地球 人 きれい☆きれい地震やハリケーンなどの自然災害、地球の温暖化による被害、「エイズ」や「エボラウイルス」など未知な病気との闘い、戦争・テロ、貧困問題など、人類は多岐に渡る問題を抱えています。 でも、それらは直接的にしろ、間接的にしろ、人類自身が引き起こしたものです。 そして、その「負の遺産」により、多くの人が苦しめられています。 「先進国」、「富裕」な人々、社会的強者が引き起こしたものにもかかわらず、 その多くは「後進国」、「貧困」に苦しむ人々、社会的弱者です。 私は「想い・願い・信じた行動は、必ず実現する!」そう思って生きています。 でも、地球上には「生きる」ということさえままならない人がいます。 「夢」は「大人になるまで生きること」と語る子供がいます。 そんな人たちを助けたい! 自分のできることだけでもしたい! ささやかですが、そう思っています。 「誰かのために 何かのために」 ボランティアの精神でよく言われます。 悲しいことにその志を「偽善」や「自己満足」と評する人もいます。 ボランティアの活動はある意味、「宗教活動」に似ているように思います。 皆、自分が信じることが正しいと思い、他の宗教を批判し、時に激しく攻撃する。 でも、思うのです。 ボランティアの活動は、重い荷物を持って歩いている人を目の前にした人間の行動だ、と。 重い荷物を持って歩いている人がいたら、 荷物を持ってあげたいと思う、 少しだけ持つ人、 いっぱい持つ人、 いっぱい持って動けなくなる人、 一緒に運ぼうとする人、 手伝おうといわれた人は 喜ぶ人、 自分で運ぶと拒む人、 盗まれると疑う人、 当然のことと振舞う人、 多々いることでしょう。 でも、同じ道を行くのに、重い荷物を持って歩いている人がいて、何もせずに通りすぎてしまったら、 私は何か心に重い荷物をもってしまうように思うのです。 急いでいたら気付かないかも、 あるいはそ知らぬふりをして行き過ぎるかも、 声をかけることにためらいを感じるかも、 あるいは拒まれた経験から、無視してしまうことも。 だけど、最低だと思うのは、 荷物を持つ人&手伝う人を何もしようともしないで、批判する人だと思うのです。 荷物を運ぶ人、手伝う人の横で 持ち方が悪い、 もっと持て、 礼を言え、 私ならもっと上手く手伝う、と言うだけの人です。 荷物を持った人は拒んでもいいんです。 当然と思ってもいいんです。 ただ、私が持ちたいと思って、そうしたのですから。 だけど、それを侮辱する人は許せません! 私は私を侮辱する人は許さない! でも、そのことで傷つくことはないんです。 私を傷つけることができるのは私が大好きな人だけですから! どうか、「誰かのために、何かのために」、始めたいと思ったら、ためらわないで。 そして、少しでも、社会を、世界を、よくしていこうではありませんか! |