浅きを去って深きに就く

2019/12/14(土)03:51

自他共に智慧と慈悲と有るを喜

名字の言(355)

その婦人部員は、反抗期の息子と衝突してばかり。「うるせえな!」と息子が言えば、「なに! その口の利き方は!」とやり返す   ▼ある日、学会の会合で一つのエピソードを聞いた。戸田先生が第2代会長就任式で学会歌の指揮に立った時のこと。その勢いで、卓上のガラスの水差しとコップがぶつかり、どちらも割れてしまった。すると、先生は当意即妙、「水差しは“コップがふれたから割れた”と言い、コップは“水差しがぶつかったのだから割れたのだ”と言うかもしれない」と。しかし「これが、綿とガラスだったらどうだ? 決して壊れはしまい」   ▼話を聞きながら、婦人は自分が“ガラス”だったことに気付く。「子育ても同じね」と先輩がほほ笑んだ。「子どもを変えようとするのではなく、まず大人が変わることが大切よ」   ▼強さとは、相手を打ち負かそうと意地になることではない。どんな縁に触れても、それに振り回されない力の異名であろう。池田先生は子育て中の親に語った。「“綿”になって、ふんわりと子どもをつつみ込んであげるのです。それが、本当の『強さ』でしょう」   ▼「自他共に智慧と慈悲と有るを喜とは云うなり」(御書761㌻)。自他共の喜びを生み出す力を育むことが、教育の醍醐味でもある。     【名字の言】聖教新聞2019.5.15

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