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カテゴリ:抜き書き
中島●生活基盤に根差した宗教が社会性をもって回復しないと、次の一歩を踏み出せないのではないでしょうか。
ところがその役割の一翼を担うべき創価学会を母体とする公明党が、「居場所なきナショナリズム」を利用する自民党のネオコン勢力と結びついてしまっている。これは大きな問題です。 島薗●戦前までの創価学会の歴史を遡ってみましょうか。 同じ日蓮系とはいえ、国柱会と違って、創価学会は創価教育学会という教育者の集まりから始まり、小集団活動に基礎を持っていたために、政治的なユートピア主義には結びつかず、戦前は反体制的な特殊な日蓮系宗派の立場を守り闘争としました。このため、初代会長の牧口常三郎は治安維持法違反で捕まり、獄中死をしています。 ところが、今の公明党はまったくの体制派で、自民党と一体化しているようにすら見えます。どうしてこうなってしまったのかを考えると、創価学会が、組織の発展を宗教そのものの成功と同一視する傾向を持っていることが、大きいのではないかと思います。 それから、他宗教や他宗を批判する排他性も強くて内部の結束を重視する。党と教団が完全な一枚岩ではないとはいえ、そういった性格のもとで、選挙による党の成功と教団の勢力維持とかが結びついているんですね。 私自身は、現在の創価学会と公明党は、宗教のあり方をめぐる非常に思い問題に直面していると考えています。本来の理念である仏法に基づく平和主義・人間主義をそっちのけで組織維持のためにタカ派政策に乗っかっています。どの宗教に同様の傾向はあるにせよ、信者の獲得、組織の拡大・維持を最大の目標にするという姿勢そのものを考え直すべき時に来ているのではないでしょうか。 中島●島薗先生がおっしゃったように、創価学会にはもう一度自分たちの過去と向き合ってほしいと私は考えています。 設立後、数十年しかたってない一九四三年に、初代会長の牧口常三郎が伊勢神宮の大麻(神札)を受け取らなかったことで治安維持法違反とされて、翌年に獄中死する。同じく理事長の戸田城聖も捕まる。それが彼らの戦前の痛烈なまでの経験です。 池田大作氏が書いた『人間革命』の始まりのほうはその話が中心になっている。つまり、権力から弾圧を受けた経験を背負っているから、信仰の自由というものが彼らにとっての非常に大きなテーゼになっている。 思想的にパターナルな安倍首相に対して、信仰の自由など本来、リベラルの方向に立とうとする公明党というのは、その理念では反対向きのはずです。政策的にも、自己責任を強調するようになった自民党に対して、セーフティーネットを整えろと言う公明党は、方向性は逆です。 しかし、公明党の目標が与党であり続けるということにすり替わってしまった今、理念や政策の違いを超えた自民党に追従してしまう。その結果何が起きるかというと、自分たちがまさに弾圧されたような、たとえば秘密保護法のようなものを自分たちで推進してしまう。あるいは集団的自衛権の問題についても、自民党のほうに引っ張られてしまう。 島薗●私が創価学会の問題を重く見るのは、前章で述べた「正法」と関係しています。 正法をもう少し平たい言葉で言えば、仏教の社会倫理理念であり、仏教の社会性の自覚ということになりますが、創価学会はこの正法の理念を自覚し、現代的に実践しようという姿勢を持つ宗教団体のひとつです。社会参加・政治参加を謳っている宗教団体であればこそ、国家とは距離を保って活動してほしいわけです。 ちなみに、同じ法華、日蓮系の在家教団であること立正佼成会は、集団的自衛権や安全保障関連法制については反対の声明を出しました。 【愛国と信仰の構造】中島岳志・島薗 進著/集英社新書 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
September 24, 2017 01:48:03 PM
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