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カテゴリ:コラム
早早と葉を黄金色にそめたイチョウが街路を覆い、銀杏の実が匂い立つ。秋も深まりつつあった先月下旬、韓国にいた。 『ソウル国際作家フェスティバル』へ、世界各国から招待作家の一人として参加した。トークセッションやパフォーマンスなど、一週間目白押しのプログラム。韓国の詩人、小説家たちに加え、各国の作家がお互いの作品や文学思想について語り合う。作家自身の朗読とコラボレートする音楽、演劇、ダンス。刺激的でスリリングな空間が展開した。実は韓国来訪は人生初。これまではまさに「近くて遠い国」だった。 韓国。戦後の第二次ベビーブーム世代であるわたしは、学校教育で学んだ互いの歴史観を軸に両国関係を認識することなど、もはやできない。ゆがんだ大義としての「歴史教育」、その胡散臭さを肌身で感じてきた。加害者、被害者という純粋な背反構造で事実を語れるわけがないことぐらい、サルでもわかる。人間による人間の侮辱、軽蔑ほど醜いものはなく、想いは怒りを通り越し、同じ人間である自身への羞恥心で窒息しそうになる。しかしふと、筆が止まる。このような自分自身のある単純明快な発言こそ、無責任で自堕落な行為ではないか。鏡に映る自分の輪郭をなぞっているにすぎないのではないか。 心がそうであるように、行為もまた、単色ではない。たとえ多面的で複雑な配色が施されていたとしても、スポットが当たるのは限られた一面である。地球の半分が夜であるように、闇に隠れた色彩も必ず存在する。すべてを照射する原語はないということだ。 文学祭閉会のパーティーで、ブラジルの詩人、タルソ・デ・メロは参加者各国の言語で「ありがとう」と連呼した。壊れたジュークボックスのごとく延々と、ループして言葉が繋がる。球体状に旋回し、乱反射する声の振動を受け、わたしは涙が止まらなかった。
【言葉の遠近法】公明新聞2014.10.8 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
October 25, 2014 07:02:20 AM
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