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カテゴリ:覚書
「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり」(日女御前御返事、1244頁)
周りではない。自身の仏界をどう開いていくかだ。 幸福は他所にあるものではない。現実と戦う自分自身の胸中にある。 このことを深く確信し、題目を唱えなければならない。
しかし、結果ばかりを急いで、御本尊に題目を唱えている自分がある。いつしかうまくいかない原因を嘆くだけの唱題になっている。 そこには、100%、愚痴に覆われた生命状態がある。逆に、その愚痴が祈りとなり、愚痴が叶ってしまう。これでは、諸事叶うはずもない。 その信心の姿勢は爾前教ではないのか。日蓮大聖人の仏法ではない。
こちら側の一念の問題である。 この御文を真剣に拝し、大聖人の御心を我が心として、祈るべし。 そして、必ず結果を出せ。
「叶ひ叶はぬは御信心により候べし全く日蓮がとがにあらず、水すめば月うつる風ふけば木ゆるぐごとくみなの御心は水のごとし信のよは きはにごるがごとし、信心のいさぎよきはすめるがごとし、木は道理のごとし風のゆるがすは経文をよむがごとしとをぼしめせ」(日厳尼御前御返事、1262頁) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
April 20, 2019 03:08:25 PM
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