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静岡大学大学院農学研究科教授 稲垣 栄洋
「強い」というイメージのある雑草ですが、じつは「弱い植物」であるとされています。雑草は他の植物との競争に弱いので、多くの植物が生存競争を繰り広げる深い森の中では、生きていくことができないのです。 そのため雑草は、他の植物が生えることのできないような場所を生存の場としています。それが、草取りされる田畑や、人に踏まれる道ばたなど、人間が暮らす場所なのです。このような厳しい環境では、競争に強い植物が勝つとは限りません。そして、この環境さえ克服すれば、弱い植物である雑草も活路を見いだすことができます。こうして相手と戦うことを避けて、自分と戦う道を選んだのが、雑草と呼ばれる植物です。 しかし、他の植物が生えることのできないような場所に生存するためには、さまざまな生きる工夫が必要となります。そして雑草は、人間が嫌がるような「たくましさ」や「しつこさ」や「したたかさ」を身につけたのです。 雑草は「踏まれても立ち上がる」というイメージがありますが、これも正しくはありません。実際には、雑草も何度も踏まれると立ち上がれなくなるのです。雑草魂と呼ぶには、何だか情けなく思えるかもしれませんが、そうではありません。 そもそも、どうして立ちあがらなければならないのでしょうか。雑草にとって、大切なことは花を咲かせて、種を残すことです。踏まれても踏まれても立ち上がるという無駄なことにエネルギーを使うよりも、踏まれながら、花を咲かせることのほうがずっと合理的です。立ち上がることに固執することなく、本当の目的を見失わないことこそが本当の雑草魂なのです。 踏まれながら小さな花を咲かせる雑草を見て、人間はセンチメンタルになりますが、雑草は歯を食いしばって頑張っているわけではありませんし、しおれそうになりながらじっと耐え忍んでいるわけでもありません。雑草の生き方は、もっと前向きで実践的です。 逆境に生きる雑草にとって、逆境は「耐えること」でも「克服すべきこと」でもありません。それどころか、「逆境をプラスに利用する」というのが、雑草の生き方です。 あるものは、耕かされてちぎれることによって、その数を増やします。あるものは草むしりをされると、種を弾き飛ばして、人の体にくっつけます。また、あるものは踏まれると、靴の裏に種をくっつけて、分布を広げます。これらの雑草にとっては、耕されたり、草むしりされたり、踏まれることは、嫌なことではありません。むしろ成功のためのチャンスなのです。 雑草はけっして強い植物ではありません。しかし、自らの弱さを知っているから、雑草はこんなにも強く生きることができるのです。 (いながき・ひでひろ) 【文化】公明新聞2015.1.9 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
January 18, 2015 07:17:05 AM
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