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November 21, 2024
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カテゴリ:書評

激動の時代を生き抜いた3人の文豪の思想に学ぶ

記念講演 文学における「時間」と「空間」

     ——モンテーニュ・セルバンテス・トルストイ

第10回 創価大学大学院教授 京都大学名誉教授  福谷 茂

 

——創価大学の中央図書館には、創立者・池田先生が寄贈された7万冊の「池田文庫」が所蔵されています。実際に、ご覧になってどんな印象を持たれましたか?

 

福谷 「池田文庫」は戦後啓蒙主義、つまり、とにかく知識のあらゆる分野を視野に入れたい。そういう願いが込められたブックリストになっていると思います。もともと個人の蔵書ではありますが、貴重な本もあり、誰でも手に入れるような本もあり、幅広い分野の書籍がそろえられています。特に、戦前から戦後文学の担い手まで文学作品がものすごく多いです。

 

——「池田文庫」から一冊選ぶとすれば、と尋ねられて、子ども向けの本を選ばれたそうですね?

 

福谷 そうなんです。私が思わず手に取ってしまったのは、『少年少女 学習百科集』(講談社、1961年~63年)でした。例えば物理は武谷三男と星野芳郎、生物は八杉龍一と、執筆陣が素晴らしい。これは、父が私のために贈ってくれた百科事典と同じもので、子どものときは夢中になって読んだものです。『私の履歴書』などを読むと、創立者のご長男と同世代のようです。当時は、多くの家庭にこうした百科事典がそろっていました。

世界の不思議を一望してみたい。知的な教養とは何なのか。そうしたことを子どもから大人まで感じさせる本が、池田文庫には収められています。また、創立者と私の読書歴は、池田文庫や『若き日の読書』、「読書ノート」などを拝見すると、かなり重なる部分があります。

 

——福谷教授は西洋近世の哲学史、特にカント研究の第一人者です。深い教養を背景にまとめられた「〈ピプリオグラフィカル・エッセイ〉書海按針—学部学生のための読書ガイド—」は、学生への愛情あふれる重厚な内容です。今回の講演では「文学における時間と空間」をテーマに、モンテーニュ、セルバンテス、そしてトルストイについて論じられました。

 

福谷 フランスのモンテーニュ(15331616年)は、ヨーロッパで宗教戦争を体験した世代です。

ロシアのトルストイ(18281910年)は、この2人と300年ほど世代が離れていますが、『戦争と平和』の主題となる「革命の時代」に生きています。

3人に共通するのは、著書に自分の生きている戦争と革命の時代を克明に描いていることです。大きな危機や困難の中で、どうすべきか。どう対処すべきか。それぞれが激動の時代を生き抜く思想的な手立てを編み出していきました。

 

 

モンテーニュは何を試したのか

福谷 まず、モンテーニュを見てみましょう。創立者は、「読書ノート」にモンテーニュの言葉を引用していますね。

 

——はい、いくつかあります。例えば、「人は、其の心を堅実にして、善く奮って悪と闘い、同時に亦善く、活き、善く信ずる道を学ばねばならぬ」などの言葉ですね。池田先生が若き日にモンテーニュを読み、胸に響いた言葉を書きとどめたのだと思います。

 

福谷 モンテーニュの『随想録』は、今は『エセー(エッセイ)』とそのまま呼ばれることが多いですが、わが国にも「枕草子」など平安朝以来の随筆文学があります。

モンテーニュは、カトリックとプロテスタントという対立軸のはっきりした内乱の時代に生きています。裁判所で勤務した法曹であるだけでなく、バルドーの市長にもなりました。

小さな城ともいうべき自宅の等に書斎をしつらえて、書物に囲まれて、読むこと、書くこと、考えることを中心にして人生を送りました。その産物が『エセー』です。

塔に立てこもったといっても、その時代から逃れたのではありません。世の中のニュースはすぐに届きますし、呼び出されもします。パリに行ったり、イタリアに行ったり、大旅行に出かけたこともあります。

モンテーニュは、より本格的に時代と接触するために拠点として、彼の塔、書斎を選んだと考えられるわけです。書斎には、当時としては膨大な1000冊もの蔵書がありました。

『エセー』では、同時代の事件に対して、彼がかたっぱしから論評を加えるのは、キケロ、セネカ、ホラティウスといったギリシャやローマの著作家ばかりです。

ここで重要な点は、当然ありそうな『聖書』からの引用というものが、事実上はほぼないということです。

裏切りや残虐行為といった人間性の醜い部分、ダークサイドが、宗教戦争のさなかに、人間性への施策の拠点を『聖書』に求めることはできなかったわけです。

 

 

——カトリックもプロテスタントも、『聖書』をもとにしており、その解釈をめぐって人と人が殺し合う戦争が起こっていたのですね。

 

福谷 「エッセイ」という英語は、フランス語の「試み」「試す」という事が語源となっています。つまり、「聖書」から離れて人間はどれほどのことを考えられるのか。それを「試す」という意味が、背後にあるのではないかと思います。

随筆といいますから、日本の古典の感覚では、余裕綽々と折々に感じた出来事を書いているように思いがちですが、モンテーニュは相当、冒険的な作業をやっていたことが分かります。

キリスト教では、紙が世界を創造し、イエスの出征と復活があり、終末の時がやってくる。人類の歴史は、神による救済の歴史だという枠組み、——「救済史」があります。しかし、モンテーニュは、現実の出来事を救済史に還元することはしません。

一例を挙げましょう。モンテーニュが、現実に起こったある事件の「悲しみ」を論じる際に、引き合いに出したのは、古代エジプトの王のエピソードでした。

エジプトの王は、ペルシャの王に敗亡し、囚われの身となります。実の娘が奴隷になった姿を見ても、息子が処刑の場へと連れていかれても、彼は泣かなかった。しかし、彼の友人、家来が囚人として連れ去られるのを見ると、エジプトの王は、初めて自分の頭をたたき、悲しみを表した——。

 

 

——エジプトの王は、娘や息子ではなく、部下や友人を大切にしていたという事のようにも読めますが……。

 

福谷 モンテーニュの結論は、〝深い悲しみは、涙であるとか、言葉であるとか、仕草によっては表わすことができない〟ということでした。彼は「悲しみのために化して石となれり」というローマの詩人オウィディウスの言葉を引きます。

本当に深い悲しみでは、人間は石になる。慟哭もしない。涙を流さない。モンテーニュは実例を挙げながら、「普通の常識」というものよりも、もっと深い味方にたどりつこうとしました。

「普通の見方」で割り切ることに対し、異を唱えて警鐘を鳴らす。「そんなに単純明快に判断できるものではない」と。これがモンテーニュの「対処法」「方法」でした。

宗教戦争という危機の状況から、「脱却」する。その「方法」を、その都度、体系化せずに、古典を参照しながら試み続けていく。そうした生き方を目指した人が、モンテーニュであると言えます。

 

 

「戦争と平和」の魅力の源泉

「世界史」から「一家庭の歴史」へ

何層もの「時」の流れを描ききる

 

 

 

「メタバース」とセルバンデス

福谷 次に、セルバンデスに話を移します。セルバンデスといえば『ドン・キホーテ』ですが、話の筋は知っていても、実際に読んだ人は少ないかもしれません。

 

——『完本 若き日の読書」の「読書ノート」には、セルバンデスの言葉はありませんが、『若き日の読書』に、サバニチの『スカラムーシュ』の章があります。ここでは、ドン・キホーテが風車に向かって突進するエピソードが出てきました。「風車は特権階級であり、風は民衆である。風車は槍ではと失せないが、風が吹けば、いやでも回り出すだろう。まさにフランス大革命は、民衆が巻き起こした一陣の風が風車を回しに回し、やがて全ヨーロッパにヒューマニズムの薫風を吹き込んでいったものである」と記されています。戸田先生(創価学会第2代会長)も、風車の話が出てきたところで、我が意を得たりと膝を打たれたそうです。

 

福谷 そうでしたか。セルバンデスの生きた時代には、世界帝国であったスペインが凋落していく時期でした。

ドン・キホーテは、元々平凡極まる田舎の郷士です。それが、騎士道小説にのめり込み、自分が騎士であるという妄想を抱きながら、時には大失敗をし、時には大歓迎を受けながら、活躍していく物語です。一種の狂気をテーマにした物語といってよいでしょう。

セルバンデスには、ほかにも「ビロード学士」という中編小説があります。主人公は、自分の体が「ビードロ」、つまりガラスになってしまったと思い込んでしまう。これも狂気の物語です。狂気の間は、追いかけ回され、大人気を博しますが、正気に戻ると相手にされなくなり、最後には戦死を遂げてしまうのです。

セルバンデスは、乱世の中で生きる「対処法」として、現実の世界とは全く別の世界を自らの本拠として選び取ります。今の言葉で言えば、「メタバース」(仮想空間)で生きながら、悲惨な現実世界に対処しているということでしょう。

さて、ようやくトルストイの『戦争と平和』にたどり着きました。創立者は『私の人間学』の中で、『戦争と平和』についてまとめて論述されています。

なぜ、トルストイはナポレオンを卑小な存在として描いたのか。この質問に答えようと施策を重ねている様子がよくわかりました。

 

——この箇所ですね。「トルストイによるナポレオンの矮小化は、なぜ、かくも執拗なのか、という問題がある。ここにトルストイ独自の史観が、強く働いていると感じらえてならない。つまり、歴史というものは、一人の卓越したリーダーの力によって創出されるものではない、という透徹した眼である」

 

福谷 重要な問題です。私もこの点を考えたいと思いました。

私にとってトルストイの『戦争と平和』は今も毎年必ず読み返す愛読書です。『戦争と平和』には、エピローグが二つあります。2番目のエピローグには、トルストイの歴史哲学がつづられているのです。物語には関係がないため、訳者によっては、この部分を省略してしまう人すらいるほどです。

19世紀は「歴史学」が学問として成立した世紀です。その担い手はドイツの大学でした。トルストイは、当時の歴史学は、ただ時間を追いかけているだけにすぎないと考え、批判しました。どの場限りの話や事件をつなげて、歴史だと言っているのだと。

イギリスの哲学者アイザイア・バーリンは、このトルストイの歴史哲学を再評価していますが、ここでは詳しく立ち入りません(『ハリネズミと狐—「戦争と平和」の歴史哲学』参照)

従来の歴史家の概念は、単なる「長い時間」にすぎないと考えたトルストイは、「時間」だけでなく「空間」もまた歴史の中に組み込んで、小説として表現したのです。

モンテーニュの方法が「時間」に即し、セルバンデスの方法が「空間」に即していたとすれば、トルストイは『戦争と平和』で時間中に空間を組み込む。それは、時間を相対化する空間であり、時間と空間との相互関係が生じる。合理的な思考ではとらえられない、複雑怪奇なもの、これこそが歴史なのだ、というトルストイのメッセージを読み取ることができると思います。

 

 

生命が吹き上げるような人物描写の妙

福谷 トルストイの人物描写は、非常に魅力的です。例えば、ヒロインのナターシャ・ロストフ。生命の吹き上げるような、生き生きとした感じが如実に描き出されています。アメリカの批評家であるライオネル・トリリングは、『戦争と平和』について、自分もこのように柔軟で懐の深い眼差しで見つめられたい、と読者に思わせる小説だと指摘しました。ナターシャを、見るように自分を見てほしい、私はポルコンスキーのように見られたい、と。

トルストイは、小説の登場人物を、一人の人間として捉えることができる人でした。たとえば『ボヴァリー婦人』や『感情教育』を書いたフローベールの眼差しが、高見に合って人間たちの愚行を見下ろしている神の眼差しだとすると、トルストイの場合は、登場人物たちによってにじりよってくる神だと言えます。思わず抱きしめたくなる神、大来占めたくなる神の眼差し。そのまなざしが、トルストイの魅力的な人物描写として内在化されているのです。

 

 

——高みから見下ろす、〝神〟の眼差しが一つだけの視点だとすると、『戦争と平和』には、〝神〟の視点が偏在(至る所に存在)しているのですね。

 

福谷 このことが何を意味するのか。『戦争と平和』の中で流れている「時間」は多元的な「時間」なのです。

皇帝アレクサンドル1世やナポレオンが活動する時間がある。同時に、ナターシャが結婚して、子どもを産み時間があり、ボルコンスキー侯爵の息子にニコーレンカが成長していく時間というものがあるわけです。この多層的な、多重な、多元的な「時間」というものがリアルであると感じさせるのが『戦争と平和』です。これこそがトルストイにとっての歴史にほかならないのです。

フランス革命がおこり、ナポレオンが皇帝になり、ヨーロッパを征服していく時間もあります。「政治史」とか「大文字の歴史」と言うべきものです。

同時に、はじめは10代の、箸がころがってもおかしいような明るい少女ナターシャ・ロストフ。彼女が『戦争と平和』の最後には、ひたすらファミリーのことに熱中する。子どもの世話や夫が大好きで、そうした家庭的なところにトランスフォーム(変わる)していく。世界史の動向から、幸せな一家庭というものに焦点が移っていくのです。

 

——ナターシャの変化には創立者も注目しています。人間同士、特に女性の側からの『信』のかたちが、比類なき美しさで示されていると思う。それは、海のイメージで形容できよう。ある時は無限の包容力をもって清も濁も併せ飲み、またある時は時の万物を慈しみはぐくみ、失意から組成へ、対立から調和へ、離反から結合へと導きゆく大いなる力。そして低次元の波風などどこ吹く風と、いつも深く静かな面を揺るがすことのない海。——私は、ピエールを見つめるナターシャの眼に、そうした、女性の揺るぎなき『信』の力の持つ素晴らしさが感じられてならない」

 

福谷 『戦争と平和』のエピローグに、象徴的な場面があります。

アンドレイ侯爵の忘れ形見である少年ニコーレンカが、父親のアンドレイの夢を見た後、成長を誓います。

「おとうさん おとうさん そうだ、ぼくはあの人だって満足するようなことをするぞ……」(藤沼貴訳)

「大文字の歴史」から、一つの家庭へとズームしてきた『戦争と平和』は、次の「大文字の歴史」が一人の少年から始まっていく場面で終わっているのです。

創立者が示された疑問——なぜナポレオンが矮小化されて描かれているのか——に、私なりにお答えするならば、トルストイの狙いは、それまでの歴史学におけるナポレオンが、いわば芝居の台本を渡されて行動しているに過ぎないと明らかにすること。そして、いくつもの観点を含む、いくつもの層を含む、多層的な歴史の中で、ナポレオンなりの役割を考えること。そうした提案だったのではないでしょうか。

トルストイの歴史哲学を、ポジティブに取り上げ直していく必要があるのではないかと、今回、この機会を通して考えることができました。心より感謝申し上げます。

 

 

 

【読書は人生を開く扉 創価大学「池田文庫」をひもとく】創価新報2023.10.18






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Last updated  November 21, 2024 05:34:12 AM
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