浅きを去って深きに就く

2018/09/18(火)05:16

二軒目の家庭訪問の後で

覚書(46)

先日、仕事帰りにご無沙汰をしているTさんを訪問した。 自分より20歳も上の年齢差のある壮年の方だ。 取次の奥さんに、「Tさんはいらっしゃいますか?ちょっと話を聞いてほしいと思いまして」と、少しへりくだった訪ね方をしたのは、年齢の差もあるが“うるさ型の人”であるからだ。このTさんに対する私の印象はステレオタイプなのかもしれない。 快く受け入れられた。 久闊を叙し、しばし世間話。 ご無沙汰をしているので、お身体の具合などを尋ねた。 Tさんは「あかん、肺がんステージ4や」 衝撃が走った。わたしはどんな顔をしてよいのかわからず、絶句。重病やないか。   しかし、元気なのだ。抗がん剤も適応し徐々に回復に向かっていると話された。 Tさんの言葉の中に、強がりでないなにか“達観”されている様子が感じられた。 しかし、学会員がよく口にする“病気と戦う”とか、“確信”とかの話ではないのだ。 なんかこう、開き直りとかいうか、人間自体の力が感じられ、感動を覚えた。 また、訪問すること告げ、T宅を辞した。   とはいえ、地区内のメンバーが罹病しておられるということは、世間話ではすまされない。 僕は躊躇しながらも、地区婦人部長にラインメールをおくった。 躊躇したというのは、壮年部のわたしが地区婦人部長に報告をするということにである。 しかし、地区婦人部長は地区のお母さん的存在だからと思い、報告をした。   それが間違いであったのか、悩みをつくったのかもしれない。   地区婦人部長から返信が来た。 概略「TさんもFH(わたし)に話を聞いてもらって、すっきりしたことでしょう」と。何気ない文章かもしれない。 わたしはその文章に違和感と、不快感ともいえる感情を覚えた。 ひょっとして、地区婦人部長はTさんの病気のことを知っているのではないか。Tさんが肺がんということに衝撃を覚えたわたしの気持ちを、はぐらされたというか、期待していた言葉がなかったので、かなり複雑な気分である。   昨年の年末に、Tさんを訪ねた折、ちょっと熱を出して検査入院をしたと奥さまからきいた。 そのことを地区婦人部長に「壮年部のことですが…」と報告をした。地区婦人部長は「それとなしに奥さんを訪ねてみます」とのことだった。 地区婦人部長は、訪ねた折、Tさんの病気のことを知っていたのだ。愕然とした。   今から約9カ月も前に、知っていたのだと思う。 また、地区婦人地区婦人に電話で確認しても、知っていたという。   どうでもいいことかも知れない。愚痴かもしれない。かもしれないではなく、愚痴だ。 複雑な気分だ。知っていればわたしに知らせてほしかった。Tさんの病気のことを個人情報だと守秘義務で知らせなかったのかもしれないが、創価学会は、そうではない。地区の主要メンバーだけには言ってほしい。苦悩を共有して祈ることができないのではないか。とくに壮年部のことでもある。   「FHさんに話を聞いてもらって。Tさんもすっきりしたことでしょう」という上から目線オーラは何なのか。そう感じるわたしが極めて心が狭いのか。さびしさを感じるとともに、非常に悩む次第である。 近ごろ、とくに多いな~。組織的な信心が。   組織の成果に行き詰るときは頼みに来る。わたしも単純なので、結果を出そうと精いっぱい努力してきたつもりであるし、多少なりとも貢献してきた(自分のためでもあるが)。   だが、肝心なことはスルー、運営のことはガン無視。 地区協議会等で、メンバーの近況情報を共有しようとよく地区婦人部長はいう。それは、自分に情報を提供せよということなのか。そこに、マターを感じるし、隠匿された“上から目線”を感じるのはわたしだけでしょうか。 Don't let me down   あまりにも さびしき心境を ここに記す。   ともあれ、今より“一人立つ”精神で生きることを決意する。     2018.9.18早暁

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