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September 17, 2014
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カテゴリ:コラム
 

詩人  藤原 安紀子

川に沿い、歩く。流れを見る。水に触れる。水音を聞く。そして、水脈を想う。

あるトークイベントで、三人の詩人は「川」について語った。精神の川、心の奥深くに流れる、生命の水脈としての川、それを枯渇させてはいけないと。メタファーとしての「川」についてくぐもった声で話す。正直、内容は難解だった。詩の言葉を、聞かれた場所へ向けて砕いていくことは、簡単ではない。たった一行であれ詩を語ろうとすれば、一生をかけてもまだ短い。

川に限らず、人間を超越する、いわゆる自然について語ることも困難だ。「壮大」「悠久」「畏怖」それらしい言語を用いて表現することは可能だが、ここが体験した自然との接点、その瞬間の(おのの)くほどの勘当は、言語へ容易に還元できるものではない。降るほどに星が瞬く満天の空や、水平線に巨大な夕日を目にしたとき、自分でも制御不可能なほどに打ち震える前進の反応とともに、人はおそらく絶句する。また、自然を肯定的に享受するのではなく、仕打ちのような残酷な惨事、天災に遭遇した時も同じだろう。悶絶(もんぜつ)するほかなく、心底、言葉にできないことはある。

近年、日本に四季がなくなりつつあるという風評をよく耳にする。この美しい春夏秋冬の機微を知らない子どもに、情感豊かな日本的感性が育まれないかと危惧する声も聞こえる。しかし、それは違うと思う。

生物として個々の人間が潜在的に持つ感受性は、そう(もろ)くないはずだ。

危機感を持つとすれば、その志向性だろう。与えられるものを黙って受容するのみ、能動的に動こうとしない身体は危うい。対自然に限らず、絶句するほどの感動は、人が人へ教えられるものでも、導けるものでもない。自分の脚で出向き、求め、獲得する経験だ。

流れない水は淀み、いずれ腐る。河口を開くこと。感性は自らの手で磨くべきものだ。

 

【言葉の遠近法】公明新聞2014.9.10






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Last updated  September 17, 2014 06:01:51 AM
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