2016/02/19(金)05:13
「三重の楼(たかどの)」の話
―—ある時、富豪が建てた三重の楼を見て、その高さや広さ、壮麗さに心を奪われ、同じような建物が欲しいと思った男がいた。
自分の家に帰り、早速、大工を呼んで依頼すると、大工はまず基礎工事に取り掛かり、一階二階の工事に入った。
なぜ大工がそんな工事をしているのか、理解できなかった男は、「私は、下の一階や二階は必要ない。三階の楼が欲しいのだ」と大工に迫った。
大工は呆れて述べた。
「それは無理な相談です。どうして一階をつくらずに二階をつくれましょう。二階をつくらずに三階をつくれましょうか」と(百喩経)―—。
その意味で復興の焦点も、街づくりの槌音を力強く響かせることだけにあるのではない。
一人一人が感じる“生きづらさ”を見過ごすことなく、声を掛け合い、支え合いながら生きていけるよう、絆を求めることを基盤に置く必要があるのではないでしょうか。
つまり、人道危機の対応や復興にあたって、「一人一人の尊厳」をすべての出発点に据えなければ、本当の意味で前に進むことはできないことを、私は協調したいのです。
そこで重要となるのが、危機の影響や被害を最も深刻に受けてきた人たちの声に耳を傾けながら、一緒になって問題解決の糸口を見いだしていく対話ではないでしょうか。
深刻な状況にあるほど、声を失ってしまうのが人道危機の現実であり、対話を通し、その声にならない思いと向き合いながら、「誰も置き去りにしない」ために何が必要となるかを、一つ一つ浮かび上がらせていかねばなりません。
何より、つらい経験を味わった人でなければ発揮できない力があります。
【第41回「SGIの日」記念提言】聖教新聞2016.1.26