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September 7, 2012
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カテゴリ:御書講義
妙法の功力は限りない。
「一遍此の首題を唱え奉れば一切衆生の仏性が皆よばれて爰(ここ)に集まる時我が身の法性がの法報応の三身ともに・ひかれて顕れ出ずる是を成仏とは申すなり」(聖愚問答抄498頁)と仰せられている。を唱える

南無妙法蓮華経の題目を唱えることで、あらゆる仏性が呼び出され、そして、今度は、そうした衆生の仏性が、妙法を唱える私自身のもとに集まり、私の「法報応の三身」、すなわち仏の完全なる生命をよび現す、というのである。

こうした仰せの背景には、この現実世界に、諸天善神などの種々の衆生がいて、私たちの生命と社会に密接に影響を及ぼしているとする世界観があることは言うまでもない。

ただ、一切衆生が、妙法を唱える私自身の仏界を現すよう働くと仰せになって、仏界涌現のあり方が、“私を取り巻く環境”から“私自身”への働きかけとして述べられている点に仏法のダイナミズムを言うべきものの一端をうかがうことができよう。



「釈尊ほどの仏にやすやすと成り候」(同1443頁)と仰せの大聖人の仏法の偉大さは、仏界涌現を、いわば“出発点”として、そこから自他の生命の変革へと、どこまでも打って出る行動を促している点にある。仏法の魂は、どこまでも行動にこそある。

そのうえで、冒頭の聖愚問答抄の一節は、根本となる妙法の祈り自体が、あらゆる衆生の仏性をよび現していく、とする。そもそも、これほどまでに妙法の祈りの力は偉大なのである。

この一節は、仏法が万人成仏という限りない希望の源泉となる「変革の哲理」であることも教えている。

(丸)

【「明鏡」】聖教新聞08・2・1





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Last updated  April 17, 2019 04:24:39 PM
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