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February 23, 2018
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カテゴリ:コラム

探検家、医師、武蔵野美術大学教授  関野 吉晴

 

東アフリカ、スーダン北部のヌビア砂漠を徒歩で、時にはヒトコブラクダに乗って旅をした。なおかつスーダン人の同行者から、これからラマダン(イスラムの聖なる月。断食月でもある)なので、一緒に断食しませんか。いい経験になりますよと誘われた。断食、それも熱帯の砂漠で? と思ったが、いつものようになんとかなるだろうと頷いてしまった。

 

砂漠を歩いていると、当然喉は渇く。夕方、村を通ると、道端や道からみえる所で食事をしている。

 

イスラムの断食は太陽が沈んでいる間は食べてもいいのだ。手招きで私たちを呼ぶ。旅人や貧困者を食事に招き呼ぶために外で食べるのだと言う。

 

最初に一杯の水かジュースを貰う。一気に喉に流し込む。喉を鳴らしながら水分が通って行く時の快感はなんともいえない。山で水筒の水が空になり、数時間水なしで歩いていて、やっと水場が見つかった時の喜びに似ている。水ってこんなに旨いんだという感覚だ。渇きが収まった後、ナツメヤシやスープ、豆類、肉をゆっくりと食べる。

 

自然と一体になって暮らしている人々と暮らしていると、彼らと自然との関係が分かる。自然を恵みとして感謝しているが、恐れ、畏敬の念を持っている。彼らにとって自然は自分では如何ともしがたい存在なのだ。太古の人たちも先祖神と共に自然信仰が大切であったのは自然の流れだ。その自然は人間に恵みを与えるが、一方で人間を痛めつけたり、懲らしめたりもする。ヒンドゥー教や日本の神様と似ている。

 

その後農耕が始まると、雨は何よりも大きな関心事になった。飲み物としてだけではなく降水量が作物の出来不出来に大きな影響を与える死活問題だからだ。

 

 

【すなどけい】公明新聞2017.11.24






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Last updated  February 23, 2018 04:12:21 AM
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