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March 21, 2021
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カテゴリ:コラム

ペリーの土産

武庫川女子大学教授  丸山 健夫

日本の空に初めて蒸気機関車の汽笛が鳴り響いたのは、西暦一八五四年。外国の脅威がやってきたと慌てて安静に元号を変える嘉永七年のことであった。汽笛一声と有名な新橋と横浜を結んだ鉄道ではない。第一声の主は、その十七年も前、黒船がやってきたペリーが日本へのお土産として持参した蒸気機関車だ。

遊園地のイベントで見かけるような小さな記者に、大のおとなのサムライたちが我先にと跨り大はしゃぎした。ペリーの土産はこれだけではない。当時まだ黎明期にあった電信も日本に持ち込んだ。西洋の科学技術の格段の進歩を見せつけ、開国を迫る作戦だった。電柱を立て、電線を張り、通信実験をしてみせた。その一瞬のデモンストレーションのためだけに、わざわざ電信技術者を雇い入れ、黒船に乗せて来た。

条約締結の暁に、ペリーは、一八三七年開店で政治家や有名人が数多く訪れたニューヨークの有名料理店「デルモニコ」に負けないフランス料理を日本に振る舞おうと計画した。その日のために、わざわざ動物たちを生きたまま黒船で運んで来た。

少しでも新鮮な食材をという配慮からだ。その甲斐あって黒船ポーハタン号甲板での日米交流パーティーは大成功。あまりのおいしさに、油まみれの料理を紙に包んで懐に差し入れ、家族に持ち帰ろうとした武士たちもいた。

しかし、これらのペリーの時間と労力をかけた準備は、もし条約が成立していなかったら、すべてが無駄になっていたはずだが、当時はまだ、日本の固い鎖国の扉をこじあけた国は何処にもなかった。先行きがどうなるか分からないときでも、最良の未来につなげられる周到な準備があってこそ、事は成し得るのである。

 

 

【すなどけい】公明新聞2020.5.22






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Last updated  March 21, 2021 05:28:48 AM
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