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April 17, 2019
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カテゴリ:歴史人物

武庫川女子大学教授  丸山 健夫

 

江戸時代に、三人のアメリカ大統領と面会した日本人がいた。三人目は、あの有名なリンカーン大統領だ。濱田彦蔵。その男の名である。

彦蔵は、一八三七年、今の兵庫県加古郡播磨町に生まれた。農家だったが、幼い頃に父が死に母が再婚。新しい父は樽廻船の船乗りだった。十三歳のとき、その父の船で船員としてデビュー。その初航海で、兵庫から紀伊半島をまわって江戸までの途中、風待ちのために立ち寄った港で運命が変わった。そこで巨大な新造船と一緒になる。相手の船員たちに知り合いも多かったから、渋る父を説得してその船に乗り換えた。

運命のスイッチ。そんな言葉がぴったりくるこのチェンジ。その後の人生が大きく変わる。江戸からの帰路、船は遭難。五十日あまり漂流したのち、十七名の乗組員は、サンフランシスコに向かうアメリカ船に救助された。ちょうどアメリカは、日本を開国させるプロジェクトに取り組んでいた。十七名を日本に送り届けて開国を迫ろうと、彼らをアメリカ経由で中国まで移送した。ペリーは、この漂流民たちと一緒に、中国から日本に来る予定だった。

とろが最年少の彦蔵は、中国でペリーの到着を待つ間に、アメリカ本土に呼び戻される。将来の日本との架け橋に育てようとアメリカで教育された。ピアス大統領にも引き合わされた。ハリスが通商条約を結ぶ直前、ブキャナン大統領と面会し、締結後はハリスと一緒に通訳として来日。そして明治維新の前夜には再び渡米しリンカーン大統領と面会した。

まるでドラマの世界だ。誰にでも一度はある運命のスイッチ。しかしその活躍は、新しい環境を素直に受け入れ、前向きに努力を続けた彦蔵の性格に負うところが大きい。

 

 

【すなどけい】公明新聞2018.10.26






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Last updated  April 17, 2019 02:59:43 AM
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