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June 17, 2024
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カテゴリ:文化

清楚で優しい画風

流派の発展を支えた絵師

 

狩野松栄筆〈四季花鳥図屏風〉

 

日蓮大聖人を慕った法華衆の芸術作品が海外に渡った経緯をめぐる本連載の第12回で取り上げるのは、狩野松栄筆〈四季花鳥図屏風〉です。狩野宗家を継いだ、清楚で優しい画風を特徴とする絵師・松栄の大作には、どのような作家の意図が込められているのか。美術ライターの高橋伸城氏に考察してもらいました。

 

村の公共図書館が機嫌

くもりがちな空の下、半円状の広場に4客テントの白い屋根がいくつも並んでいます。各ブースにおいてある洋服や食器はどれも手作りのようです。

ここは、ニューヨーク市マンハッタン島から地下鉄を乗り継いで、南端のイースト川を越えたところにあるブルックリン美術館。毎週日曜日には入り口前のスペースで市場が開かれており、この日も陽気なレゲエの曲に引き寄せられて、多くの人でにぎわっていました。

ブルックリン美術館の起源は、今から200年前にさかのぼります。1823年、まだ村だったこの場所に一つの図書館ができました。目的は、機械工学を学ぶ若者たちに無料で本を貸出しすること。建物の確保から運営まで、すべて市民たちの手によってなされました。

1835年には詩人のウォルト・ホイットマンも同館で図書館員を務めています。その翌年、市になって間もないブルックリンの管轄が移り、やがて製図の授業や展覧会の定期開催がスタート。そして1897年、正式に美術館として現在地で開館しています。

ブルックリン美術館の日本コレクションは、米国の中でも少し特殊な経緯を辿って形成されてきました。というのも、20世紀の初めに設置された民俗学部門の一部として、収集が始まっているからです。同館で特に有名なのは、文様をあしらった衣装や祭具を含むアイヌ関連の資料。実際に学芸員が北海道に行って、現地の人たちが購入したといわれています。その他、数は多くありませんが、質の高い浮世絵など、近現代を通じて優品が集められていきました。

 

 

樹木や動物をテーマに

まばゆい空間で、色も大きさも異なる種々の地理が遊んでいます。右隻ではマツが枝を広げ、すぐ横を通る急流が静かになった水面に、ハスの花が咲く。左隻ではカボチャが赤く色づき、そのツルが伸びた先で、ヤナギの葉が優しく風になびいています。後ろの岸辺をうっすら白く染めているのは、雪でしょうか。

1983年にブルックリン美術館の所蔵となった〈四季花鳥図屏風〉は、狩野松栄(1519=92)の作だとされています。狩野家は、室町時代から約400年にわたって、為政者たちの仕事を請け負った巨大な画派。そのほとんどが法華宗でした。

日本の美術と政治の中枢で活躍した鹿野家の一人であるのにもかかわらず、「松栄」の名前は世間に広く知られていません。それと対照的なのが、彼の肉親です。父の元信は、共同で制作にあたる工房の仕組みを確立し、多くの受注に応える体制を整えました。また息子の永徳は、動物や樹木を大きく写し出す手法で、織田信長や豊臣秀吉に重用されています。

学術的にも松栄の研究はあまり進んでいない一方で、彼の事績には特出すべき点があります。例えば、元信の死後、世情が激しく揺れ動く中で、家業を守ったこと。自分よりも若い世代の能力を素直に認め、早くから永徳に大きな仕事を任せたこと。その上、40代で世を去った永徳より長く生きて、一門が孫の代に受け継がれるのを見届けたことも。

知名度からすると意外に思われるかもしれませんが、松栄は数多くの作品を残しています。中でも得意としたのが、植物や鳥類を主題とする花鳥画でした。

 

 

ハスの絵が示す現実世界

現存する作品を見る限り、金地の大きな画面に四季の花鳥を拝する趣向は、18世紀ごろに始まったと推測されます。それは、中国の絵を模範とする狩野派が、絵巻などで用いられる日本の画題や画法を取り入れて成り立ったものでした。

では、松栄が描いたような金色の四季花鳥図は、画像として一体どんな意味を担っていたのか。研究史を振り返ると、この世とは別世界の〝極楽浄土〟と見るのが通説になっています。浄土について「四季がなく、寒くも暑くもなく、いつも適度な状態に保たれている」と説く仏典があること、また平安時代の物語や絵巻に四季を備えた庭が描写されており、それらが極楽を模して作られていることが根拠です。

確かに〈四季花鳥図屏風〉には、右隻から左隻に向けて、おおむね春・夏・秋・冬の順番で、全ての四季が集められています。狩野一門の重要なパトロンの一人だった将軍・足利義政が禅とともに念仏の教えを信仰していた点を考慮すると、少なくとも絵を発注する側わがそこに〝浄土〟の再現を求めていた可能性は十分にあるでしょう。

とすると、法華宗である狩野家の絵師たち、とりわけ松栄は、時代の要請や文化的な条件がある中、どう制作していたのでしょうか。注目したいのは、本作の右隻に描かれたハスの一群です。近づいてよく見ると、池から伸びる十数本の茎のうち、右端の一本が折れ曲がって、今にも折れそうになっているのに気付きます。極楽の世界にふさわしくないようにも思えるこの枯れゆく姿を、つぼみや満開の花、初夏の巻葉や春先の浮葉と隣り合わせることで、絵師はハスが現実の世界に生きる時間の移ろいそのものを描こうとしたのではないでしょうか、

時間の視点は、本作全体にも適用できます。四季が同時に訪れ、寒くも暑くも亡くなったと見る代わりに、それぞれ寒くも暑くもある季節の移り変わりを四つの場面で表した、というように。

『法華経』の中で釈尊は、現実の娑婆世界を指して「宝樹は花菓多くして、衆生の遊楽する所なり」と述べています。鳥たちが訪れては去り、花々が咲いては散る。その移り行く時間を一つのアングルから捉えた〈四季花鳥図屏風〉には、「衆生所遊楽」の風景が広がっています。

 

 

 

【海を渡った法華衆の芸術 米国篇⑫/美術ライター 高橋伸城】聖教新聞2023.410






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Last updated  June 17, 2024 04:59:21 AM
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