|
カテゴリ:新・人間革命
苦難の時こそ、その人の信心の真髄がわかるものです。臆病の心をさらけ出し、逃げ去り、同志を裏切る人もいる。また、“今こそ、まことの時である”と心を定め、敢然と奮い立つ人もいる。
その違いは、日ごろから、どれだけ信心を磨き、鍛えたかによって決まる。一朝一夕で強盛な信心が確立できるわけではありません。いわば、日々、学会活動に励み、持続していくのは、苦難の時に、勇敢に不動の信心を貫いていくためでもあるといえる。 私たちは凡夫であり、民衆の一人に過ぎない。ゆえに、軽視され、迫害にさらされる。しかし、私たちが弘めているのは、妙法という尊極無上の大法であるがゆえに、必ずや広宣流布していくことができる。 また、「法自ら弘まらず人・法を弘むる故に人法ともに尊し」(同856頁)です。したがって、最高の大法を流布する“弘教の人”は、最極の人生を歩むことができる。 広布のため、学会のため、いわれなき中傷を浴び、悔しい思いをしたことは、すべてが永遠の福運となっていきます。低次元の言動に惑わされることなく、仏法の法理のままに、無上道の人生を生き抜いていこうではありませんか! 【新・人間革命「勝ち鬨」19】聖教新聞2017.12.28 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
April 6, 2018 05:46:15 AM
コメント(0) | コメントを書く |
|