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April 3, 2009
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カテゴリ:哲学
教学随想(四国男子部教学部長 藤代 悟)

凡夫の偉大さを極限まで強調


たとえば「願兼於業(願、業を兼ぬ)」という思想がある。末法に出現する菩薩は、本来は清浄な境涯をもっているのにもかかわらず、自ら誓願して宿業を背負い、それを転換することで人々を救い、仏法の偉大さを証明していく。

現在、背負っている不幸を、勝利の未来のため、かけがえのない因とするのである。そして、三世を貫く、永遠の使命に目覚めるのである。どれほどたくましき、強さに満ちた哲学であるか。

あの「大阪の戦い」で、池田先生が同志に講義された御書に、次のような一節がある。
「退(しりぞ)いて未来を論ずれば八十年の布施に超過して五十の功徳を備う可し天子の襁褓に纒(まとわ)れ大竜の始めて生ずるが如し蔑如すること勿れ蔑如すること勿れ」(御書342P)

天子どころか「学会は貧乏人と病人ばかり」と蔑まれ、嘲笑された時代。しかし、草創の諸先輩方は「貧乏人と病人が社会を変えられたら、すごいことじゃないか」と、逆に笑い飛ばし、地涌の使命に生き抜かれた。そして、本当に社会を変え、自らの宿命をも転換していかれた。
これは「気の持ちよう」だとか「唯心論」などではない。三世の生命観に立脚した、確信の哲学である。

かつて学会を馬鹿にしていた人間は、いざ学会が発展すると、“社会の支配”云々などの悪態をつく。事実の上で学会が発展を続けていることを自ら認め、圧倒されていることを白状しているようなものである。

「気休め」などで、192カ国・地域に仏法が広まるものか。平和と文化と教育の大道を、世界中に広めることができるものか。

(つづく)





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