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カテゴリ:心理学
これが日本の高校で行われるとどうなるだろう。体育祭ひとつを例に取ってみても、一応の案は執行部から(校長からではない)出されるにしろ、その細部にわたって討論されて、相当な時間を取ることになるだろう。時には、「そもそも高校において体育祭を行うことに意義があるか」という点についてながながと「講義」する人もある。多くの人がそれについてほとんど聞いていないか、無関心なのだが、司会者が発言を求めることは、まずないだろう。結局のところは、最初の案とほとんど変わりのないものに落ち着くのだが、それに費やされる時間は相当なものである。会議が終わってから、ほとんどの人が「会議が長びく」ことを嘆くのだが、それを次から短縮するために何らかの方法が考えだされることは、まずないのである。もしここで、アメリカ帰りの教師が居て、アメリカの方法を導入しては、などと提案したら、「そんな非民主主義的な方法は駄目だ」と一喝されるだろう。
【こころの処方箋】河合隼雄著/新潮文庫 (つづく) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
January 29, 2014 07:20:57 AM
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