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May 19, 2017
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カテゴリ:箴言

ベーブ・ルース(18951948)メジャーリーガー

 

ベーブ・ルースは、一八九五年にメリーランド州のサウスボルチモアで生まれた。幼いころから手がつけられない不良だったルースは、七歳のときに矯正学校へ送られた。野球というスポーツを知ったのは、この時だったという。彼は矯正学校の野球チームで投手として活躍しているときにオリオールズ(現在のヤンキース)のオーナー兼監督ジャック・ジャンに見いだされ、一九一四年にプロ野球選手として第一歩を踏み出した。

 

その後、レッドソックスに移籍して投手として活躍。だが、次第に長打力が注目を浴びるようになり、一九一八年には初の本塁打王のタイトルを獲得した。一九二〇年に古巣ともいうべきヤンキースに移籍。当時のメジャーリーグを代表するもう一人の強打者ゲーリックと三、四番コンビを組み、リーグ優勝七回、ワールドシリーズ制覇四回というヤンキースの第一次黄金時代を築いた。

 

一九二七年には本塁打六〇本の大記録を作ってホームラン王となったが、一九三五年に引退するまでに七一四本の本塁打を打ったのである。

 

ちなみにこの記録は、当時のレベルからするとずば抜けたもので(たとえばゲーリックの通算本塁打は四九三本)、永遠に破られないだろうといわれた。そして、一九三六年にはアメリカ野球殿堂入りの最初のメンバーとなったのである。

 

ピッチャーとしても、ホームランバッターとしても大成したルースは「野球の天才」と呼ばれることが多い。しかし、彼の意外な面を伝えるエピソードがある。それは、コロンビア大学で異なるサイズの小さな穴に棒を差し込むという根気のいるテストに参加したときのことである。彼はなんと、五〇〇人中最高位の点数を記録した。単なる野球の天才ではなく、諦めることを知らない強靭な精神力を持つ努力家であることを、周囲に知らしめたのである。

 

確実に「負け」になるまでは絶対に諦めないこと。たとえ勝利の可能性がわずか一%しか残っていないとしても、諦めなければ、あるいは勝利するかもしれない。このことを忘れずにいれば、易々と勝負を投げ出して負けることなどないはずだ。

 

 

【心を強くする名指導者の言葉】ビジネス哲学研究会/PHP文庫






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Last updated  May 19, 2017 03:31:53 AM
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