のイージス」原作の福井晴敏が監修を手がけ、従来の日本戦争映画とは一線を画した両国側からのフラットな視点を目指したのだという。 本作は池上司の小説「雷撃深度一九・五」を原作としており、これは実在したイー58潜水艦と艦長橋本以行中佐をモデルとしている。橋本中佐のイー58潜水艦は原爆をB-29基地に運搬した巡洋艦「インディアナポリス」を撃沈したことでも知られ、人道的な橋本中佐の人となりは幾多の書籍として出版されている。本作では、イー77潜水艦の倉本艦長として登場し、敵は米駆逐艦「パーシバル」に姿を変え、ストーリーもフィクションとなっている。それだけに内容は結構シリアス調で、これまでの「ローレライ」などのお子様的映画に比して雰囲気が大人だ。とはいえ、後に述べるように完全にシリアス調にはなりきれず、ファンタジー的な軽さも残っているのだが。 内容では、劣勢に立たされた日本海軍潜水艦の艦長が米駆逐艦と巧みに駆け引きして死闘を繰り広げるシーンが一つの見どころだろう。既に兵器類の遺存していない日本においてリアルな映像を撮ることは困難だが、本作では米軍の退役駆逐艦DE-766スレーター(キャノン型護衛駆逐艦)の撮影を活用してリアルな映像を再現している。また、航行シーンではメキシコ海軍のD-111マヌエル・アズエタ(元米エドサル型護衛駆逐艦DE-250ハースト)が利用されたそうだ。さすがに潜水艦はCGで誤魔化しているが、出来は悪くない。内部のセットも「Uボート」には及ばないものの比較的良くできており、これまでの潜水艦系邦画とは一線を画する。爆雷シーンや浸水シーンなど戦闘シーンは手に汗握る絶妙な描写だが、発令のタイミングや間の取り方が悪かったり、爆雷CG映像がちょっとしょぼかったり、潜航停止中にやたら物音立ててたりと、何箇所かリアリティに欠けるシーンがあったのが残念。たかがその程度なのだが、やはり戦争モノとしてはこの小さな非リアリティが全体のバランスに大きく影響してしまう。 また、長期間狭い艦内で寝食を供にする乗員の人間模様と艦長の人間性も本作の大きな見どころとなっている。イー77は艦上の砲塔を撤去し人間魚雷「回天」を搭載しているのだが、橋本艦長は回天をできるだけ使用しないようにしたことでも知られ、本作の倉本艦長も史実通り死に急ぐ回天搭乗員の命を救っていく。軍人と言えば常に勇猛果敢に戦う姿が思い浮かぶが、軍人といえども人の子であり、優しさや普通の感情も持っている。本作ではそうした日本軍に限らず米海軍艦長など様々な乗員の感情を扱っている。 本作のキーとなるのは、倉本艦長の孫娘が戦争で殺し合う敵同士なのに楽譜が守られてきた疑問を問うシーンで、老人となった旧乗員が「みな一生懸命だった」と言う台詞だろう。戦場の兵士にとって戦う意義や理由など関係なく、自身が生きるため、仲間とともに生きるため、ただただ一生懸命でなければならないのだ。本作における登場人物の行動は全てそれに尽きる。 ただ、このヒューマンドラマ部分についてはやや違和感もあった。それは描かれる人物感情の割にはあまり心に響いてこなかったところだ。確かに涙腺の緩くなるようなシーンもあったことは確かだが、全般に軽々しいのだ。その理由として台詞に問題もあるだろうが、一番は役者の演技だと思われる。主演の玉木宏の演技が全体の中では浮きすぎている。顔立ちが格好良すぎるのもあるが、軍人らしさや感情の表現が浅い感じがする。反面機関長役の吉田栄作が渋すぎて男気出しすぎだし、炊事長役の芸人も現代風すぎ。余り重い映画にしたくないという意図もあるのだろうが、全体にアンバランスになってしまい、シリアス性が阻害されファンタジー的な匂いがした。 なお、最近の流行りなのか、本篇の前後に現代シーンが挿入されるが、本作ではそれなりの伏線として一応は機能している。まあ、なくても良かったレベルだが。 兵器類では前述の米駆逐艦が実写で、さすがにリアルな映像となっている。日本海軍の潜水艦は当然内部のみのセットだが、イー77のほかイー81が登場し、発令所セットは各々微妙に異なっているという凝りようだ。また、戦史考証はしっかりしているようで、特に潜水艦での食い物に関して力が入っているようだ(笑)。曜日感覚を取り戻すための金曜カレーはもとより、ビタミン剤、おにぎり、サイダーなどが登場する。 全体としてはベタベタの恋愛も強引な感動描写もなく、スマートな出来と言えよう。だが、ヒューマンドラマ部分もアクション部分もスマートすぎてインパクトに欠けた。良い作品ではあるのだけれども、内容的には薄っぺらく物足りない印象なのだ。もう一歩どこかで踏み込んでも良かったかなあ。 興奮度★★★ 沈痛度★★ 爽快度★★★★ 感涙度★★★ (以下 あらすじ ネタバレ注意 反転でご覧下さい) 現代・・・女教師の倉本いずみが古ぼけた楽譜を手に老人を訪ねる。楽譜は亡くなったマイク・スチュワート艦長の遺品で、孫が日本の遺族会あてに送り、潜水艦艦長だった倉本艦長の孫であるいずみのもとに届いたのだ。老人は倉本艦長のイー77潜水艦の水雷員だった鈴木一水で、楽譜が何故アメリカ兵のもとにあったのか疑問を問ういずみに対し、「私たちはみな一生懸命だった」と答える。 1945年8月の戦争末期、倉本艦長のイー 77潜水艦は沖縄南東海域で、アメリカ軍輸送船団の撃破を任務としていた。日本海軍は5隻の潜水艦が5重の網をかけ敵輸送船団を待ち受けていたが、アメリカ海軍の対潜駆逐艦によって次々に撃破されていく。イー77の前方海域には倉本少佐の友人有沢少佐のイー81潜水艦が任務に就いていた。有沢の妹志津子は倉本に恋しており、出撃前にお守りとして一枚の楽譜を渡していた。それは真夏のオリオンという曲で「オリオンよ、愛する人を導け」とイタリア語でメッセージが添えられていた。有沢は倉本に絶対生き残れと言って出撃したのだった。 米駆逐艦「パーシバル」は弟を回天攻撃によって失った凄腕のマイク・スチュワートが艦長をしており、有沢のイー81は爆雷によって大破着底させられてしまう。次に待ち構えていた倉本のイー77は見事敵輸送船を2隻撃沈しパーシバルの攻撃から離脱することに成功する。 倉本少佐の艦では航海長の中津大尉、水雷長の田村特務大尉、機関長の桑田特務機関大尉、烹炊長秋山ら歴戦の仲間が倉本を支えており、新兵は軍医長の坪田中尉、水雷員の鈴木一水らだけだった。鈴木一水は次第に家族的な潜水艦搭乗員の姿に触れ、倉田艦長の自由奔放で柔軟な戦術眼を知っていく。また、イー77には人間魚雷回天が4基搭載されており、遠山少尉ほか3名の特攻隊員も搭乗していた。 倉本少佐は航海長らの反対を押し切って、イー81が消息を絶った海域に向かう。そこで金属音のモールス信号を捕える。着底した有沢からのメッセージだった。危険を顧みず倉本は有沢を励ますが、駆逐艦パーシバルも感ずいて接近してくる。有沢は倉本に妹を頼むと残して爆雷攻撃で撃沈する。 倉本はエンジンを停止し海中に潜む。パーシバルのマイク艦長も倉本の行動を読み、3昼夜を超える我慢比べとなる。酸素が尽きた潜水艦では血気盛んな回天搭乗員をなだめ、倉本は回天の圧縮酸素を艦内に注入する。これで回天の出撃はできなくなったが、その理由を倉本は「(搭乗員の命が)もったいない」からと言うのだった。 いよいよ倉本は攻撃を決意する。パーシバルが左旋回することを読んだ倉本は爆雷回避後に浮上して魚雷攻撃を仕掛ける。だが、1番魚雷発射管が故障し、敵艦に向かった魚雷もマイク・スチュワートの機転で回避されてしまう。再びパーシバルの爆雷攻撃を受けたイー77は搭載した回天が1基が駆逐艦艦底に接触して大破し200mの海底に着底してしまう。安全深度をはるかに超え、機関や排水弁などが破損した状況で修理を急ぐ。1本だけ残った魚雷と2基の回天しか攻撃手段はない。しかも、魚雷整備の最中に水雷員の森が下敷きになって死亡する。倉本にとって初めての部下の戦死だった。倉本は森の遺体を楽譜を入れた瓶やゴミとともに放出し撃沈の偽装をする。だがマイク艦長はそれを偽装と見抜き、楽譜の真夏のオリオンを眺め、日本兵も人間だと悟る。それでも戦わねばならないマイク艦長は本隊の命令を無視し、イー77との対決に熱意を燃やす。 倉本少佐は最後の決戦を決意する。鈴木一水にハーモニカで楽譜の「真夏のオリオン」を演奏させる。その音を聞いたパーシバルはイー77の位置を確認する。それとともに倉本少佐は2基の回天を無人で発射させる。2基のエンジン音を聞いたパーシバルはその後を追っていく。倉本は最後の圧縮空気を放出して浮上し、最後の魚雷でパーシバルの艦尾に命中させる。パーシバルは撃沈はしなかったが大破した。イー77は攻撃兵器をすべて失い、倉本は駆逐艦パーシバルの横に浮上する。パーシバルは砲撃戦の用意を始めるが、マイク艦長はイー77の総員退艦を待つよう命じる。その時パーシバル上で歓声がわきあがる。終戦となったのだ。回天搭乗員の遠山は倉本に銃を突きつけて攻撃続行を要求する。だが、倉本の説得によって銃を下ろすのだった。 鈴木老人の話を聞き、いずみは帰っていく。その後ろ姿に鈴木のハーモニカの真夏のオリオンの音色が響くのだった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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