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テーマ:生き方上手(686)
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「いじめっ子」の気持ち(心理)。 ・・・・・で「今、スグに、思いつけること。」 「いじめっ子」の気持ち(心理)の “ありがち”のヒトツに つぎのような「流れ」がある。 「家ではいい子。」 「家ではいい子。」でいる為に 自分にかかるストレスを 家で素直に吐き出せない状態が 家の中で起こる。 そして 「家で素直に吐き出せない」為に 家の人間が「目の届かないところ」で (家の人間の「見えないところ」) 吐き出す。 このストレスの吐き出し方、、、は 「家で感じるストレス」を 「そのままの形」で吐き出す事は なかなかない。 「家で感じるストレス」は 「カタチ」を変えて 吐き出される。 その子の目の前に見えるもの、目に付くものを (情報やデータ、扱うもの) 新たに組み立てて、 組み合わせて「吐き出す。」 ただ、、この時、 分かりやすいのは、 やっぱり「子供、、は、、、子供」なので 「子供」の発想(自分の中のテーマ)を中心に 組み立てられる。 子供は「アイツはムカつくから無視しよう。」と誰かが言えば 意味はなくとも 仲間内でクチを合わせる。 (そうする事が、自分の中で「カッコ」よかったり、 誰かを痛めつける事で 自分の中にあるストレスを解消できるのだ。) (また、、、「悪く言う」のを聞くと 「そう言うコト・評価」が正しくて、 自分は「そうは思っていなくても」 自分もそう言わなければ乗り遅れる、、とか タダ、、「引力のようなものに引き寄せられ」て なんとなく「そうしてしまう。」・・・という ヒトの心の動きクセ、、、もある。) 目の前にいる子が 自分より チカラが弱い子のように見えれば、 (自分のストレスを解消するために) 「何をしてもいい」ような気分でいたりする。 たとえば、 自分(子供)に直接「ストレス」を与える対象が 自分の親、、、だとしても なかなか 「直接その(ストレスを自分に与える)対象」に対して 「不満」をぶつける、 「いやだ」と言えない、 「おかしい」と言えない、 (思った、ら、スグに言えない、、、 言いたい事は“後から思いついたり”、、、 大人と同じだねぇ~。。) 「ストレスを与える原因そのもの」に対しては なにも言えない、、、から 別の人間や対象に 不満をぶつけたりする。 今、、、書いていて なんとなく、、思ったんだけど、、、 子供を一番「イジメテいる」のは 大人の方じゃないか、、、と。 子供が「素」でいる事をゆるさず、 大人の「(頭で考えて)決めた枠」にそうように、 あれこれ「実験台」にされている、、、、。 「子供を変えたいなら大人から変われ」と よく聞くが、 たしかに、 その言葉自体は、、、ちがっちゃぁいない ・・・と思う。 、、、が、しかし、 その「大人」自身も 初心者と知識を(初心者より)もってるヒト、、が 存在して、 その知識を(初心者より)もってるヒト、、、の 意識ヒトツで 「(大人自身)がイジメられている状態が存在する。」 ・・・事も確か。 「なぜ、一生懸命でマジメな子がイジメられなければならないのか。」 普通の大人の世界でも 「マジメで一生懸命なヒト」は よく「カッコつけんじゃねぇよ。」とか オマエ「偽善者だろ。」 ・・・・という言葉で 評される事がある。 「カッコつけんじゃねぇよ。」とか オマエ「偽善者だろ。」、、、、、と 他人に言葉を浴びせる限り、 「マジメ」にも 「一生懸命なヒト」にも なれない。 なぜなら、 自分自身が 「カッコつけんじゃねぇよ。」とか オマエ「偽善者だろ。」、、、、、と言われ ショックと強いストレスを感じるのが 嫌だから。 「マジメ」で 「一生懸命」になる事が 「カッコ悪い。」と強く感じ、 「マジメ」で 「一生懸命」になろうとしている自分が 恥ずかしくて、恥ずかしくて、恥ずかしくて、恥ずかしくて、 恥ずかしくて、 恥ずかしくて、恥ずかしくて、恥ずかしくて、恥ずかしくて、 恥ずかしくて、 恥ずかしくて、恥ずかしくて、恥ずかしくて、恥ずかしくて、 恥ずかしくて、 恥ずかしくて、恥ずかしくて、恥ずかしくて、恥ずかしくて、 恥ずかしくて、 恥ずかしくて。 ・・・素直な自分になれない、、 ・・・素直な自分と向き合えない、、から。 ◆脳科学の世界でも・・・・・ 脳科学の世界でも・・・・・ 「脳」は「自分と自分以外のヒト」の 「区別」ができない、、、、という結論が でているそうだ。 例えば、、、 他人への「悪口」は 自分への「悪口」を言っているようなもの。。。 ・・・と言う感じ。 (「脳科学の話」は神田さんの本で知ったんだ。) ・・・確か、、「非常識な成功法則」・・・だったと思う。 別にさ、 脳科学のこの「脳」のコト、、を知らなくったって、 日常にある自己分析で 気付けてたの。 「自分が知った範囲でしか思いつかない。」 「自分が知ってる世界観でしか思いつかない。」 「自分が知ってる言葉しか出てこない。」 「自分が経験した、モノの成り立ちしか考え付かない。」 たとえば、、、、 「チッチ」 これ、「ある生き物を指す 言葉を覚え始めたヒトが 使う言葉」 なんだけど。 「なんの生き物の事」か わかる? その生き物、、、というのは 「ハエ(蝿)」 (言葉を覚え始めた子供の言葉) 私は「チッチ」の意味を知っているから。 自分が「知らない」言葉は 思いつかないし、 意味も考え付かないの。 たとえば、、、 「不安を感じる考え方をするクセ」があれば、、、 何に対しても 「不安を感じる考え方」をしてしまうようなもの。 「悪口」を例えで使うと 「誰かの悪口を言った分だけ 自分の自信をなくさせている。」の。 「誰かの悪口」を一番聞いているのは 「自分」 (言った本人。) その「誰かの悪口の意味の 本当のところを知っているのは 「自分」 (言った本人) そうそう、、、 「誰かの悪口」は 言えば言った分だけ、 自分に刷り込まれていくの。 まるで、 「(自己)暗示」をかけるようにね♪ 大人の考え方ができるようになれば 「自分の不満は 自分の今の素の感性に気付くためのキッカケ。 今を改善する為のツールや情報源として 役立つ。」 ・・・・と 考えられるようになるけれど、 子供、、、は 子供、、、、だからね。 経験から得た実感、、、、、も年配よりはないし、 経験から得た知識、、、、、ではないから なかなか使いこなせないし。 経験と言う「データや情報源」が まだまだ、「少ない」し。 人間だから 「どんなに想像できる。」、、、、としても、 体験や、経験、実感を踏まえなければ 超えられない壁や 磨く対象の「カド(角・デコボコ)」がある。 その壁や「カド」がある事を前提に 自分を考えたら、、、、、 今より、「もっと、良い方向」へ 進む事ができるんじゃ。。。。。ないかなぁ。。。。 子供の世界で起こる事は 大人の世界で起きていることが 目に見えるカタチで 現れたものだよ。 大人(自分)の「無意識」の行動は 誰かに影響を与えることで やっと、 大人(自分)の 「目に見える状態」で現れてくれる。 大人(自分)の「無意識」の行動は 大人(自分)の目には見えないものでしょ。 加えて言うと、 過ぎた過去、、、だから、、、 あーだ。こーだ言えるもんなのよ。 過去は、「今」の大人(自分)のクセを 知る手がかり。 自分のいきたい方向が 見えているなら、、、 改善しやすいし、、、、 (クセを見つけやすい。。行動しやすい。。) 見えていない時、、、、は 様々を経験して、、、感じ、、、 「行きたい方向」が徐々に見え始めるまで 自分の「感じ」をためていく、、、 学びの時期、、、なんじゃぁ ないだろうかぁ。。 ・・・・と考えられたら 「何にもない」様に感じていた 今の『自分の状態』に、納得し安心し 心配がヒトツ減った。 ************** 子供の内は 人間の「グロさ」も素直に出やすい。 ヒトの持ってる「素地」「素」「資質」「持ち味」も 素直に出やすい。 ただ単に、、、 「善悪」や「いい、悪い」 「残す、排除するには・・・」・・・・・を論じ、 煮詰めるだけでは このパターンはいつまでも 繰り返されるのだ。 ************* 「子供の頃」にできなかった事を 「大人」になってからする。。 それは「十分、、いい事」だ。 けれそ、、 「子供の頃」にできなかった事に 執着して・・・・・ 続きへ。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012年04月11日 11時22分52秒
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